戦国無双4E 固有武将の相性
戦国無双4 Empiresでの武将の相性を
分析してみました。
プレイステーション3版でやってます。
他の攻略サイトでは、基本的には
無双武将だけは相性グループ分け
してあるけれど、固有武将・固有姫や
一般武将(汎用武将)の場合は、
無双武将の関係者
(例えばガラシャに対する細川忠興とか)
しか載せてないところが多いので、
せめて固有姫より上に並んでる武将と
それなりに能力などの高い武将だけは
分類してみました。
(少なくともゲーム上の)家紋・旗印の色が、
豊臣家は黄で、真田・武田などは赤なので
相性が豊臣秀吉系のグループを
私は黄グループと呼んでいます。
赤グループと言えば、
ここでは、相性が真田・武田系のグループ。
基本は秀吉との関係で考えると
わかりやすいのかなと。
明智光秀、柴田勝家は
秀吉と敵対するグループだが
織田信長とは敵対しない。
小田原北条氏なども
反秀吉と設定されている。
そして、関東の反北条の大名は
秀吉と同じグループとなる・・・
みたいな感じ。
お市と浅井三姉妹も
柴田勝家と同じ青グループ。
(浅井、長宗我部、細川などの家紋色が青で
ガラシャと細川忠興は相性のよいと
書いてるサイトを見て忠興も青系かと思っていた
のもあって、青グループと呼んでます。)
江と相性のよい徳川秀忠も
青グループ。
長宗我部も反豊臣秀吉。で「一領具足」を使う。
北条も「領民同心・弐」を使うので青グループは強い。
私の場合、自作エディット武将の
千利休、南光坊天海も青グループにしてます。
(相性を明智光秀に合わせてある。)
実際は島津も秀吉に攻撃されてるし、
その際、秀吉は大友に援軍を送っているので
島津も青で、大友が黄グループでもよさそうだけど。
立花が大阪冬の陣で青グループの秀忠に仕えてるからか?
でもそれは本多忠勝の推挙で江戸城に仕えたから・・・
本多と同じ黄でよさそうなものだけど。
長宗我部だって盛親は豊臣四天王なんて呼ばれてるし。
薩長を敵対させたくなかったのか?
でも土佐は青グループだし。肥前は赤。
というか本多は何故黄グループ?
で・・・毛利の場合、無双武将の
毛利元就、小早川隆景は
真田・武田と同じ赤グループだけど
子や孫の世代、毛利輝元などになると
秀吉と同じ黄グループが多い。
多分、元々血縁でない小早川秀秋だけが
徳川家康と同じ緑グループ。
(家康の家紋・旗が緑というわけではないが
赤の反対色だし、同じ相性グループの
伊達政宗や尼子はゲーム上で家紋が緑
なので私は緑グループと呼んでます。)
※相性グループの見分け方。
黄グループの代表である豊臣秀吉
青グループの代表である明智光秀
緑グループの代表である徳川家康
赤グループの代表である真田幸村
と同じ部屋の奉行にしてみた時に
赤マーク (`へ´)(拒絶反応)がついた場合は
その反対グループという事です。
対立してなければ青(^-^)表示。
知りたい武将が載ってなかったら
やってみてください。
それと、一般武将(汎用武将)は
地方別に並んでるのですが
どうやら戦国無双4(無印、通常版)と同じで
関東・中部 とか 東海・北陸
というエリアになっているようで。
4 Empiresでの地方とは少し違います。
小田原は東海に入ってるみたいです。
また、上杉は越後にいる頃の武将も
東北にエリア分けされています。
私がそうしたのではなくて
もともとこのゲームでそうなってるだけ
なので、ご了承ください。
黄(豊臣・上杉・島津)系
反青(柴田・明智・北条)
<無双武将>
06 上杉謙信
16 豊臣秀吉(実は浅井昌成が近江佐々木氏の末裔・木下
越中守高泰の婿となり木下弥助国吉と改名し
尾張に移住したのが曽祖父。父代も村長。水呑百姓ではない。
「ねね」の一族は杉原と名乗っていたが、秀吉の出世に従い
木下と名乗るようになった。 逆に、「ねね」との結婚まで
秀吉は苗字を名乗ってないとする研究もあるそうだ。
近衛前久の猶子となる事で関白に)
18 本多忠勝(徳川)
19 稲姫(本多忠勝の娘。徳川の養女として真田信之の正室に)
24 島津義弘
26 直江兼続(上杉)
35 加藤清正(豊臣秀吉の母の従姉妹の子。また
祖父の祖父である加藤頼方は明智頼常の四男とか)
36 黒田官兵衛(赤松庶流で宇喜多と同盟の小寺→豊臣。
晩年、秀吉に遠ざけられたのは、宇喜多系の例にもれず
キリシタン勧誘を活発に行っていたためか。
https://ironna.jp/article/10891?p=2 )
42 綾御前(上杉謙信の姉で景勝の母)
51 上杉景勝(上杉謙信の甥で養子)
54 島津豊久
<固有武将>
010 斎藤龍興
012 佐竹義重
014 上杉憲政(謙信の養父。関東管領の事実上の宗家
である山内上杉家。足利尊氏の母方の家系で藤原氏)
024 柳生宗厳(剣術の師は上泉信綱。大和勢力下。宗矩の父。十兵衛の祖父)
025 豊臣秀頼(このゲーム上の相性は淀殿と反対で秀吉系
だが大野治長の子という説も。197cm、161kgの大男だったそうだ。
八条宮智仁親王や結城秀康が父ではないかとする憶測も。
家康は秀頼の才覚と評判を恐れていた。
大坂夏の陣の後、次のような京童唄が流行した。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ」
色白の坊っちゃんという肖像画の印象そのままだが
その子が天草四郎(益田時貞)ではないか、という説あり。
四郎も少年使節というより甲冑武者そのものの肖像が残ってるが。
なお天草で過酷な徴税をはじめた寺沢広高は秀吉の部下
だが親友の安田国継は明智の家臣のち立花など経由し最後は
出世した方の部下にという若い頃の約束で寺沢に仕えたという。
また「ねね」の甥の豊後日出藩主・木下延俊と
細川藤孝の娘・加賀の間に生まれた事になっている
木下延由という人物は秀頼の遺児・国松では
ないかという説も。ちなみに45歳で急逝している。)
また加藤清正の熊本城の昭君之間も「招君」のため、
秀頼を招くためのものではなかったかと推測されている。
ゲーム上は隈本城だが清正の築城後に熊本と改められた説が強い。
028 河野通直
029 有馬晴信(肥前。島津と通じ龍造寺隆信を破った際
兵数は龍造寺が圧倒的だったが、イエズス会から
大砲の提供を受けていたので勝ったともいう。
それで長崎の浦上村をイエズス会に寄進している。
ゲーム上で相性悪い大友と通じていた時期も。
「天正遣欧少年使節」には有馬も大友も参加。
家臣だった有家監物の娘が益田時貞の妻で
有家は天草島原の乱の総大将的な立場だった可能性も。
晴信の嫡男・直純は一揆鎮圧側)
032 戸沢盛安(南部から独立しようと画策、最上と連携。「夜叉九郎」)
039 蘆名盛氏
041 柿崎景家(上杉)
042 上泉信綱(上杉)「ほう…剣聖に教えを請いたいと申すか」
043 長野業正(上杉)
044 宇都宮広綱「命尽きるまで…戦い抜いて、みせる!」
045 佐竹義宣「我は鬼義重が子・佐竹義宣なり!」
046 佐竹義昭「佐竹こそ源氏の惣領ぞ!
ひかえぬか、下郎!」
048 里見義堯(よしたか)「仁者必ず勇あり!
その身でしかと知るがよい」
049 里見義頼「最後には勝つ…どんな手を使ってもなあ…!」
051 村上義清(上杉)「こわっぱめが、
信濃一の武勇、とくと味わえ!」
064 太原雪斎(今川)
079 斎藤義龍 *川中島から桶狭間までの間の
「稲葉山城」の総大将の場合、特別な夜戦場となる。
「稲葉山城」でも彼が総大将でない場合は
「岐阜城」と同じ、水流のある戦場となる。
099 木村重成(豊臣。父は千利休の弟子)
103 足利義輝(母は近衛尚通の娘で正室は近衛稙家の娘。
義昭は弟。父・義晴は管領の細川晴元と対立し敗れ実権なし。
義輝も細川配下だった三好義継・松永久通らに暗殺された。
教科書には三好や松永以前に細川が実権を握っていた
事は出て来ず、まるで足利に実権があったような書き方だが。)
「将軍家としてではなく、
一剣士として相手願おう!」
104 小西行長(宇喜多→豊臣。
実父は堺の商人のち堺奉行。
養父は備前の豪商で宇喜多に出入り。
豊臣政権の中で千利休・豊臣秀長が
担っていた財務を三成と共に引き継ぐ。
高山右近の後押しでキリシタンに。
天草四郎=益田時貞の父・益田好次は
若い頃、小西の部下だった)
118 村上武吉(毛利)「村上水軍の誇り、天下に示さんか!」
119 毛利隆元
121 毛利輝元「毛利元就が孫・輝元!
祖父譲りの知略を見ろ!」
127 河野通宣(みちのぶ)「乱世と権力と
戦に翻弄されるが、我が定めか…」
129 相良義陽「いつでも友や義のため、
死す覚悟はできておる!」
135 島津家久
136 島津義久(実際は豊臣秀長・徳川家康派で
関ヶ原の戦いでは義弘に援軍を出さず
義弘は1000~2000人程度で戦うはめに。)
137 島津歳久
<固有姫>
003 戌(津軽為信の正室)
005 緑(南部晴政の娘。九戸政実の弟に嫁ぐ)
016 伊勢姫(生涯不犯の上杉謙信公の恋した人とされる)
017 英(佐竹義重の妹で宇都宮広綱の正室)
019 うた(豊臣秀長の家臣・尾藤頼忠の娘。
石田三成の正室で山手殿とは姉妹という)
025 梶(徳川家康の側室。太田道灌の一族という太田重正の妹という。
太田重正の母は遠山綱景の娘)
029 瀬名姫 今川義元の姪・養女で徳川家康の正室。
松平信康と共に処断された。
『安土日記』(『信長公記』諸本の中で最も古態をとどめ
信憑性も高いもの)や『当代記』では、信長は
「信康を殺せ」とは言わず、徳川家の内情を酌んで
「家康の思い通りにせよ」と答えている。つまり家康自身の
事情で築山殿と信康を葬り去ったということである。
一説では、それまでの家康とは別人だったためとも。
031 嶺姫 今川義元の娘。三国同盟の際に武田義信に嫁ぐ
040 京極マリア 浅井長政の姉で京極高吉の正室。高次・竜子らの母
060 だし 荒木村重の正室
061 お茶々 島左近の正室
070 文 浅井久政の養女で斎藤義龍の正室で龍興の母・・らしい
074 扇 細川京兆家・晴元の娘で朝倉義景の正室。
077 小西マリア 小西行長の娘
078 照姫 秀吉を苦しめた別所長治(赤松系)の
正室・照子。波多野秀治の妹、娘とも
083 モニカ 宇喜多直家の娘で明石全登の正室
086 問田の方 小早川隆景の正室
088 五龍局 毛利元就の次女で宍戸隆家の正室。
孫の古満姫が毛利輝元の養女となり迎えた婿が
「ねね」の甥の小早川秀秋。
089 周 毛利輝元の側室
091 寿 毛利隆元の正室
100 桐 大友宗麟の姉で河野通宣の正室
104 宰相殿 島津義弘の後妻
<東北>
斎藤朝信(上杉)
<関東・中部>
結城晴朝(小山高朝の三男だが度々実父と戦い結城家を守った)
佐竹義久
梶原政景(太田資正の次男で基本は反北条)
簗田(やなだ)晴助(古河公方足利)
<東海・北陸>
今川氏親
佐久間信盛(織田。「水野信元が武田に兵糧を送ってる」
と讒言したとの説あり。家康が武田信玄に敗れた
三方ヶ原の戦いで援軍として出陣したが早々に撤退、
信長を諌めるため自刃したとも伝わる平手政秀の三男
ないし孫の平手汎秀を見殺しにした等、様々な理由で
後に追放された。それで信長を暴君とするなら、
関羽を見殺しにしたとして劉封を処刑した劉備もだ。
目障りな大勢力に些細な事で難癖をつけて領地没収
する暴君は、むしろ秀吉や家康。なぜ連中には言わない?)
増田長盛(豊臣)
北畠具教(後醍醐天皇なき後の南朝の指導者だった家系。
正室は六角定頼の娘。側室は蜂須賀小六の正室となった大匠院?
母方の祖父は管領・細川の分家から本家=京兆家の養子
となった細川高国で、その弟という通政は長州の客将
となったともされているが、通政は架空の人物との説も)
<近畿>
河田長親(上杉:上洛の際に家臣に)
六角義賢(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では南近江の守護大名。一時は
浅井久政を支配下にしたが長政に敗れた)
京極高次(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では北近江の守護大名。
浅井は元は臣下の家系。本能寺の変の後、
明智に加勢した数少ない大名。のちに
豊臣側と見られていたのに東軍に加わった
のも、明智=天海と通じていたためかも)
伊勢貞興(足利→明智)
一色藤長(足利義輝の御供衆。
足利一門で、室町時代の初めは
九州探題として南朝側と戦っていた家系だが
三河守護の頃に守護代だった菊池西郷氏は
南朝側だった家系で、徳川と姻戚関係に。
ちなみに一色らが九州から敗走した後に
九州探題となり戦果を上げたのが今川貞世=了俊。
一色義道・義定は丹後の大名だったが
細川藤孝・忠興に敗れ、あるいは謀殺された)
<中国>
明石全登(赤松系。浦上→宇喜多)
福原貞俊(毛利)
安国寺恵瓊(毛利)
村上通康(河野)
穂井田元清(毛利)
福原広俊(毛利)
小早川秀包(毛利元就が71才の頃に生まれた9男で
異母兄である小早川隆景の養子。キリシタン。
母親は乃美大方で穂井田元清は同母兄。
立花宗茂の義兄弟。妻は大友宗麟の娘。)
<四国>
ここは黄グループは目立たない
<九州>
相良晴広
深水長智(相良)
松浦鎮信(大内・大友に臣従)
島津貴久
頴娃(エイ)久虎(島津。ちなみに真田幸村が
落ち延びて住んでたという伝説のある地区は
頴娃町 牧之内 雪丸)
上井覚兼(島津)
伊集院忠棟(島津)
新納(にいろ)忠元(島津)
青(柴田・長宗我部・北条)系
反黄(豊臣秀吉・上杉・島津)
<無双武将>
04 明智光秀(ゲーム上は美濃斎藤下だが、
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
*諸説ありますが、詳細は考察すると長くなるので、
こちらを御覧ください。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-317.html )
光秀の亀岡城(亀山城)を宣教の拠点とした
大本教の出口王仁三郎(明治天皇の決定で信長を祀る
建勲神社が京都にあるが、そこで神官をしていた事もある)は
光秀が千利休になったとしているので、裏千家って何?
