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2024-03

古事記の舞台は豊前だった! - 2021.12.12 Sun

先週の記事を読んでいただければ、
「古代」の「歴史認識」が極めて「政治的」な
話である事も分かっていただけるかと思うのですが

流域面積で解く倭人伝
& 香春岳を破壊する麻生=黒田への疑惑

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-428.html

そもそも このブログは、大局をぬきにして
茶番の枝葉末節を追いかける事よりも
その舞台裏を暴くことに重点を置いてるわけで

新型コロナとワクチンの話も3か月に1度くらいでいいかな
と思っているところで、与野党・ゆ党の茶番話には、
今たいした話を聞かないし、

当分は考古学や神社伝承の話になるかも知れません。
けれど、ジャンル分けは、ずっと政治・社会問題で
行くつもりです、

それも大事な所から書いて、
先週でだいたい済んでるのですが、
補足情報になると思います。



邪馬台国九州説の中でも
朝倉から近畿に地名が移動している
という説は知られている方ですが

豊前から近畿に地名が遷されている
と説いた先駆者は、大芝英雄さんのようです。

大芝先生は、日本書紀は近畿を舞台に
しているのに対し、古事記は豊前を舞台に
している事に氣づかれました。

古事記は元々は、禁じられた書物だったようです。

元明天皇が、708年に
「禁書を隠し持っている者は、
100日以内に自首せよ」
と布告を出して、真の歴史を抹殺しようと
図っているわけですが、古事記は
それを逃れて残されたもののようです。

現在残っているのは、太安万侶の子孫の
多人長が何か所か書き加えたものなど
のようです。

大芝さんは、古事記の「難波」が
大阪ではなく、豊前(福岡と大分の東北部)
である事に氣づいた。
大阪地名を黄色、京都・滋賀地名をオレンジで囲ってみました。
古事記の舞台は豊前
は奈良・三重の物部系地名、
 水色は神武系、は主に蘇我氏系。

摂津の国の風土記の逸文に、こういう話があります。
「昔、軽島の豊阿伎羅の宮に天下をお治めになった
天皇(応神天皇)のみ世に、新羅の国に女神があった。
その夫からのがれて来て、しばらく筑紫の国の
伊波比の比売島に住んでいた。」

筑紫の国の伊波比の比売島は
大分県の姫島と比定されています。
筑紫ではなく豊前ですが。
豊前を筑紫と書く事は、割とあるらしい。

で、伊波比(いはひ)というのは
関門海峡から国東半島あたりの
今の周防灘を指すのではないか、
と推測する事もできる。

であれば、欽明天皇の
「難波祝津宮」は祝(いはひ)灘に面した
宮と推測する事もできる。

また、今の大阪の上町台地は
7世紀頃まで大阪湾と河内湖に挟まれた砂洲であり
多くの住民の住めるような土地もなく、
大阪湾と河内湖(飛鳥時代)
ヤマト王権の本拠地である大和から遠く離れた僻地で、
応神天皇が難波大隅宮、仁徳天皇が難波高津宮、
欽明天皇が難波祝津宮、孝徳天皇が難波長柄豊碕
等の宮を置けるような場所ではない
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/九州王朝説
という指摘もあります。

※現在の大阪城の南にある「難波宮跡」は
 天武期と聖武期のものだそうです。

※なお、常陸国風土記では、孝徳天皇は
 「難波の長柄の豊前の大宮に
 天の下知ろし食しし天皇」と呼ばれています。

 口訳・常陸国風土記
 http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm
 壬生麻呂
 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/壬生麻呂

さらに、当時、上町台地は半島であり
今「難波宮跡」とされている辺りには
淀川しかないが
第4回遣唐使の記録に
難波三津浦から出たとある。
3つの河川の河口が並ぶ所と
考えられる。
古事記の難波は大阪ではなく・・・
豊前であれば
長狭川・今川・祓川の河口が
並んでいる所があるのです。

・・・というのが大芝先生のお説ですが
飛鳥時代の地形図(推定)を見ると
西除川・東除川・平野川あたりに
港があれば、三津浦となりそう。
それはそうとして・・・

近畿地名の難波の初登