という事が氣にかかる。
https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11999575030.html
05 石川五右衛門(秀吉に処刑されたので光秀の子との俗説も)
07 お市(織田信長の妹で浅井三姉妹の母のち柴田勝家の正室)
17 今川義元
22 浅井長政(浅井三姉妹の父)
25 立花誾千代(父は大友重臣の立花道雪。宗茂は婿)
28 風魔小太郎(北条)
31 長宗我部元親(正室は明智家臣の斎藤利三の異父妹)
32 ガラシャ(明智光秀の娘で細川忠興の妻)
34 柴田勝家(織田)
37 立花宗茂(大友。肥後の丸目長恵は剣術の師で上泉信綱の弟子四天王)
38 甲斐姫(成田。のち秀吉の側室)
39 北条氏康(もちろん本物はヤクザではない)
46 柳生宗矩(徳川家光の剣術師範)
53 小少将(阿波細川→三好→同名の娘が?長宗我部の側室)
55 早川殿(北条氏康の娘で今川氏真の正室)
<固有武将>
001 上杉景虎(北条氏康の子で上杉謙信の養子)
002 高橋紹運(大友。吉弘鑑理の次子で立花宗茂の実父)
006 陶晴賢(毛利の主君だった大内から権力を奪う)
007 斎藤道三
008 伊達輝宗
009 武田勝頼
015 成田長親(小田原征伐の際の忍城主のち蒲生配下から再び大名)
016 武田信廉
017 北条氏邦
018 北条氏政
019 北条氏照
021 徳川秀忠「守成において、この秀忠の右に出る者なし!」
030 大友義統
035 伊達成実(しげざね。伊達三傑)
「俺は退却の二文字は知らん、まかり通るぞ!」
037 最上義守
038 片倉重長(伊達)
058 武田信繁「武田信繁、
自ら前線に立ち、兵の士気を上げる!」
063 山本勘助(武田)
065 北条綱成「勝った! 勝った!
地黄八幡、推して参るぞ!」
071 可児才蔵(柴田勝家→明智光秀→福島正則など)
080 畠山義綱「畠山家の栄光、必ず取り戻してくれる…。ゆくぞ!」
090 山内一豊(豊臣→徳川。豊臣秀次と仲が良かったため
家康派となり、関ヶ原での東軍の勝利に貢献、土佐藩主に。
長宗我部の旧臣を騙し討ちしたりもしている)
094 磯野員昌(浅井)「近江きっての剛の者…。
この刃、受けきって見せよ!」
096 小川祐忠(祖父は六角下→浅井→織田など)
117 北条早雲(日野富子の子・足利義尚の奉公衆だった
伊勢新九郎。姉妹が今川義忠の妻。子の氏綱の正室の
養珠院殿が執権北条氏の末裔とされる横井・横江氏
だった可能性あり、そのまた子が北条氏康)
126 長宗我部信親「父・元親の名は汚さぬ。
堂々とよい戦いをしよう!」
130 由布惟信(大友)
131 小野鎮幸(大友)
132 立花道雪(大友)
133 大友宗麟
134 伊東義祐
<固有姫>
001 愛姫(伊達政宗の正室)
「たとえ武器が折れても、懐刀であなたを…!」
002 飯坂の局(伊達政宗の側室)
004 久保(伊達晴宗の正室)
006 藤代御前(津軽為信の側室になる事を拒否し討ち死に)
008 義姫(最上義光の娘で伊達輝宗の正室。政宗の母)
012 彦姫(伊達晴宗の娘で蘆名盛隆の正室)
020 諏訪姫(武田信玄の側室で勝頼の母)
021 定恵院(武田信玄の姉で今川義元の正室)
022 菊姫(武田信玄の五女で上杉景勝の正室)
026 静(北条氏康の娘で武田勝頼の正室)
028 白井の局(成田長泰の正室のち足利義輝に仕え殉死)
030 おりん(飯尾氏の家臣・松下之綱の娘で柳生宗矩の正室。
之綱の義兄弟の松下清景は井伊家の家老となった。
なお、之綱は秀吉の最初の主君という。
秀吉の親の代の木下家は、那古野氏に仕えていたが
今川は婚姻関係のある那古野氏を強引に配下にしていた)
036 督姫(徳川家康の次女。北条と和睦の際に氏直に嫁ぐが
死別、秀吉の肝いりで池田輝政に再嫁。
輝政を豊臣秀次から引き離すため)
037 千姫(江と徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室のち本多忠刻の正室。
実際は秀頼とも非常に仲が良かったらしいがゲーム上は・・)
041 千代(山内一豊の良妻。内助の功で夫は土佐藩主に)
044 小百合姫(佐々成政に殺され呪ったという
伝説があるが領主交代の際の作り話かも?)
048 まつ(前田利家の良妻。自ら人質に赴いたという。
「ねね」と仲が良かった)
066 淀殿(お市と浅井長政の娘で豊臣秀頼の母。
なのに江の娘の千姫と同じく秀頼と相性が悪い)
067 江(お市と浅井長政の娘で徳川秀忠の継室。
その前に秀吉の甥の秀勝にも嫁いでいて、
娘の完子は九条幸家の正室となっている。)
068 初(お市と浅井長政の娘で京極高次の良妻)
069 阿久(阿久悠・・・じゃなかった、浅井長政の姉)
087 妙玖(毛利元就の正室)
093 阿喜多(一条兼定の妹で伊東義益の正室)
099 宋雲院(高橋紹運の正室。立花宗茂・直次の母)
102 妙林(大友家臣・吉岡鑑興の正室。子の統増が
若い兵を連れ臼杵城に籠もる中、鶴崎城を老兵と奇策で死守)
103 ジュスタ(高橋紹運の妹で大友義統の正室。吉弘統幸、立花宗茂の叔母)
<東北>
鮭延貞綱(最上)
天童頼貞(最上)
鬼庭綱元(伊達)
遠藤基信(伊達)
屋代景頼(伊達)
氏家定直(最上)
氏家守棟(最上)
<関東・中部>
酒巻靱負(ゆきえ。成田)「武辺者を自負する者は、名乗りを上げられよ」
正木丹波守(成田)「近づく者はことごとく我が朱槍の餌食と心得よ」
柴崎和泉守(成田)「武功一等柴崎和泉守を前にしてどこみてやがる」
<東海・北陸>
北条氏親
板部岡江雪斎(北条)
北条幻庵(北条早雲の末男。妹はいる。
父、兄、甥の氏康、その子・氏政、孫・氏直
の5代に渡って仕え、一門の長老という立場に)
本多正純(徳川)
土井利勝(徳川)
池田利隆(池田輝政の長男。徳川)
畠山義慶(よしのり)「私がしっかりしなければ…。
お家をまとめるために…」
佐々成政(柴田勝家→肥後)
佐久間盛政(織田)
<近畿>
海北(カイホウ)綱親(浅井)
堀直清(直政の子)
堀秀治(秀政の子)
「我こそは、名人久太郎!
…の息子…。見くびるなよ!」
堀直政(堀家臣の奥田が堀姓を頂いた)
細川忠隆(忠興とガラシャの長男。
正室は前田利家の七女・春香院)
<中国>
山名祐豊(赤松)「応仁に栄華誇りし山名宗全が末・山名祐豊、参る!」
花房正成(宇喜多)
<四国>
吉田孝頼(長宗我部)
香宗我部親泰
長宗我部国親
谷忠澄(長宗我部)
久武親直(長宗我部)
吉良親貞(長宗我部)
土居宗珊(一条)
立石正賢(長宗我部→細川)
<九州>
阿蘇惟将(甲斐宗運の主君)
問注所統景(大友→小早川)
大内義長(大友から養子、陶晴賢の傀儡)
角隈石宗(大友)
吉岡長増(大友)
赤(細川・三好・真田)系
反緑(最上伊達・黒田宇喜多・織田徳川)
<無双武将>
01 真田幸村(実は長男ではないかという説あり。信之が弟ではないかと。)
08 阿国(鍛冶の娘で、出雲大社の巫女として諸国を
巡回し評判になったという。かぶき踊りを創始。
夫は蒲生氏郷の小姓だった名古屋山三郎で
小田原征伐の頃はまだ十代。政宗、幸村より若い。前作
3 Empiresでは毛利元就を持ち上げる芸姑みたいだが )
09 くのいち(女性忍者をくノ一と呼ぶ説は否定する学者も。
講談の真田十勇士あたりがモデルというべきか)
10 雑賀孫市(息子は秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮側に寝返り
金忠善、沙也可と呼ばれたという仮説がある。
和歌山の漁村に亀甲船みたいなのが何隻も停泊してるのも、
韓流ブサメン推しなのも、そういう事。)
雑賀衆は必ずしも織田と敵対せず逆に三好攻めに参加してる。
また織田系グループの家康は朝鮮出兵反対派である。
11 武田信玄
21 石田三成(豊臣)
23 島左近(筒井→石田)
29 宮本武蔵(父は赤松氏支流の新免無二で黒田に従い東軍か。
宇喜多と同じ西軍という仮説もあった。晩年は肥後細川の客分
だが家康と反対の赤でなくても・・・黄でよかったのでは?
まぁ、このゲームが「赤に動かされる青」史観なんだろうけどさ。)
40 竹中半兵衛(斎藤→織田。秀吉につけられた与力。
美濃斎藤氏の重臣の子だが、斉藤龍興に煙たがられ
21歳にして計略で稲葉山城を乗っ取り、半年後に返還し隠棲
したという。多くのエピソードは後世の脚色らしい。
黒田官兵衛が荒木村重の元から戻らなくなった際、信長は
裏切りを疑い人質の黒田長政を処刑するよう命じたが、
半兵衛が長政をかくまって生かした。官兵衛は
裏切ったのではなく村重に監禁されていたのだそうだ。
足も不自由になったとか)
41 毛利元就
47 真田信之 *ゲーム上の家紋色は黄だが妻の稲姫と同じ相性系統ではない
48 大谷吉継(豊臣)
49 松永久秀(三好長慶が細川晴元を放逐する頃から台頭。
堺奉行をしていたらしい。足利義輝の御供衆にまで出世。
長慶の死後は、若年の三好義継の後見人だった阿波の
三好長逸・三好政康・岩成友通ら三人衆と対立。なおフロイス
によると筒井氏の要塞化した東大寺の大仏殿に火を放ったのは
三人衆側のキリシタンだという。久秀は三人衆が担ぐ足利義栄
から討伐令を出されるなど苦境の中、足利義昭を擁立する
織田信長と連絡をとる。名目上は幕臣であり、義昭が
信長包囲網を築くと義昭側となった。多数の名物茶器を保持。
長慶にならって古墳を破壊して城を築いていた。)
52 小早川隆景(毛利)
<固有武将>
003 龍造寺隆信
004 鍋島直茂(母親は龍造寺隆信の父親の妹か姉。
さらに継母が龍造寺隆信の実母。肥前藩主に)
011 弘中隆包(大内)
022 朝倉義景(正室は細川晴元の娘で
継室は近衛稙家の娘。叔母は
土岐頼武に嫁ぎ、嫡男・頼純を産んだ。
六角氏からの養子だった可能性あり)
「朝倉義景の恐ろしさ、
とくと味わえ、きえええい!」
027 十河存保(三好。小少将と三好実休の子。
ゲーム上は父親の縁者。母親との縁者扱いは無い)
033 南部晴政「三日月の丸くなるまで、攻め抜くのみよ!」
036 伊達晴宗「わしは戦う…次代に禍根を残さぬために…!」
040 蘆名盛隆「俺っていい男だろ?
俺と一戦、交えてみないか?」
047 太田資正(扇谷上杉→成田→宇都宮→佐竹。
三男の資武は結城秀康に仕え福井藩の家老に)
050 真田昌幸「真田は策のみにあらず…。
武も味おうてもらおうか」
*大名にすると群馬だろうが静岡だろうが
戦場が信州上田城になるので注意
052 真田幸隆(武田)
053 馬場信房(武田)
054 内藤昌豊(武田)
055 高坂昌信(武田)
056 山県昌景(武田)
057 秋山信友(武田)
059 今川氏真「戦は嫌じゃ。蹴鞠で勝負せんかのーぅ?」
060 朝比奈泰朝(今川)
061 結城秀康(家康の側室の子。家康は当初、
自分の子として待遇せず、面謁さえ許さなかった。
不憫に思った長男・信康が無理やりに父子を
対面させたほど。人質として秀吉に送られ養子となる。
秀頼が誕生すると結城家に養子に出され大名に。)
062 岡部元信(今川→武田)
074 斎藤利三(明智。「春日局」福の父。異父妹は長宗我部元親の正室)
077 日根野弘就(斎藤義龍→今川→豊臣)
078 明智秀満(のちに家康の側近・南光坊天海という説あり。
子の三宅重利は細川の庇護を受けた後、
安田国継の縁で寺沢広高に仕え、
天草島原の乱で敗走し自刃)
081 真柄直澄(朝倉)「我が次郎太刀が、勇者の血を求めておるわ!」
082 真柄直隆(朝倉)「我が太郎太刀が、強き敵を求めておるわ!」
095 遠藤直経(浅井)「伊賀の遠藤、推参」
100 足利義昭「将軍家の血に刃向かうとは謀反人め!」
(信長に擁立され将軍となったが傀儡でしかない
事に氣づき、毛利輝元の元に潜伏して
石山本願寺などを支援。信長の妹婿の浅井も寝返らせた。
というのは義昭単独の謀略というより室町幕府最後の
実権を握っていた細川や、藤原氏九条家、近衛家など
百済人のいつもの謀略ではないかと。実はフン族=匈奴
であるイエズス会は藤原氏が朝鮮人である事に氣づき
自分たちに加担するよう求めたはず。藤原氏は「体制」
を守るために細川とつるんだはず。毛利は自称は
菅原道真と同じ土師氏系の大江氏だが百済系の大内に
臣従し、吉川・小早川を背乗りするなど手口が百済人。
毛利も背乗りしただけで元は大江氏ではないのでは?
家康は東インド会社とつるんで大砲など入手したわけで
今日の外資跳梁跋扈の原因となっている。
光秀はよく分かってないで操られたのでは?
秀吉がキリシタンくさい武器商人・千利休と対立したのも
どこまでわかっての事なのか。
日本人奴隷に関し、よく引用される
「日本使節の見聞対話録」と
「デ・サンデ天正遣欧使節記」(日本語訳)
https://iwahanjiro.exblog.jp/238020243/
{
天正15年6月(1587年7月)、秀吉は日本の中央政権として初めて正式なキリシタン禁令を発布するが、その直前にイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョのもとに使者を送り詰問を突き付けた。その中に「何故にポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷としてその国に連れ行くか。」という内容が含まれていた。
これに対するコエリョの回答は、「日本側の諸領主に対し禁止を勧告すべし。」というものだった。つまり、「奴隷を売る者(日本人)がいるから買う者(ポルトガル人)も出て来るのだから、日本の当局が奴隷を売ることを禁止すればよい。」とコエリョは秀吉に反論したことになる。「対話録」でのミゲルの発言は、そのコエリョの回答をそのままなぞっているのである。
}
{
日本人奴隷拡散の規模とその境遇の悲惨さを日本人が知るための客観的な資料は、その時代はもちろん、つい最近までほとんど無かった。私にしても、インタ-ネットなどで「戦国時代のキリシタン大名が弾薬と引き替えに何十万人に及ぶ奴隷を輸出していた。」等の記述に接し、その可能性も否定できないけれど、もしかして誇張ではなどと思うしかなかった。
しかし、今回改めて「対話録」を読んで、日本人奴隷拡散の規模・程度が世界的に周知の事実となっている以上、もはやこれを日本人に対して隠し通すことは不可能であり、キリシタン教会の組織防衛の観点からそれを認めたうえでの反論を用意したということではないかということに思い至った。
}
*引用註:そう言ってる秀吉自身が騙し討ちなどやらかしてるのだから、これだけで秀吉を称賛するのはおかしく、むしろ朝鮮人が秀吉を誉める事を異様に思うべき。家康にはイギリスからのカルバリン砲があったし、オランダ人の外交顧問もいた。またスペイン国王からもらった時計が久能山東照宮にあったりもする。とにかく東インド会社やイエズス会宣教師(武器商人)と関係あるようだ。一方、雑賀衆、根来衆、伊達、織田など全ての鉄砲が奴隷を売る事で引き換えに得たものだという証拠があるわけではない。鉄砲鍛冶は既に国内に存在している。
特亜は自分の罪を他人になすりつけるので、むしろ何の根拠もなく、キリシタン大名でもない大名が奴隷を売ったなどど断定する連中を疑うべきである。信長公はキリシタンではない。神官の末裔だ。それも非常に由緒深い。比叡山焼き討ちも細川がやった事を転嫁されてるだけの可能性大。詳しくは明智光秀のところでリンク先に書いてある。
*最大の容疑者は、もちろん細川と、鬼畜藤原、
それに高山右近ら千利休一味だ。
ついで、毛利、徳川、生きているなら明智(天海?)だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008140001/
現在では在日朝鮮人が大名姓を名乗る事が多い。
武田アンリだけでなく全く分かってない織田信成なども
在日朝鮮人と一緒になってスケートなどやってるわけ
で不自然、才賀紀左衛門などと一族の経歴が似てる。
また創価パソナ南部、竹中平蔵なども背乗りする氣では?
しきりに本多忠勝の子孫と宣伝されてる三木谷の
親戚のABCマート三木は朝鮮学校出身。藤原の謀略臭い。
https://ameblo.jp/minomushi1968/entry-12010633577.html
親類も創価役員、人脈が関東連合など特亜大本営、
プロ野球参入させた渡辺恒雄は児玉誉士夫の小姓あがりで
その上司だった笹川良一は韓国籍で本名は文堯、
児玉にも在日説あり、三木谷自身の顔が室町以前の
帰化人にしてはゆがみすぎ。自覚できない感性もおかしい。
それに文堯の運転手だった松井(強姦魔・維新松井の親)
の姓が急激に増えすぎだと思わない?野球とかブスドルとか)
101 細川忠興(父代からの重臣が松井康之)
102 細川藤孝(足利義輝の御供衆→織田→徳川)
「わしは万能に達しておる…無論、武芸にもな」
105 荒木村重(池田勝正→三好→千利休)
113 浦上宗景(宇喜多は家臣というよりやや従属的同盟相手)
116 清水宗治(毛利)
120 吉川元春(毛利)
122 三好長慶「この国の秩序は、
乱世の風雲児たるわしが守る」
(足利義輝の御供衆。細川晴元から離反し
細川氏綱を管領に擁立。氏綱の死後、
弟の細川藤賢は足利義昭に仕えた後
織田配下となり坂本城に配属された)
123 三好政康(三好宗渭の「細川両家記」における名。
これは誤伝らしく、実際の俗名は政勝→政生。
三好長慶の死に乗じて将軍親政を
復活させようとした足利義輝を暗殺。
足利義栄を将軍に擁立。三好三人衆と呼ばれる。
三好義継の後見人だったが対立したり和解したりで
傀儡だった細川真之は臣下だった家系の
長宗我部を頼るようになり、三好家は衰退した。
大坂の陣で88才で戦死した三好清海は
政康の後身という俗説がある。また講談の
真田十勇士の三好清海入道のモデルとされるが
政康に真田氏との関係はない。ただ豊臣秀次は
秀吉が三好と同盟する際に三好康長の養子となり
三好信吉と名乗っていて、その娘とされる隆清院が
真田幸村の側室となった。子の幸信は大坂の陣の
後に産まれたため真田と名乗れず三好と名乗った)
「神仏は信じぬ。信じるは、己の力だけよ!」
124 三好義継(長慶の養子。長慶の弟・十河一存の子。
足利義輝を暗殺した永禄の変の後、キリスト教宣教師の
ビレラとフロイスを京都から追放した。信長の仲介で
義輝・義昭の妹を妻とし、反信長となった義昭を匿った)
128 甲斐宗運(阿蘇。相良義陽は同盟相手。
後醍醐天皇側として足利尊氏らと戦った菊池氏
の子孫。ちなみに薩摩の西郷隆盛も菊池氏の子孫)
<固有姫>
007 喜多(伊達三傑の片倉小十郎と鬼庭綱元の姉。政宗の乳母)
011 芳(伊達晴宗の五女で佐竹義重の正室)
013 花(伊達稙宗の娘で蘆名盛氏の正室)
015 輝子(甲斐姫の祖母。71才の老齢にして北条を撃退した事もあり、小田原征伐の際は子の由良国繁に代わり桐生城を守っていた)
023 お松(武田信玄の娘。織田信忠の正室とする迎えが来るも本能寺の変で会えぬまま尼に)
027 鶴(北条氏政の娘で里見義頼の正室)
032 田鶴(今川氏親の孫で飯尾連龍の妻)
「巴板額に比する武勇、味わってみる?」
039 煕子(明智光秀の正室)
042 福(徳川家光の乳母、春日局。明智家臣・斎藤利三の娘)
043 麝香(細川藤孝の正室)
046 摩阿(前田利家の三女で豊臣秀吉の側室)
049 秀子(筒井定次の正室。信長の三女。光秀の五女とも言われる)
053 豪(前田利家の娘、妹とも。
豊臣秀吉の養女で宇喜多秀家の正室)
064 竜子(京極高吉・マリアの娘。豊臣秀吉の側室として寵愛され
兄の高次が淀殿の妹の初と結婚し出世するのに貢献)
075 山手殿(真田昌幸の正室で幸村・信之の母)
076 糸子(池田輝政の正室、糸姫。
高山右近の従兄弟の中川清秀の娘)
*なんで照子が照姫で糸姫が糸子なんだよ・・・
というのは実は何となく分かってるけど
ここでは書かないでおきます。このブログを
読んでる方には分かる人もいらっしゃるかも。
079 小袖(大野治長の母。孫の?豊臣秀頼の乳母)
090 新庄局(吉川元春の正室)
096 於京( 天草合戦で加藤清正に討たれた木山弾正の妻)
097 彦鶴姫(鍋島直茂の正室)
098 美代姫(龍造寺五天王・百武賢兼の正室)
*このグループは特に
夫や親類と相性が逆の姫が多い・・のでは??
<東北>
石川高信(南部。子の信直は南部晴政の長女の婿で
南部氏を継いだ)
九戸(くのへ)政実(まさざね) 南部宗家を弟でなく晴継暗殺の
容疑者である石川信直が継いだことに大きな不満を抱き挙兵。
信直は秀吉に援軍を求める。九戸城は天然の要害であり
6万を超える豊臣軍も攻めあぐんだ。そこで九戸氏の菩提寺
である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として交渉。
九戸政実は自分だけは犠牲になってもよいが
臣下は助命してくれと要求、条件は受け入れられ開城したが
約束は破られ、女まで殺された。こうした騙し討ちの手口は
百済人の「桓武天皇」による東北侵略の頃と同じである。
つまり秀吉はマッカーサーにも劣り、「風の谷のナウシカ」の
クシャナ殿下にも劣る幽界(がいこく)魂という事だ。
マッカーサーと昭和天皇の話が九戸公の話のパクリでなく実話ならだが。
豊臣秀長が生きていたら残酷な騙し討ちみたいにはならなかった
のではないかという意見も聞かれる。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、秀吉に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
北信愛(きた・のぶちか。南部)
九戸信仲(南部。九戸政実の父)
南部信直「…立ち回りは上手くないが、
戦いなら、負けん」
八戸政栄(南部)
里見民部(最上から嫌疑かけられ敗走)
中野宗時(伊達晴宗を擁立した重臣。輝宗に謀反嫌疑かけられ敗走。
家康から秀吉に乗り換えた石川数正は、同じように処分されるの
を恐れたのではないかと。立場の強すぎる家臣がいると言いがかり
をつけて制圧するのは晋の司馬氏などもやっている。連中自身が
そうやって曹氏から権力を簒奪したわけで。)
<関東・中部>
那須資胤
大関高増(那須資胤から独立)
河原綱家(真田家臣。叔母・恭雲院が真田幸隆に嫁ぐ)
真田信政(信之の次男)
武田信虎(武田信玄の父。息子に追放された。)
「地獄に堕とす…。貴様を、貴様の民を、すべてを!」
<東海・北陸>
朝倉宗滴(7代・孝景の八男で、9代・貞景、
10代・孝景=宗淳、11代・義景の参謀)
<近畿>
松井康之(細川。幕臣で足利義輝没後
織田配下となった松井友閑の甥。)
玉置小平太(鉄砲で武装した僧兵・根来〈ねごろ〉衆らと共に織田と戦い敗北。
ちなみに根来衆には長州の毛利の家臣になった者も。)
下間(しもつま)仲孝(同下)
下間頼廉(石山本願寺・一向一揆)
<中国>
池田勝正(三好長逸と通じた荒木村重に
池田城から追放されたが、荒木への抑え
として原田城主に。しかし織田と足利義昭が
決裂すると幕府側についたため、織田家臣
となった荒木村重に原田城からも追放された。
金ヶ崎の撤退の際は秀吉や明智でなく彼が
しんがりの指揮者だった可能性あり)
赤松政秀(浦上から独立画策、黒田に大敗)
乃美宗勝(毛利・小早川)
吉川元長(元春の嫡男)
吉川広家(元春の三男。小早川秀秋よりも
ずっと家康寄りの言動をしている。
むしろ広家が裏切りの中心のような
書状が残されている。毛利全体の行動が不審だが)
<四国>
篠原長房(三好。小少将の3人目の夫)
三好義賢(子少将の2人目の夫・実休か)
十河一存(三好長慶の弟で十河存保の養父)
西園寺公広(河野というか伊予勢力下)
<九州>
成富茂安(龍造寺・鍋島)
緑(最上伊達・宇喜多黒田・織田徳川)系
反赤(細川・三好・真田)
*黒田官兵衛は黄の豊臣秀吉系だが息子や家臣が緑の家康・佐々木小次郎系。
また伊達も晴宗の世代などは別。
最上義光の妹の義姫が伊達輝宗の妻で政宗の母。
<無双武将>
02 前田慶次(織田→上杉)
03 織田信長(無宗教と見るのは間違いで
本来の天つ神の血筋で百済人などではない
継体天皇と関係する越前二宮・剣神社の神官の家系。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
にしては戦国の謀略にまみれてはいるが
他の勢力も大半は同じかそれ以上に酷い。
キリシタン大名は「汝の敵をも愛せよ」を守らず
宣教師は武器商人、利休も同類、本願寺は
僧兵という時点で不殺傷戒を破っている。
それを宗教勢力と呼び特別視し「そいつらだけは
どんなに殺人をやらかしてもよく、他は反撃しては
いけない」などというのは不公正、差別、ダブスタ)
12 伊達政宗
13 濃姫(斎藤道三の娘で母は明智一族?
織田信長の妻。その前は土岐頼純の正室
だったという説も。鷺山殿。帰蝶、胡蝶とも)
14 服部半蔵(徳川)
15 森蘭丸(織田。森長可の弟。
乱ないし乱法師。蘭丸というあて字は
後世の印象操作。署名では森成利)
20 徳川家康(大坂の陣など複数の機会で
双子の兄弟や影武者と入れ替わった
可能性が指摘されている。大坂落城後、
家康は略奪強姦を放置した。1万数千の首が飛び、
生き残っても、奴隷狩りに遭った者、数千。
その様子を描いたのが「大坂夏の陣図屏風」
であり、「おきく物語」だ。信長公は京都に入る際
一銭盗んでも死罪とし略奪強姦を禁じた。
家康は逆だ。そんな奴を神君などと
呼ぶのはカルトか、よくて歴史捏造。
当時は連中が軍事力を持っていたので仕方ない面も
あるかと思うが、今は客観的に公正に見るべきかと。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、家康に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
幕末・明治期の長州のペクチョンなどによる
会津などに対する暴虐もひどいが、江戸幕府も
そうした蛮行から始まっている事実を隠してはならないだろう。
信長公が特別に「宗教弾圧」してたかにほざく奴らがいるが
家康も一向一揆を鎮圧してる。しかも自領内で家臣だった者も
反乱軍に加わっている。奈良の興福寺の宗徒の
筒井氏を伊賀に移したのは信長公ではなく秀吉。弟の秀長は
奈良の寺社勢力から特権を奪い商業利益を吸い上げたし
筒井を取り潰したのは家康だ。一説では山崎の戦いで明智に
味方しなかったので明智である天海が憎んだのではないかと。
同じく山崎で加勢しなかった細川にはガラシャの子がいたが。
信長公は本拠地で悪政のために反乱されたのではなく
朝倉などとつるんだ比叡山の僧兵を攻撃したり、
今の大阪城の下に埋もれている大坂城のできる前に
あった石山本願寺を攻めたりしただけ。石山というのは
元は寺ではなく磐座があったからという説あり。
古墳があったとも言われる。
また浄土真宗開祖の親鸞聖人の時代には既に
比叡山の僧など堕落して、下手すると武士などより
欲まみれの俗物である事が知られている。ちなみに
当時、武装したわけでも一揆を起こしたわけでもない
親鸞聖人を弾圧したのは後鳥羽上皇、松虫鈴虫事件)
27 ねね(豊臣秀吉の正室。
浅野長政の妻である「やや」の姉。
もちろん、女忍者ではなかった)
30 前田利家(織田)
33 佐々木小次郎(細川小倉藩の剣術師範だが相性が・・武蔵の逆)
43 福島正則(豊臣秀吉の叔母・松雲院の子)
44 藤堂高虎(浅井→豊臣→徳川)
45 井伊直虎(今川→徳川。井伊直政の養母。いや男という説も)
50 片倉小十郎(伊達)
56 井伊直政(徳川)
<固有武将>
005 最上義光(伊達政宗の母方の祖父。「羽州の狐」「虎将」)
013 宇佐美定満(上杉)
020 井伊直盛(今川。井伊直虎の父)
023 織田長益(織田信秀の十一男、有楽斎・如庵。千利休の弟子)
026 尼子勝久「私を盛り立ててくれる兵らのために!」
031 島津忠長
034 津軽為信(南部から独立。三成の次男・重成を匿って重臣・杉山源吾とした。
三男・信枚の側室は三成の三女で「ねね」の養女・辰姫。
松平康元の娘を正室とするまでは辰姫が正室だった。
津軽の領有を認めてもらえるよう交渉した三成に感謝していたが
旧主君の南部など周囲が東軍のため西軍につけば攻め込まれる
口実を与える事となるため西軍につけず、
しかし三成に報いたかったのではないかと推測されている。
信枚は南光坊天海の弟子となり江戸幕府にとりいる事にも成功)
066 酒井忠次(徳川)
067 鳥居元忠(徳川)
068 榊原康政(徳川)
069 渡辺守綱(徳川)
070 堀秀政(織田。13才までは秀吉の部下だった)
072 安藤守就(斎藤→織田。娘婿が竹中半兵衛)
073 稲葉一鉄(斎藤→織田。斎藤利三の元の主君で春日局の祖父。
また千利休の弟子の牧村利貞の祖父でもある)
075 氏家卜全(斎藤→織田)
076 仙石秀久(斎藤→織田)
083 富田長繁(朝倉)「愉しいなア、戦は…。
天下すべてが敵になればいい…」
084 丹羽長秀(織田)「鬼五郎左の武勇、思い知らせてくれる!」
085 豊臣秀長(秀吉の異父弟。父方は水野氏庶流。
母親が水野氏である家康は遠い親戚にあたる。
秀吉は継父を嫌い家を出たが、秀長は兄への理解もあり、
秀吉が織田家臣である間は仲が良く優れた助手だった。
秀吉が妹を離婚させ家康に嫁がせたり、
秀長の婿養子を廃嫡させたりで関係悪化。
母の死、秀次切腹などより前に死去)
086 蜂須賀小六(美濃と尾張の国境辺りの川並衆。
一説では秀吉の元の主君。秀吉の誘いで織田配下)
087 毛利勝永(豊臣)森から改姓。毛利も当時はモリと読む
088 九鬼嘉隆(弁慶と同じ熊野水軍。北畠→織田。
子孫は丹波綾部と摂津三田の藩主に)
089 織田信雄(本能寺の変後、徳川家康に擁立された)
「予と刃を交える、か。無明、よ」
091 森長可(織田)「鬼武蔵の前に立つんじゃねえ!
死にたくなきゃな」
092 織田信忠「信長の子の肩書きだけで俺と対さば
痛い目を見るぞ」
093 蒲生氏郷(織田)「麒麟児・蒲生氏郷、がむしゃらに突撃する!」
097 小早川秀秋(「ねね」の甥で小早川隆景の婿養子。
旧臣たちは関ヶ原での裏切りを責められたため
仕官先がなかったなどと言われることがあるが、
実際には平岡頼勝は家康に、志賀親次は福島家を経て
細川に仕官している。稲葉正成の後妻は「春日局」福。
家光の乳母となる際に離縁してからも連携は続いてる)
098 滝川一益(織田)「元をたどれば伊賀の忍び、
その手練手管、味わえ!」
(甲賀出身と言われる事が多い。伊勢・志摩という説も)
106 赤井直正(波多野元秀の娘が正室だったが死別、
近衛前久の妹が継室)
107 波多野秀治(丹波。赤井と共に光秀の猛攻に耐えた)
108 山中鹿介(尼子十勇士)
109 尼子晴久
110 黒田長政
111 後藤又兵衛(黒田)
112 母里(モリ)太兵衛(黒田節。酔っ払った福島正則から
大盃の酒を飲みほせば望みの品を与えると
挑発され、名槍「日本号」を入手した。その前の
日本号の持ち主は正親町天皇→足利義昭→信長→秀吉)
114 宇喜多直家「謀聖の戦、存分に堪能されよ…ひっへっへ」
115 宇喜多秀家「秀家の前に立ちはだかるか! たたっ斬る!」
125 一条兼定「高貴なる一条家の出の兼定が、
なぜ直接戦わねばならんのだ…」
<固有姫>
009 大崎殿(最上義光の正室。駒姫の母)
010 駒姫(最上義光の娘。秀吉の養嗣子だった秀次の
側室となるが会う以前に夫と共に刑死)
014 お船(直江景綱の娘。兼続は婿)
「センと戦うのですね…わ、わかりました」
*このセリフ、本当は千姫のだったのでは?
018 藤(佐竹義久の娘で義重の養女。宇都宮国綱の正室)
024 望月千代女(武田。武士の娘が巫女頭になるのは
不自然なので女忍者ではないかという説が1971年から)
033 花姫(松平康親の娘。井伊直政の正室)
034 かな(加藤清正の後室)
035 乙女(本多忠勝の側室で稲姫の母)
038 碓氷姫(酒井忠次の正室)
045 吉乃(生駒家宗の娘で織田信長の側室で信忠・信雄・徳姫の母。
諸説あるが信長の母方の祖父を土田政久とする説に従うなら
その母方の祖父は生駒家広なので、信長が吉乃に母の面影を
見ていたのではないかという説も出てくる。
生駒家は蜂須賀家とも姻戚関係があり、
秀吉は生駒家に居候し情報を織田に送る事で仕官できたという。
なお吉乃というのは武功夜話における名。)
047 於まさ(福島正則の継室)
050 冬(織田信長の娘で蒲生氏郷の正室)
051 徳姫(織田信長の長女で松平信康の正室。
長女は小笠原秀政室、次女は本多忠政室。 )
052 土田御前(織田信秀の継室で信長・信包・お市らの母。
浅井三姉妹の面倒も見ていた)
054 やや(ねねの妹で浅野長政の正室)
055 お通(浄瑠璃の作者と誤伝されて来た。小野正秀の娘で淀殿に仕えたという説、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉に仕えたとする説、近衛信尹に書を習ったという説などがある。娘の宗鑑尼は真田信政の側室 )
056 安(前田家臣・奥村永福の正室)
057 孝蔵主(蒲生氏の家臣・川副勝重の娘。
「ねね」の筆頭上臈=秘書の長。のち徳川秀忠つき上臈。
「ねね」の側近侍女には他に大谷吉継の母・東殿や
小西行長の母マグダレーナなどもいる。)
058 せん(池田恒興の娘で森長可の正室のち中村一氏正室)
059 武姫(蒲生氏郷の養女で南部利直の正室)
062 伊賀マリア(父は筒井順慶?高山右近重友らと共にマニラ配流)
063 渓(大谷吉継の娘、妹とも。真田幸村の正室。
竹林院殿 梅「渓」永春大姉から1字とったこのゲーム上の名)
065 虎(蒲生氏郷の妹で豊臣秀吉の側室)
071 艶(六角義賢の娘で畠山義綱の正室)
072 北の方(宇喜多忠家の娘で富田信高の正室)
073 久芳院(一色義直の娘で藤堂高虎の正室。
ちなみに高虎の側室は長連久の娘)
080 みつ(尼子晴久の正室)
081 光(黒田官兵衛の正室で長政の母)
082 円融院(宇喜多直家の正室で秀家の母)
084 容光院(宇喜多直家の娘で吉川広家の正室)
085 砥石の方(宇喜多直家の父・興家の正室か)
092 紫(九条稙道の娘で十河一存の正室)
094 鶴姫(大内氏が大三島へ侵攻してきた際、鶴姫の大祝家や同じく越智氏に出自する河野氏、村上水軍と共に大内軍を撃退したという。小説「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」より)
095 千代菊(相良義陽の正室)
101 清(大友宗麟の娘で一条兼定の継室)
<東北>
白鳥長久(最上に援軍したり戦ったり。父の義久は
足利義晴の庶子で長久は義輝、義昭らの弟という説も)
志村光安(最上)
楯岡光直(最上)
新発田長敦(上杉)
本庄繁長(上杉)
甘糟景継(上杉)
直江景綱(上杉)
沼田祐光(津軽の軍師)
<関東・中部>
宇都宮国綱
芳賀高定(宇都宮)
塚原卜伝(足利や細川、北畠、上泉信綱などの剣術の師。
一族は秀吉の命で佐竹に滅ぼされた)
岡本禅哲(佐竹)
土岐為頼(里見→北条。里見義堯の正室になった娘・正蓮は離反後も里見側に。
ちなみに明智光秀も源氏土岐家の支流と言われるが)
真田昌輝(幸隆の子で昌幸の兄) *何故か本当に他の真田の逆。
子は家康の子の臣下だが。真田信之は赤グループなのに。
<東海・北陸>
大道寺政繫(北条) *何故か本当に相性が徳川系。
(妻は遠山綱景の娘。子の直繁は秀忠の家臣)
井伊直孝(赤鬼直政の二男)
本多正信(徳川)
石川数正(徳川→小牧長久手のち豊臣。佐久間の
水野讒言について知っていた可能性を指摘する声も。
数正を筆頭とする岡崎衆=信康派より酒井忠次ら
浜松衆の立場が強くなったため等の推測あり)
板倉勝重(徳川)
酒井忠世(徳川)
加藤嘉明(豊臣子飼い衆)
加藤忠明(嘉明の弟)
前田玄以(織田)
織田秀信(織田信長の長男・信忠の子・三法師。3才で擁立されたが・・)
不破光治(斎藤→織田)
竹中重門(半兵衛の長男。豊臣→徳川)
前田利常(利家の庶子で四男)
村井貞勝(織田。本能寺の変で死亡)
蜂須賀家政(小六の子)
浅野長政(織田・豊臣・徳川) *浅井ではない。織田重臣家系でない秀吉にとって重要な縁者。互いの妻が姉妹
堀尾忠氏(父代織田→豊臣・徳川)
池田輝政〔現在の形の姫路城を作らせた人物。
摂津池田氏と同族であることを強調しているが、
不確実でなんら確証もない〕
池田長吉(輝政の弟。長吉の兄)
池田恒興(輝政、長吉、長政らの父。母の養徳院は信長の乳母。
娘たちは森長可、豊臣秀次、浅野幸長、織田勝長らの正室、
養女は織田信時の娘で下間頼龍の正室。
*「織田信長は敵を根絶やしにした」などと書いてるサイトを
見かけるが、ならば何故、下間は生きていて織田と縁組まで
している?根絶やしは毛利が尼子や大内にやった事だろ。
どれだけ不公正な差別主義者・歴史捏造主義者なんだ?)
池田長政(輝政、長吉の弟)
塙(バン)団右衛門(豊臣。塙直政の親類かは不明。
大坂の陣で東軍に夜襲をしかけ戦果をあげた。
旗印の「塙団右衛門」で名を売るなど派手な活躍が
江戸時代の講談で人氣を博した。)
<近畿>
高山重友(高山右近。松永→千利休→肥後小西→加賀前田)
筒井順慶(興福寺一乗院に属する有力宗徒が武士化。
大名であり僧侶でもあった。当時は比叡山と並ぶ僧兵勢力で
はじめは近衛家の子弟が門跡をつとめていたし
近衛尚通の外孫である足利義昭も還俗前に門主をしていた。
長男でない者が僧になるのは、後継者争いを避けつつも、
長男が早世などした場合には還俗して後継者になれるため。
九条家の娘の多加姫が足利義昭の養女として順慶の嫁に。
明智光秀の次男の十次郎を養子にもらった説も)
松倉重信(筒井の右近)
雨森清貞(浅井)
細川興秋(忠興の次男) *本当に他の細川とは反対
<中国>
有馬豊氏(赤松の庶流だが母は京兆家。細川澄元の孫)
尼子経久
立原久綱(尼子)
井上之房(ゆきふさ。黒田)
岡利勝(宇喜多)
<四国>
蜂須賀至鎮(よししげ。家政の子)
<九州>
臼杵鑑速(あきすみ。大友)
なお、他の攻略サイトで「固有武将」に
ふくまれてない武将も、「固有姫」より
上に並んでる場合は「固有武将」と
いう事にさせてもらいました。
*実際には家康は織田の忠臣ではなく
従属的な同盟相手。「絶対に敵対するはずない」
というのは後世の印象操作で・・・実は
本能寺の変に絡んだ連中を大本営が隠している。
故意に・・・歴史捏造してると見るべきかと。
本能寺の変後、織田から甲斐・信濃を奪い
武田の旧臣を配下に加えてる事実が
「公式ストーリー」からは抜け落ちている。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
分析してみました。
プレイステーション3版でやってます。
他の攻略サイトでは、基本的には
無双武将だけは相性グループ分け
してあるけれど、固有武将・固有姫や
一般武将(汎用武将)の場合は、
無双武将の関係者
(例えばガラシャに対する細川忠興とか)
しか載せてないところが多いので、
せめて固有姫より上に並んでる武将と
それなりに能力などの高い武将だけは
分類してみました。
(少なくともゲーム上の)家紋・旗印の色が、
豊臣家は黄で、真田・武田などは赤なので
相性が豊臣秀吉系のグループを
私は黄グループと呼んでいます。
赤グループと言えば、
ここでは、相性が真田・武田系のグループ。
基本は秀吉との関係で考えると
わかりやすいのかなと。
明智光秀、柴田勝家は
秀吉と敵対するグループだが
織田信長とは敵対しない。
小田原北条氏なども
反秀吉と設定されている。
そして、関東の反北条の大名は
秀吉と同じグループとなる・・・
みたいな感じ。
お市と浅井三姉妹も
柴田勝家と同じ青グループ。
(浅井、長宗我部、細川などの家紋色が青で
ガラシャと細川忠興は相性のよいと
書いてるサイトを見て忠興も青系かと思っていた
のもあって、青グループと呼んでます。)
江と相性のよい徳川秀忠も
青グループ。
長宗我部も反豊臣秀吉。で「一領具足」を使う。
北条も「領民同心・弐」を使うので青グループは強い。
私の場合、自作エディット武将の
千利休、南光坊天海も青グループにしてます。
(相性を明智光秀に合わせてある。)
実際は島津も秀吉に攻撃されてるし、
その際、秀吉は大友に援軍を送っているので
島津も青で、大友が黄グループでもよさそうだけど。
立花が大阪冬の陣で青グループの秀忠に仕えてるからか?
でもそれは本多忠勝の推挙で江戸城に仕えたから・・・
本多と同じ黄でよさそうなものだけど。
長宗我部だって盛親は豊臣四天王なんて呼ばれてるし。
薩長を敵対させたくなかったのか?
でも土佐は青グループだし。肥前は赤。
というか本多は何故黄グループ?
で・・・毛利の場合、無双武将の
毛利元就、小早川隆景は
真田・武田と同じ赤グループだけど
子や孫の世代、毛利輝元などになると
秀吉と同じ黄グループが多い。
多分、元々血縁でない小早川秀秋だけが
徳川家康と同じ緑グループ。
(家康の家紋・旗が緑というわけではないが
赤の反対色だし、同じ相性グループの
伊達政宗や尼子はゲーム上で家紋が緑
なので私は緑グループと呼んでます。)
※相性グループの見分け方。
黄グループの代表である豊臣秀吉
青グループの代表である明智光秀
緑グループの代表である徳川家康
赤グループの代表である真田幸村
と同じ部屋の奉行にしてみた時に
赤マーク (`へ´)(拒絶反応)がついた場合は
その反対グループという事です。
対立してなければ青(^-^)表示。
知りたい武将が載ってなかったら
やってみてください。
それと、一般武将(汎用武将)は
地方別に並んでるのですが
どうやら戦国無双4(無印、通常版)と同じで
関東・中部 とか 東海・北陸
というエリアになっているようで。
4 Empiresでの地方とは少し違います。
小田原は東海に入ってるみたいです。
また、上杉は越後にいる頃の武将も
東北にエリア分けされています。
私がそうしたのではなくて
もともとこのゲームでそうなってるだけ
なので、ご了承ください。
黄(豊臣・上杉・島津)系
反青(柴田・明智・北条)
<無双武将>
06 上杉謙信
16 豊臣秀吉(実は浅井昌成が近江佐々木氏の末裔・木下
越中守高泰の婿となり木下弥助国吉と改名し
尾張に移住したのが曽祖父。父代も村長。水呑百姓ではない。
「ねね」の一族は杉原と名乗っていたが、秀吉の出世に従い
木下と名乗るようになった。 逆に、「ねね」との結婚まで
秀吉は苗字を名乗ってないとする研究もあるそうだ。
近衛前久の猶子となる事で関白に)
18 本多忠勝(徳川)
19 稲姫(本多忠勝の娘。徳川の養女として真田信之の正室に)
24 島津義弘
26 直江兼続(上杉)
35 加藤清正(豊臣秀吉の母の従姉妹の子。また
祖父の祖父である加藤頼方は明智頼常の四男とか)
36 黒田官兵衛(赤松庶流で宇喜多と同盟の小寺→豊臣。
晩年、秀吉に遠ざけられたのは、宇喜多系の例にもれず
キリシタン勧誘を活発に行っていたためか。
https://ironna.jp/article/10891?p=2 )
42 綾御前(上杉謙信の姉で景勝の母)
51 上杉景勝(上杉謙信の甥で養子)
54 島津豊久
<固有武将>
010 斎藤龍興
012 佐竹義重
014 上杉憲政(謙信の養父。関東管領の事実上の宗家
である山内上杉家。足利尊氏の母方の家系で藤原氏)
024 柳生宗厳(剣術の師は上泉信綱。大和勢力下。宗矩の父。十兵衛の祖父)
025 豊臣秀頼(このゲーム上の相性は淀殿と反対で秀吉系
だが大野治長の子という説も。197cm、161kgの大男だったそうだ。
八条宮智仁親王や結城秀康が父ではないかとする憶測も。
家康は秀頼の才覚と評判を恐れていた。
大坂夏の陣の後、次のような京童唄が流行した。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ」
色白の坊っちゃんという肖像画の印象そのままだが
その子が天草四郎(益田時貞)ではないか、という説あり。
四郎も少年使節というより甲冑武者そのものの肖像が残ってるが。
なお天草で過酷な徴税をはじめた寺沢広高は秀吉の部下
だが親友の安田国継は明智の家臣のち立花など経由し最後は
出世した方の部下にという若い頃の約束で寺沢に仕えたという。
また「ねね」の甥の豊後日出藩主・木下延俊と
細川藤孝の娘・加賀の間に生まれた事になっている
木下延由という人物は秀頼の遺児・国松では
ないかという説も。ちなみに45歳で急逝している。)
また加藤清正の熊本城の昭君之間も「招君」のため、
秀頼を招くためのものではなかったかと推測されている。
ゲーム上は隈本城だが清正の築城後に熊本と改められた説が強い。
028 河野通直
029 有馬晴信(肥前。島津と通じ龍造寺隆信を破った際
兵数は龍造寺が圧倒的だったが、イエズス会から
大砲の提供を受けていたので勝ったともいう。
それで長崎の浦上村をイエズス会に寄進している。
ゲーム上で相性悪い大友と通じていた時期も。
「天正遣欧少年使節」には有馬も大友も参加。
家臣だった有家監物の娘が益田時貞の妻で
有家は天草島原の乱の総大将的な立場だった可能性も。
晴信の嫡男・直純は一揆鎮圧側)
032 戸沢盛安(南部から独立しようと画策、最上と連携。「夜叉九郎」)
039 蘆名盛氏
041 柿崎景家(上杉)
042 上泉信綱(上杉)「ほう…剣聖に教えを請いたいと申すか」
043 長野業正(上杉)
044 宇都宮広綱「命尽きるまで…戦い抜いて、みせる!」
045 佐竹義宣「我は鬼義重が子・佐竹義宣なり!」
046 佐竹義昭「佐竹こそ源氏の惣領ぞ!
ひかえぬか、下郎!」
048 里見義堯(よしたか)「仁者必ず勇あり!
その身でしかと知るがよい」
049 里見義頼「最後には勝つ…どんな手を使ってもなあ…!」
051 村上義清(上杉)「こわっぱめが、
信濃一の武勇、とくと味わえ!」
064 太原雪斎(今川)
079 斎藤義龍 *川中島から桶狭間までの間の
「稲葉山城」の総大将の場合、特別な夜戦場となる。
「稲葉山城」でも彼が総大将でない場合は
「岐阜城」と同じ、水流のある戦場となる。
099 木村重成(豊臣。父は千利休の弟子)
103 足利義輝(母は近衛尚通の娘で正室は近衛稙家の娘。
義昭は弟。父・義晴は管領の細川晴元と対立し敗れ実権なし。
義輝も細川配下だった三好義継・松永久通らに暗殺された。
教科書には三好や松永以前に細川が実権を握っていた
事は出て来ず、まるで足利に実権があったような書き方だが。)
「将軍家としてではなく、
一剣士として相手願おう!」
104 小西行長(宇喜多→豊臣。
実父は堺の商人のち堺奉行。
養父は備前の豪商で宇喜多に出入り。
豊臣政権の中で千利休・豊臣秀長が
担っていた財務を三成と共に引き継ぐ。
高山右近の後押しでキリシタンに。
天草四郎=益田時貞の父・益田好次は
若い頃、小西の部下だった)
118 村上武吉(毛利)「村上水軍の誇り、天下に示さんか!」
119 毛利隆元
121 毛利輝元「毛利元就が孫・輝元!
祖父譲りの知略を見ろ!」
127 河野通宣(みちのぶ)「乱世と権力と
戦に翻弄されるが、我が定めか…」
129 相良義陽「いつでも友や義のため、
死す覚悟はできておる!」
135 島津家久
136 島津義久(実際は豊臣秀長・徳川家康派で
関ヶ原の戦いでは義弘に援軍を出さず
義弘は1000~2000人程度で戦うはめに。)
137 島津歳久
<固有姫>
003 戌(津軽為信の正室)
005 緑(南部晴政の娘。九戸政実の弟に嫁ぐ)
016 伊勢姫(生涯不犯の上杉謙信公の恋した人とされる)
017 英(佐竹義重の妹で宇都宮広綱の正室)
019 うた(豊臣秀長の家臣・尾藤頼忠の娘。
石田三成の正室で山手殿とは姉妹という)
025 梶(徳川家康の側室。太田道灌の一族という太田重正の妹という。
太田重正の母は遠山綱景の娘)
029 瀬名姫 今川義元の姪・養女で徳川家康の正室。
松平信康と共に処断された。
『安土日記』(『信長公記』諸本の中で最も古態をとどめ
信憑性も高いもの)や『当代記』では、信長は
「信康を殺せ」とは言わず、徳川家の内情を酌んで
「家康の思い通りにせよ」と答えている。つまり家康自身の
事情で築山殿と信康を葬り去ったということである。
一説では、それまでの家康とは別人だったためとも。
031 嶺姫 今川義元の娘。三国同盟の際に武田義信に嫁ぐ
040 京極マリア 浅井長政の姉で京極高吉の正室。高次・竜子らの母
060 だし 荒木村重の正室
061 お茶々 島左近の正室
070 文 浅井久政の養女で斎藤義龍の正室で龍興の母・・らしい
074 扇 細川京兆家・晴元の娘で朝倉義景の正室。
077 小西マリア 小西行長の娘
078 照姫 秀吉を苦しめた別所長治(赤松系)の
正室・照子。波多野秀治の妹、娘とも
083 モニカ 宇喜多直家の娘で明石全登の正室
086 問田の方 小早川隆景の正室
088 五龍局 毛利元就の次女で宍戸隆家の正室。
孫の古満姫が毛利輝元の養女となり迎えた婿が
「ねね」の甥の小早川秀秋。
089 周 毛利輝元の側室
091 寿 毛利隆元の正室
100 桐 大友宗麟の姉で河野通宣の正室
104 宰相殿 島津義弘の後妻
<東北>
斎藤朝信(上杉)
<関東・中部>
結城晴朝(小山高朝の三男だが度々実父と戦い結城家を守った)
佐竹義久
梶原政景(太田資正の次男で基本は反北条)
簗田(やなだ)晴助(古河公方足利)
<東海・北陸>
今川氏親
佐久間信盛(織田。「水野信元が武田に兵糧を送ってる」
と讒言したとの説あり。家康が武田信玄に敗れた
三方ヶ原の戦いで援軍として出陣したが早々に撤退、
信長を諌めるため自刃したとも伝わる平手政秀の三男
ないし孫の平手汎秀を見殺しにした等、様々な理由で
後に追放された。それで信長を暴君とするなら、
関羽を見殺しにしたとして劉封を処刑した劉備もだ。
目障りな大勢力に些細な事で難癖をつけて領地没収
する暴君は、むしろ秀吉や家康。なぜ連中には言わない?)
増田長盛(豊臣)
北畠具教(後醍醐天皇なき後の南朝の指導者だった家系。
正室は六角定頼の娘。側室は蜂須賀小六の正室となった大匠院?
母方の祖父は管領・細川の分家から本家=京兆家の養子
となった細川高国で、その弟という通政は長州の客将
となったともされているが、通政は架空の人物との説も)
<近畿>
河田長親(上杉:上洛の際に家臣に)
六角義賢(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では南近江の守護大名。一時は
浅井久政を支配下にしたが長政に敗れた)
京極高次(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では北近江の守護大名。
浅井は元は臣下の家系。本能寺の変の後、
明智に加勢した数少ない大名。のちに
豊臣側と見られていたのに東軍に加わった
のも、明智=天海と通じていたためかも)
伊勢貞興(足利→明智)
一色藤長(足利義輝の御供衆。
足利一門で、室町時代の初めは
九州探題として南朝側と戦っていた家系だが
三河守護の頃に守護代だった菊池西郷氏は
南朝側だった家系で、徳川と姻戚関係に。
ちなみに一色らが九州から敗走した後に
九州探題となり戦果を上げたのが今川貞世=了俊。
一色義道・義定は丹後の大名だったが
細川藤孝・忠興に敗れ、あるいは謀殺された)
<中国>
明石全登(赤松系。浦上→宇喜多)
福原貞俊(毛利)
安国寺恵瓊(毛利)
村上通康(河野)
穂井田元清(毛利)
福原広俊(毛利)
小早川秀包(毛利元就が71才の頃に生まれた9男で
異母兄である小早川隆景の養子。キリシタン。
母親は乃美大方で穂井田元清は同母兄。
立花宗茂の義兄弟。妻は大友宗麟の娘。)
<四国>
ここは黄グループは目立たない
<九州>
相良晴広
深水長智(相良)
松浦鎮信(大内・大友に臣従)
島津貴久
頴娃(エイ)久虎(島津。ちなみに真田幸村が
落ち延びて住んでたという伝説のある地区は
頴娃町 牧之内 雪丸)
上井覚兼(島津)
伊集院忠棟(島津)
新納(にいろ)忠元(島津)
青(柴田・長宗我部・北条)系
反黄(豊臣秀吉・上杉・島津)
<無双武将>
04 明智光秀(ゲーム上は美濃斎藤下だが、
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
*諸説ありますが、詳細は考察すると長くなるので、
こちらを御覧ください。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-317.html )
光秀の亀岡城(亀山城)を宣教の拠点とした
大本教の出口王仁三郎(明治天皇の決定で信長を祀る
建勲神社が京都にあるが、そこで神官をしていた事もある)は
光秀が千利休になったとしているので、裏千家って何?
という事が氣にかかる。
https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11999575030.html
05 石川五右衛門(秀吉に処刑されたので光秀の子との俗説も)
07 お市(織田信長の妹で浅井三姉妹の母のち柴田勝家の正室)
17 今川義元
22 浅井長政(浅井三姉妹の父)
25 立花誾千代(父は大友重臣の立花道雪。宗茂は婿)
28 風魔小太郎(北条)
31 長宗我部元親(正室は明智家臣の斎藤利三の異父妹)
32 ガラシャ(明智光秀の娘で細川忠興の妻)
34 柴田勝家(織田)
37 立花宗茂(大友。肥後の丸目長恵は剣術の師で上泉信綱の弟子四天王)
38 甲斐姫(成田。のち秀吉の側室)
39 北条氏康(もちろん本物はヤクザではない)
46 柳生宗矩(徳川家光の剣術師範)
53 小少将(阿波細川→三好→同名の娘が?長宗我部の側室)
55 早川殿(北条氏康の娘で今川氏真の正室)
<固有武将>
001 上杉景虎(北条氏康の子で上杉謙信の養子)
002 高橋紹運(大友。吉弘鑑理の次子で立花宗茂の実父)
006 陶晴賢(毛利の主君だった大内から権力を奪う)
007 斎藤道三
008 伊達輝宗
009 武田勝頼
015 成田長親(小田原征伐の際の忍城主のち蒲生配下から再び大名)
016 武田信廉
017 北条氏邦
018 北条氏政
019 北条氏照
021 徳川秀忠「守成において、この秀忠の右に出る者なし!」
030 大友義統
035 伊達成実(しげざね。伊達三傑)
「俺は退却の二文字は知らん、まかり通るぞ!」
037 最上義守
038 片倉重長(伊達)
058 武田信繁「武田信繁、
自ら前線に立ち、兵の士気を上げる!」
063 山本勘助(武田)
065 北条綱成「勝った! 勝った!
地黄八幡、推して参るぞ!」
071 可児才蔵(柴田勝家→明智光秀→福島正則など)
080 畠山義綱「畠山家の栄光、必ず取り戻してくれる…。ゆくぞ!」
090 山内一豊(豊臣→徳川。豊臣秀次と仲が良かったため
家康派となり、関ヶ原での東軍の勝利に貢献、土佐藩主に。
長宗我部の旧臣を騙し討ちしたりもしている)
094 磯野員昌(浅井)「近江きっての剛の者…。
この刃、受けきって見せよ!」
096 小川祐忠(祖父は六角下→浅井→織田など)
117 北条早雲(日野富子の子・足利義尚の奉公衆だった
伊勢新九郎。姉妹が今川義忠の妻。子の氏綱の正室の
養珠院殿が執権北条氏の末裔とされる横井・横江氏
だった可能性あり、そのまた子が北条氏康)
126 長宗我部信親「父・元親の名は汚さぬ。
堂々とよい戦いをしよう!」
130 由布惟信(大友)
131 小野鎮幸(大友)
132 立花道雪(大友)
133 大友宗麟
134 伊東義祐
<固有姫>
001 愛姫(伊達政宗の正室)
「たとえ武器が折れても、懐刀であなたを…!」
002 飯坂の局(伊達政宗の側室)
004 久保(伊達晴宗の正室)
006 藤代御前(津軽為信の側室になる事を拒否し討ち死に)
008 義姫(最上義光の娘で伊達輝宗の正室。政宗の母)
012 彦姫(伊達晴宗の娘で蘆名盛隆の正室)
020 諏訪姫(武田信玄の側室で勝頼の母)
021 定恵院(武田信玄の姉で今川義元の正室)
022 菊姫(武田信玄の五女で上杉景勝の正室)
026 静(北条氏康の娘で武田勝頼の正室)
028 白井の局(成田長泰の正室のち足利義輝に仕え殉死)
030 おりん(飯尾氏の家臣・松下之綱の娘で柳生宗矩の正室。
之綱の義兄弟の松下清景は井伊家の家老となった。
なお、之綱は秀吉の最初の主君という。
秀吉の親の代の木下家は、那古野氏に仕えていたが
今川は婚姻関係のある那古野氏を強引に配下にしていた)
036 督姫(徳川家康の次女。北条と和睦の際に氏直に嫁ぐが
死別、秀吉の肝いりで池田輝政に再嫁。
輝政を豊臣秀次から引き離すため)
037 千姫(江と徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室のち本多忠刻の正室。
実際は秀頼とも非常に仲が良かったらしいがゲーム上は・・)
041 千代(山内一豊の良妻。内助の功で夫は土佐藩主に)
044 小百合姫(佐々成政に殺され呪ったという
伝説があるが領主交代の際の作り話かも?)
048 まつ(前田利家の良妻。自ら人質に赴いたという。
「ねね」と仲が良かった)
066 淀殿(お市と浅井長政の娘で豊臣秀頼の母。
なのに江の娘の千姫と同じく秀頼と相性が悪い)
067 江(お市と浅井長政の娘で徳川秀忠の継室。
その前に秀吉の甥の秀勝にも嫁いでいて、
娘の完子は九条幸家の正室となっている。)
068 初(お市と浅井長政の娘で京極高次の良妻)
069 阿久(阿久悠・・・じゃなかった、浅井長政の姉)
087 妙玖(毛利元就の正室)
093 阿喜多(一条兼定の妹で伊東義益の正室)
099 宋雲院(高橋紹運の正室。立花宗茂・直次の母)
102 妙林(大友家臣・吉岡鑑興の正室。子の統増が
若い兵を連れ臼杵城に籠もる中、鶴崎城を老兵と奇策で死守)
103 ジュスタ(高橋紹運の妹で大友義統の正室。吉弘統幸、立花宗茂の叔母)
<東北>
鮭延貞綱(最上)
天童頼貞(最上)
鬼庭綱元(伊達)
遠藤基信(伊達)
屋代景頼(伊達)
氏家定直(最上)
氏家守棟(最上)
<関東・中部>
酒巻靱負(ゆきえ。成田)「武辺者を自負する者は、名乗りを上げられよ」
正木丹波守(成田)「近づく者はことごとく我が朱槍の餌食と心得よ」
柴崎和泉守(成田)「武功一等柴崎和泉守を前にしてどこみてやがる」
<東海・北陸>
北条氏親
板部岡江雪斎(北条)
北条幻庵(北条早雲の末男。妹はいる。
父、兄、甥の氏康、その子・氏政、孫・氏直
の5代に渡って仕え、一門の長老という立場に)
本多正純(徳川)
土井利勝(徳川)
池田利隆(池田輝政の長男。徳川)
畠山義慶(よしのり)「私がしっかりしなければ…。
お家をまとめるために…」
佐々成政(柴田勝家→肥後)
佐久間盛政(織田)
<近畿>
海北(カイホウ)綱親(浅井)
堀直清(直政の子)
堀秀治(秀政の子)
「我こそは、名人久太郎!
…の息子…。見くびるなよ!」
堀直政(堀家臣の奥田が堀姓を頂いた)
細川忠隆(忠興とガラシャの長男。
正室は前田利家の七女・春香院)
<中国>
山名祐豊(赤松)「応仁に栄華誇りし山名宗全が末・山名祐豊、参る!」
花房正成(宇喜多)
<四国>
吉田孝頼(長宗我部)
香宗我部親泰
長宗我部国親
谷忠澄(長宗我部)
久武親直(長宗我部)
吉良親貞(長宗我部)
土居宗珊(一条)
立石正賢(長宗我部→細川)
<九州>
阿蘇惟将(甲斐宗運の主君)
問注所統景(大友→小早川)
大内義長(大友から養子、陶晴賢の傀儡)
角隈石宗(大友)
吉岡長増(大友)
赤(細川・三好・真田)系
反緑(最上伊達・黒田宇喜多・織田徳川)
<無双武将>
01 真田幸村(実は長男ではないかという説あり。信之が弟ではないかと。)
08 阿国(鍛冶の娘で、出雲大社の巫女として諸国を
巡回し評判になったという。かぶき踊りを創始。
夫は蒲生氏郷の小姓だった名古屋山三郎で
小田原征伐の頃はまだ十代。政宗、幸村より若い。前作
3 Empiresでは毛利元就を持ち上げる芸姑みたいだが )
09 くのいち(女性忍者をくノ一と呼ぶ説は否定する学者も。
講談の真田十勇士あたりがモデルというべきか)
10 雑賀孫市(息子は秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮側に寝返り
金忠善、沙也可と呼ばれたという仮説がある。
和歌山の漁村に亀甲船みたいなのが何隻も停泊してるのも、
韓流ブサメン推しなのも、そういう事。)
雑賀衆は必ずしも織田と敵対せず逆に三好攻めに参加してる。
また織田系グループの家康は朝鮮出兵反対派である。
11 武田信玄
21 石田三成(豊臣)
23 島左近(筒井→石田)
29 宮本武蔵(父は赤松氏支流の新免無二で黒田に従い東軍か。
宇喜多と同じ西軍という仮説もあった。晩年は肥後細川の客分
だが家康と反対の赤でなくても・・・黄でよかったのでは?
まぁ、このゲームが「赤に動かされる青」史観なんだろうけどさ。)
40 竹中半兵衛(斎藤→織田。秀吉につけられた与力。
美濃斎藤氏の重臣の子だが、斉藤龍興に煙たがられ
21歳にして計略で稲葉山城を乗っ取り、半年後に返還し隠棲
したという。多くのエピソードは後世の脚色らしい。
黒田官兵衛が荒木村重の元から戻らなくなった際、信長は
裏切りを疑い人質の黒田長政を処刑するよう命じたが、
半兵衛が長政をかくまって生かした。官兵衛は
裏切ったのではなく村重に監禁されていたのだそうだ。
足も不自由になったとか)
41 毛利元就
47 真田信之 *ゲーム上の家紋色は黄だが妻の稲姫と同じ相性系統ではない
48 大谷吉継(豊臣)
49 松永久秀(三好長慶が細川晴元を放逐する頃から台頭。
堺奉行をしていたらしい。足利義輝の御供衆にまで出世。
長慶の死後は、若年の三好義継の後見人だった阿波の
三好長逸・三好政康・岩成友通ら三人衆と対立。なおフロイス
によると筒井氏の要塞化した東大寺の大仏殿に火を放ったのは
三人衆側のキリシタンだという。久秀は三人衆が担ぐ足利義栄
から討伐令を出されるなど苦境の中、足利義昭を擁立する
織田信長と連絡をとる。名目上は幕臣であり、義昭が
信長包囲網を築くと義昭側となった。多数の名物茶器を保持。
長慶にならって古墳を破壊して城を築いていた。)
52 小早川隆景(毛利)
<固有武将>
003 龍造寺隆信
004 鍋島直茂(母親は龍造寺隆信の父親の妹か姉。
さらに継母が龍造寺隆信の実母。肥前藩主に)
011 弘中隆包(大内)
022 朝倉義景(正室は細川晴元の娘で
継室は近衛稙家の娘。叔母は
土岐頼武に嫁ぎ、嫡男・頼純を産んだ。
六角氏からの養子だった可能性あり)
「朝倉義景の恐ろしさ、
とくと味わえ、きえええい!」
027 十河存保(三好。小少将と三好実休の子。
ゲーム上は父親の縁者。母親との縁者扱いは無い)
033 南部晴政「三日月の丸くなるまで、攻め抜くのみよ!」
036 伊達晴宗「わしは戦う…次代に禍根を残さぬために…!」
040 蘆名盛隆「俺っていい男だろ?
俺と一戦、交えてみないか?」
047 太田資正(扇谷上杉→成田→宇都宮→佐竹。
三男の資武は結城秀康に仕え福井藩の家老に)
050 真田昌幸「真田は策のみにあらず…。
武も味おうてもらおうか」
*大名にすると群馬だろうが静岡だろうが
戦場が信州上田城になるので注意
052 真田幸隆(武田)
053 馬場信房(武田)
054 内藤昌豊(武田)
055 高坂昌信(武田)
056 山県昌景(武田)
057 秋山信友(武田)
059 今川氏真「戦は嫌じゃ。蹴鞠で勝負せんかのーぅ?」
060 朝比奈泰朝(今川)
061 結城秀康(家康の側室の子。家康は当初、
自分の子として待遇せず、面謁さえ許さなかった。
不憫に思った長男・信康が無理やりに父子を
対面させたほど。人質として秀吉に送られ養子となる。
秀頼が誕生すると結城家に養子に出され大名に。)
062 岡部元信(今川→武田)
074 斎藤利三(明智。「春日局」福の父。異父妹は長宗我部元親の正室)
077 日根野弘就(斎藤義龍→今川→豊臣)
078 明智秀満(のちに家康の側近・南光坊天海という説あり。
子の三宅重利は細川の庇護を受けた後、
安田国継の縁で寺沢広高に仕え、
天草島原の乱で敗走し自刃)
081 真柄直澄(朝倉)「我が次郎太刀が、勇者の血を求めておるわ!」
082 真柄直隆(朝倉)「我が太郎太刀が、強き敵を求めておるわ!」
095 遠藤直経(浅井)「伊賀の遠藤、推参」
100 足利義昭「将軍家の血に刃向かうとは謀反人め!」
(信長に擁立され将軍となったが傀儡でしかない
事に氣づき、毛利輝元の元に潜伏して
石山本願寺などを支援。信長の妹婿の浅井も寝返らせた。
というのは義昭単独の謀略というより室町幕府最後の
実権を握っていた細川や、藤原氏九条家、近衛家など
百済人のいつもの謀略ではないかと。実はフン族=匈奴
であるイエズス会は藤原氏が朝鮮人である事に氣づき
自分たちに加担するよう求めたはず。藤原氏は「体制」
を守るために細川とつるんだはず。毛利は自称は
菅原道真と同じ土師氏系の大江氏だが百済系の大内に
臣従し、吉川・小早川を背乗りするなど手口が百済人。
毛利も背乗りしただけで元は大江氏ではないのでは?
家康は東インド会社とつるんで大砲など入手したわけで
今日の外資跳梁跋扈の原因となっている。
光秀はよく分かってないで操られたのでは?
秀吉がキリシタンくさい武器商人・千利休と対立したのも
どこまでわかっての事なのか。
日本人奴隷に関し、よく引用される
「日本使節の見聞対話録」と
「デ・サンデ天正遣欧使節記」(日本語訳)
https://iwahanjiro.exblog.jp/238020243/
{
天正15年6月(1587年7月)、秀吉は日本の中央政権として初めて正式なキリシタン禁令を発布するが、その直前にイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョのもとに使者を送り詰問を突き付けた。その中に「何故にポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷としてその国に連れ行くか。」という内容が含まれていた。
これに対するコエリョの回答は、「日本側の諸領主に対し禁止を勧告すべし。」というものだった。つまり、「奴隷を売る者(日本人)がいるから買う者(ポルトガル人)も出て来るのだから、日本の当局が奴隷を売ることを禁止すればよい。」とコエリョは秀吉に反論したことになる。「対話録」でのミゲルの発言は、そのコエリョの回答をそのままなぞっているのである。
}
{
日本人奴隷拡散の規模とその境遇の悲惨さを日本人が知るための客観的な資料は、その時代はもちろん、つい最近までほとんど無かった。私にしても、インタ-ネットなどで「戦国時代のキリシタン大名が弾薬と引き替えに何十万人に及ぶ奴隷を輸出していた。」等の記述に接し、その可能性も否定できないけれど、もしかして誇張ではなどと思うしかなかった。
しかし、今回改めて「対話録」を読んで、日本人奴隷拡散の規模・程度が世界的に周知の事実となっている以上、もはやこれを日本人に対して隠し通すことは不可能であり、キリシタン教会の組織防衛の観点からそれを認めたうえでの反論を用意したということではないかということに思い至った。
}
*引用註:そう言ってる秀吉自身が騙し討ちなどやらかしてるのだから、これだけで秀吉を称賛するのはおかしく、むしろ朝鮮人が秀吉を誉める事を異様に思うべき。家康にはイギリスからのカルバリン砲があったし、オランダ人の外交顧問もいた。またスペイン国王からもらった時計が久能山東照宮にあったりもする。とにかく東インド会社やイエズス会宣教師(武器商人)と関係あるようだ。一方、雑賀衆、根来衆、伊達、織田など全ての鉄砲が奴隷を売る事で引き換えに得たものだという証拠があるわけではない。鉄砲鍛冶は既に国内に存在している。
特亜は自分の罪を他人になすりつけるので、むしろ何の根拠もなく、キリシタン大名でもない大名が奴隷を売ったなどど断定する連中を疑うべきである。信長公はキリシタンではない。神官の末裔だ。それも非常に由緒深い。比叡山焼き討ちも細川がやった事を転嫁されてるだけの可能性大。詳しくは明智光秀のところでリンク先に書いてある。
*最大の容疑者は、もちろん細川と、鬼畜藤原、
それに高山右近ら千利休一味だ。
ついで、毛利、徳川、生きているなら明智(天海?)だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008140001/
現在では在日朝鮮人が大名姓を名乗る事が多い。
武田アンリだけでなく全く分かってない織田信成なども
在日朝鮮人と一緒になってスケートなどやってるわけ
で不自然、才賀紀左衛門などと一族の経歴が似てる。
また創価パソナ南部、竹中平蔵なども背乗りする氣では?
しきりに本多忠勝の子孫と宣伝されてる三木谷の
親戚のABCマート三木は朝鮮学校出身。藤原の謀略臭い。
https://ameblo.jp/minomushi1968/entry-12010633577.html
親類も創価役員、人脈が関東連合など特亜大本営、
プロ野球参入させた渡辺恒雄は児玉誉士夫の小姓あがりで
その上司だった笹川良一は韓国籍で本名は文堯、
児玉にも在日説あり、三木谷自身の顔が室町以前の
帰化人にしてはゆがみすぎ。自覚できない感性もおかしい。
それに文堯の運転手だった松井(強姦魔・維新松井の親)
の姓が急激に増えすぎだと思わない?野球とかブスドルとか)
101 細川忠興(父代からの重臣が松井康之)
102 細川藤孝(足利義輝の御供衆→織田→徳川)
「わしは万能に達しておる…無論、武芸にもな」
105 荒木村重(池田勝正→三好→千利休)
113 浦上宗景(宇喜多は家臣というよりやや従属的同盟相手)
116 清水宗治(毛利)
120 吉川元春(毛利)
122 三好長慶「この国の秩序は、
乱世の風雲児たるわしが守る」
(足利義輝の御供衆。細川晴元から離反し
細川氏綱を管領に擁立。氏綱の死後、
弟の細川藤賢は足利義昭に仕えた後
織田配下となり坂本城に配属された)
123 三好政康(三好宗渭の「細川両家記」における名。
これは誤伝らしく、実際の俗名は政勝→政生。
三好長慶の死に乗じて将軍親政を
復活させようとした足利義輝を暗殺。
足利義栄を将軍に擁立。三好三人衆と呼ばれる。
三好義継の後見人だったが対立したり和解したりで
傀儡だった細川真之は臣下だった家系の
長宗我部を頼るようになり、三好家は衰退した。
大坂の陣で88才で戦死した三好清海は
政康の後身という俗説がある。また講談の
真田十勇士の三好清海入道のモデルとされるが
政康に真田氏との関係はない。ただ豊臣秀次は
秀吉が三好と同盟する際に三好康長の養子となり
三好信吉と名乗っていて、その娘とされる隆清院が
真田幸村の側室となった。子の幸信は大坂の陣の
後に産まれたため真田と名乗れず三好と名乗った)
「神仏は信じぬ。信じるは、己の力だけよ!」
124 三好義継(長慶の養子。長慶の弟・十河一存の子。
足利義輝を暗殺した永禄の変の後、キリスト教宣教師の
ビレラとフロイスを京都から追放した。信長の仲介で
義輝・義昭の妹を妻とし、反信長となった義昭を匿った)
128 甲斐宗運(阿蘇。相良義陽は同盟相手。
後醍醐天皇側として足利尊氏らと戦った菊池氏
の子孫。ちなみに薩摩の西郷隆盛も菊池氏の子孫)
<固有姫>
007 喜多(伊達三傑の片倉小十郎と鬼庭綱元の姉。政宗の乳母)
011 芳(伊達晴宗の五女で佐竹義重の正室)
013 花(伊達稙宗の娘で蘆名盛氏の正室)
015 輝子(甲斐姫の祖母。71才の老齢にして北条を撃退した事もあり、小田原征伐の際は子の由良国繁に代わり桐生城を守っていた)
023 お松(武田信玄の娘。織田信忠の正室とする迎えが来るも本能寺の変で会えぬまま尼に)
027 鶴(北条氏政の娘で里見義頼の正室)
032 田鶴(今川氏親の孫で飯尾連龍の妻)
「巴板額に比する武勇、味わってみる?」
039 煕子(明智光秀の正室)
042 福(徳川家光の乳母、春日局。明智家臣・斎藤利三の娘)
043 麝香(細川藤孝の正室)
046 摩阿(前田利家の三女で豊臣秀吉の側室)
049 秀子(筒井定次の正室。信長の三女。光秀の五女とも言われる)
053 豪(前田利家の娘、妹とも。
豊臣秀吉の養女で宇喜多秀家の正室)
064 竜子(京極高吉・マリアの娘。豊臣秀吉の側室として寵愛され
兄の高次が淀殿の妹の初と結婚し出世するのに貢献)
075 山手殿(真田昌幸の正室で幸村・信之の母)
076 糸子(池田輝政の正室、糸姫。
高山右近の従兄弟の中川清秀の娘)
*なんで照子が照姫で糸姫が糸子なんだよ・・・
というのは実は何となく分かってるけど
ここでは書かないでおきます。このブログを
読んでる方には分かる人もいらっしゃるかも。
079 小袖(大野治長の母。孫の?豊臣秀頼の乳母)
090 新庄局(吉川元春の正室)
096 於京( 天草合戦で加藤清正に討たれた木山弾正の妻)
097 彦鶴姫(鍋島直茂の正室)
098 美代姫(龍造寺五天王・百武賢兼の正室)
*このグループは特に
夫や親類と相性が逆の姫が多い・・のでは??
<東北>
石川高信(南部。子の信直は南部晴政の長女の婿で
南部氏を継いだ)
九戸(くのへ)政実(まさざね) 南部宗家を弟でなく晴継暗殺の
容疑者である石川信直が継いだことに大きな不満を抱き挙兵。
信直は秀吉に援軍を求める。九戸城は天然の要害であり
6万を超える豊臣軍も攻めあぐんだ。そこで九戸氏の菩提寺
である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として交渉。
九戸政実は自分だけは犠牲になってもよいが
臣下は助命してくれと要求、条件は受け入れられ開城したが
約束は破られ、女まで殺された。こうした騙し討ちの手口は
百済人の「桓武天皇」による東北侵略の頃と同じである。
つまり秀吉はマッカーサーにも劣り、「風の谷のナウシカ」の
クシャナ殿下にも劣る幽界(がいこく)魂という事だ。
マッカーサーと昭和天皇の話が九戸公の話のパクリでなく実話ならだが。
豊臣秀長が生きていたら残酷な騙し討ちみたいにはならなかった
のではないかという意見も聞かれる。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、秀吉に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
北信愛(きた・のぶちか。南部)
九戸信仲(南部。九戸政実の父)
南部信直「…立ち回りは上手くないが、
戦いなら、負けん」
八戸政栄(南部)
里見民部(最上から嫌疑かけられ敗走)
中野宗時(伊達晴宗を擁立した重臣。輝宗に謀反嫌疑かけられ敗走。
家康から秀吉に乗り換えた石川数正は、同じように処分されるの
を恐れたのではないかと。立場の強すぎる家臣がいると言いがかり
をつけて制圧するのは晋の司馬氏などもやっている。連中自身が
そうやって曹氏から権力を簒奪したわけで。)
<関東・中部>
那須資胤
大関高増(那須資胤から独立)
河原綱家(真田家臣。叔母・恭雲院が真田幸隆に嫁ぐ)
真田信政(信之の次男)
武田信虎(武田信玄の父。息子に追放された。)
「地獄に堕とす…。貴様を、貴様の民を、すべてを!」
<東海・北陸>
朝倉宗滴(7代・孝景の八男で、9代・貞景、
10代・孝景=宗淳、11代・義景の参謀)
<近畿>
松井康之(細川。幕臣で足利義輝没後
織田配下となった松井友閑の甥。)
玉置小平太(鉄砲で武装した僧兵・根来〈ねごろ〉衆らと共に織田と戦い敗北。
ちなみに根来衆には長州の毛利の家臣になった者も。)
下間(しもつま)仲孝(同下)
下間頼廉(石山本願寺・一向一揆)
<中国>
池田勝正(三好長逸と通じた荒木村重に
池田城から追放されたが、荒木への抑え
として原田城主に。しかし織田と足利義昭が
決裂すると幕府側についたため、織田家臣
となった荒木村重に原田城からも追放された。
金ヶ崎の撤退の際は秀吉や明智でなく彼が
しんがりの指揮者だった可能性あり)
赤松政秀(浦上から独立画策、黒田に大敗)
乃美宗勝(毛利・小早川)
吉川元長(元春の嫡男)
吉川広家(元春の三男。小早川秀秋よりも
ずっと家康寄りの言動をしている。
むしろ広家が裏切りの中心のような
書状が残されている。毛利全体の行動が不審だが)
<四国>
篠原長房(三好。小少将の3人目の夫)
三好義賢(子少将の2人目の夫・実休か)
十河一存(三好長慶の弟で十河存保の養父)
西園寺公広(河野というか伊予勢力下)
<九州>
成富茂安(龍造寺・鍋島)
緑(最上伊達・宇喜多黒田・織田徳川)系
反赤(細川・三好・真田)
*黒田官兵衛は黄の豊臣秀吉系だが息子や家臣が緑の家康・佐々木小次郎系。
また伊達も晴宗の世代などは別。
最上義光の妹の義姫が伊達輝宗の妻で政宗の母。
<無双武将>
02 前田慶次(織田→上杉)
03 織田信長(無宗教と見るのは間違いで
本来の天つ神の血筋で百済人などではない
継体天皇と関係する越前二宮・剣神社の神官の家系。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
にしては戦国の謀略にまみれてはいるが
他の勢力も大半は同じかそれ以上に酷い。
キリシタン大名は「汝の敵をも愛せよ」を守らず
宣教師は武器商人、利休も同類、本願寺は
僧兵という時点で不殺傷戒を破っている。
それを宗教勢力と呼び特別視し「そいつらだけは
どんなに殺人をやらかしてもよく、他は反撃しては
いけない」などというのは不公正、差別、ダブスタ)
12 伊達政宗
13 濃姫(斎藤道三の娘で母は明智一族?
織田信長の妻。その前は土岐頼純の正室
だったという説も。鷺山殿。帰蝶、胡蝶とも)
14 服部半蔵(徳川)
15 森蘭丸(織田。森長可の弟。
乱ないし乱法師。蘭丸というあて字は
後世の印象操作。署名では森成利)
20 徳川家康(大坂の陣など複数の機会で
双子の兄弟や影武者と入れ替わった
可能性が指摘されている。大坂落城後、
家康は略奪強姦を放置した。1万数千の首が飛び、
生き残っても、奴隷狩りに遭った者、数千。
その様子を描いたのが「大坂夏の陣図屏風」
であり、「おきく物語」だ。信長公は京都に入る際
一銭盗んでも死罪とし略奪強姦を禁じた。
家康は逆だ。そんな奴を神君などと
呼ぶのはカルトか、よくて歴史捏造。
当時は連中が軍事力を持っていたので仕方ない面も
あるかと思うが、今は客観的に公正に見るべきかと。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、家康に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
幕末・明治期の長州のペクチョンなどによる
会津などに対する暴虐もひどいが、江戸幕府も
そうした蛮行から始まっている事実を隠してはならないだろう。
信長公が特別に「宗教弾圧」してたかにほざく奴らがいるが
家康も一向一揆を鎮圧してる。しかも自領内で家臣だった者も
反乱軍に加わっている。奈良の興福寺の宗徒の
筒井氏を伊賀に移したのは信長公ではなく秀吉。弟の秀長は
奈良の寺社勢力から特権を奪い商業利益を吸い上げたし
筒井を取り潰したのは家康だ。一説では山崎の戦いで明智に
味方しなかったので明智である天海が憎んだのではないかと。
同じく山崎で加勢しなかった細川にはガラシャの子がいたが。
信長公は本拠地で悪政のために反乱されたのではなく
朝倉などとつるんだ比叡山の僧兵を攻撃したり、
今の大阪城の下に埋もれている大坂城のできる前に
あった石山本願寺を攻めたりしただけ。石山というのは
元は寺ではなく磐座があったからという説あり。
古墳があったとも言われる。
また浄土真宗開祖の親鸞聖人の時代には既に
比叡山の僧など堕落して、下手すると武士などより
欲まみれの俗物である事が知られている。ちなみに
当時、武装したわけでも一揆を起こしたわけでもない
親鸞聖人を弾圧したのは後鳥羽上皇、松虫鈴虫事件)
27 ねね(豊臣秀吉の正室。
浅野長政の妻である「やや」の姉。
もちろん、女忍者ではなかった)
30 前田利家(織田)
33 佐々木小次郎(細川小倉藩の剣術師範だが相性が・・武蔵の逆)
43 福島正則(豊臣秀吉の叔母・松雲院の子)
44 藤堂高虎(浅井→豊臣→徳川)
45 井伊直虎(今川→徳川。井伊直政の養母。いや男という説も)
50 片倉小十郎(伊達)
56 井伊直政(徳川)
<固有武将>
005 最上義光(伊達政宗の母方の祖父。「羽州の狐」「虎将」)
013 宇佐美定満(上杉)
020 井伊直盛(今川。井伊直虎の父)
023 織田長益(織田信秀の十一男、有楽斎・如庵。千利休の弟子)
026 尼子勝久「私を盛り立ててくれる兵らのために!」
031 島津忠長
034 津軽為信(南部から独立。三成の次男・重成を匿って重臣・杉山源吾とした。
三男・信枚の側室は三成の三女で「ねね」の養女・辰姫。
松平康元の娘を正室とするまでは辰姫が正室だった。
津軽の領有を認めてもらえるよう交渉した三成に感謝していたが
旧主君の南部など周囲が東軍のため西軍につけば攻め込まれる
口実を与える事となるため西軍につけず、
しかし三成に報いたかったのではないかと推測されている。
信枚は南光坊天海の弟子となり江戸幕府にとりいる事にも成功)
066 酒井忠次(徳川)
067 鳥居元忠(徳川)
068 榊原康政(徳川)
069 渡辺守綱(徳川)
070 堀秀政(織田。13才までは秀吉の部下だった)
072 安藤守就(斎藤→織田。娘婿が竹中半兵衛)
073 稲葉一鉄(斎藤→織田。斎藤利三の元の主君で春日局の祖父。
また千利休の弟子の牧村利貞の祖父でもある)
075 氏家卜全(斎藤→織田)
076 仙石秀久(斎藤→織田)
083 富田長繁(朝倉)「愉しいなア、戦は…。
天下すべてが敵になればいい…」
084 丹羽長秀(織田)「鬼五郎左の武勇、思い知らせてくれる!」
085 豊臣秀長(秀吉の異父弟。父方は水野氏庶流。
母親が水野氏である家康は遠い親戚にあたる。
秀吉は継父を嫌い家を出たが、秀長は兄への理解もあり、
秀吉が織田家臣である間は仲が良く優れた助手だった。
秀吉が妹を離婚させ家康に嫁がせたり、
秀長の婿養子を廃嫡させたりで関係悪化。
母の死、秀次切腹などより前に死去)
086 蜂須賀小六(美濃と尾張の国境辺りの川並衆。
一説では秀吉の元の主君。秀吉の誘いで織田配下)
087 毛利勝永(豊臣)森から改姓。毛利も当時はモリと読む
088 九鬼嘉隆(弁慶と同じ熊野水軍。北畠→織田。
子孫は丹波綾部と摂津三田の藩主に)
089 織田信雄(本能寺の変後、徳川家康に擁立された)
「予と刃を交える、か。無明、よ」
091 森長可(織田)「鬼武蔵の前に立つんじゃねえ!
死にたくなきゃな」
092 織田信忠「信長の子の肩書きだけで俺と対さば
痛い目を見るぞ」
093 蒲生氏郷(織田)「麒麟児・蒲生氏郷、がむしゃらに突撃する!」
097 小早川秀秋(「ねね」の甥で小早川隆景の婿養子。
旧臣たちは関ヶ原での裏切りを責められたため
仕官先がなかったなどと言われることがあるが、
実際には平岡頼勝は家康に、志賀親次は福島家を経て
細川に仕官している。稲葉正成の後妻は「春日局」福。
家光の乳母となる際に離縁してからも連携は続いてる)
098 滝川一益(織田)「元をたどれば伊賀の忍び、
その手練手管、味わえ!」
(甲賀出身と言われる事が多い。伊勢・志摩という説も)
106 赤井直正(波多野元秀の娘が正室だったが死別、
近衛前久の妹が継室)
107 波多野秀治(丹波。赤井と共に光秀の猛攻に耐えた)
108 山中鹿介(尼子十勇士)
109 尼子晴久
110 黒田長政
111 後藤又兵衛(黒田)
112 母里(モリ)太兵衛(黒田節。酔っ払った福島正則から
大盃の酒を飲みほせば望みの品を与えると
挑発され、名槍「日本号」を入手した。その前の
日本号の持ち主は正親町天皇→足利義昭→信長→秀吉)
114 宇喜多直家「謀聖の戦、存分に堪能されよ…ひっへっへ」
115 宇喜多秀家「秀家の前に立ちはだかるか! たたっ斬る!」
125 一条兼定「高貴なる一条家の出の兼定が、
なぜ直接戦わねばならんのだ…」
<固有姫>
009 大崎殿(最上義光の正室。駒姫の母)
010 駒姫(最上義光の娘。秀吉の養嗣子だった秀次の
側室となるが会う以前に夫と共に刑死)
014 お船(直江景綱の娘。兼続は婿)
「センと戦うのですね…わ、わかりました」
*このセリフ、本当は千姫のだったのでは?
018 藤(佐竹義久の娘で義重の養女。宇都宮国綱の正室)
024 望月千代女(武田。武士の娘が巫女頭になるのは
不自然なので女忍者ではないかという説が1971年から)
033 花姫(松平康親の娘。井伊直政の正室)
034 かな(加藤清正の後室)
035 乙女(本多忠勝の側室で稲姫の母)
038 碓氷姫(酒井忠次の正室)
045 吉乃(生駒家宗の娘で織田信長の側室で信忠・信雄・徳姫の母。
諸説あるが信長の母方の祖父を土田政久とする説に従うなら
その母方の祖父は生駒家広なので、信長が吉乃に母の面影を
見ていたのではないかという説も出てくる。
生駒家は蜂須賀家とも姻戚関係があり、
秀吉は生駒家に居候し情報を織田に送る事で仕官できたという。
なお吉乃というのは武功夜話における名。)
047 於まさ(福島正則の継室)
050 冬(織田信長の娘で蒲生氏郷の正室)
051 徳姫(織田信長の長女で松平信康の正室。
長女は小笠原秀政室、次女は本多忠政室。 )
052 土田御前(織田信秀の継室で信長・信包・お市らの母。
浅井三姉妹の面倒も見ていた)
054 やや(ねねの妹で浅野長政の正室)
055 お通(浄瑠璃の作者と誤伝されて来た。小野正秀の娘で淀殿に仕えたという説、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉に仕えたとする説、近衛信尹に書を習ったという説などがある。娘の宗鑑尼は真田信政の側室 )
056 安(前田家臣・奥村永福の正室)
057 孝蔵主(蒲生氏の家臣・川副勝重の娘。
「ねね」の筆頭上臈=秘書の長。のち徳川秀忠つき上臈。
「ねね」の側近侍女には他に大谷吉継の母・東殿や
小西行長の母マグダレーナなどもいる。)
058 せん(池田恒興の娘で森長可の正室のち中村一氏正室)
059 武姫(蒲生氏郷の養女で南部利直の正室)
062 伊賀マリア(父は筒井順慶?高山右近重友らと共にマニラ配流)
063 渓(大谷吉継の娘、妹とも。真田幸村の正室。
竹林院殿 梅「渓」永春大姉から1字とったこのゲーム上の名)
065 虎(蒲生氏郷の妹で豊臣秀吉の側室)
071 艶(六角義賢の娘で畠山義綱の正室)
072 北の方(宇喜多忠家の娘で富田信高の正室)
073 久芳院(一色義直の娘で藤堂高虎の正室。
ちなみに高虎の側室は長連久の娘)
080 みつ(尼子晴久の正室)
081 光(黒田官兵衛の正室で長政の母)
082 円融院(宇喜多直家の正室で秀家の母)
084 容光院(宇喜多直家の娘で吉川広家の正室)
085 砥石の方(宇喜多直家の父・興家の正室か)
092 紫(九条稙道の娘で十河一存の正室)
094 鶴姫(大内氏が大三島へ侵攻してきた際、鶴姫の大祝家や同じく越智氏に出自する河野氏、村上水軍と共に大内軍を撃退したという。小説「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」より)
095 千代菊(相良義陽の正室)
101 清(大友宗麟の娘で一条兼定の継室)
<東北>
白鳥長久(最上に援軍したり戦ったり。父の義久は
足利義晴の庶子で長久は義輝、義昭らの弟という説も)
志村光安(最上)
楯岡光直(最上)
新発田長敦(上杉)
本庄繁長(上杉)
甘糟景継(上杉)
直江景綱(上杉)
沼田祐光(津軽の軍師)
<関東・中部>
宇都宮国綱
芳賀高定(宇都宮)
塚原卜伝(足利や細川、北畠、上泉信綱などの剣術の師。
一族は秀吉の命で佐竹に滅ぼされた)
岡本禅哲(佐竹)
土岐為頼(里見→北条。里見義堯の正室になった娘・正蓮は離反後も里見側に。
ちなみに明智光秀も源氏土岐家の支流と言われるが)
真田昌輝(幸隆の子で昌幸の兄) *何故か本当に他の真田の逆。
子は家康の子の臣下だが。真田信之は赤グループなのに。
<東海・北陸>
大道寺政繫(北条) *何故か本当に相性が徳川系。
(妻は遠山綱景の娘。子の直繁は秀忠の家臣)
井伊直孝(赤鬼直政の二男)
本多正信(徳川)
石川数正(徳川→小牧長久手のち豊臣。佐久間の
水野讒言について知っていた可能性を指摘する声も。
数正を筆頭とする岡崎衆=信康派より酒井忠次ら
浜松衆の立場が強くなったため等の推測あり)
板倉勝重(徳川)
酒井忠世(徳川)
加藤嘉明(豊臣子飼い衆)
加藤忠明(嘉明の弟)
前田玄以(織田)
織田秀信(織田信長の長男・信忠の子・三法師。3才で擁立されたが・・)
不破光治(斎藤→織田)
竹中重門(半兵衛の長男。豊臣→徳川)
前田利常(利家の庶子で四男)
村井貞勝(織田。本能寺の変で死亡)
蜂須賀家政(小六の子)
浅野長政(織田・豊臣・徳川) *浅井ではない。織田重臣家系でない秀吉にとって重要な縁者。互いの妻が姉妹
堀尾忠氏(父代織田→豊臣・徳川)
池田輝政〔現在の形の姫路城を作らせた人物。
摂津池田氏と同族であることを強調しているが、
不確実でなんら確証もない〕
池田長吉(輝政の弟。長吉の兄)
池田恒興(輝政、長吉、長政らの父。母の養徳院は信長の乳母。
娘たちは森長可、豊臣秀次、浅野幸長、織田勝長らの正室、
養女は織田信時の娘で下間頼龍の正室。
*「織田信長は敵を根絶やしにした」などと書いてるサイトを
見かけるが、ならば何故、下間は生きていて織田と縁組まで
している?根絶やしは毛利が尼子や大内にやった事だろ。
どれだけ不公正な差別主義者・歴史捏造主義者なんだ?)
池田長政(輝政、長吉の弟)
塙(バン)団右衛門(豊臣。塙直政の親類かは不明。
大坂の陣で東軍に夜襲をしかけ戦果をあげた。
旗印の「塙団右衛門」で名を売るなど派手な活躍が
江戸時代の講談で人氣を博した。)
<近畿>
高山重友(高山右近。松永→千利休→肥後小西→加賀前田)
筒井順慶(興福寺一乗院に属する有力宗徒が武士化。
大名であり僧侶でもあった。当時は比叡山と並ぶ僧兵勢力で
はじめは近衛家の子弟が門跡をつとめていたし
近衛尚通の外孫である足利義昭も還俗前に門主をしていた。
長男でない者が僧になるのは、後継者争いを避けつつも、
長男が早世などした場合には還俗して後継者になれるため。
九条家の娘の多加姫が足利義昭の養女として順慶の嫁に。
明智光秀の次男の十次郎を養子にもらった説も)
松倉重信(筒井の右近)
雨森清貞(浅井)
細川興秋(忠興の次男) *本当に他の細川とは反対
<中国>
有馬豊氏(赤松の庶流だが母は京兆家。細川澄元の孫)
尼子経久
立原久綱(尼子)
井上之房(ゆきふさ。黒田)
岡利勝(宇喜多)
<四国>
蜂須賀至鎮(よししげ。家政の子)
<九州>
臼杵鑑速(あきすみ。大友)
なお、他の攻略サイトで「固有武将」に
ふくまれてない武将も、「固有姫」より
上に並んでる場合は「固有武将」と
いう事にさせてもらいました。
*実際には家康は織田の忠臣ではなく
従属的な同盟相手。「絶対に敵対するはずない」
というのは後世の印象操作で・・・実は
本能寺の変に絡んだ連中を大本営が隠している。
故意に・・・歴史捏造してると見るべきかと。
本能寺の変後、織田から甲斐・信濃を奪い
武田の旧臣を配下に加えてる事実が
「公式ストーリー」からは抜け落ちている。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
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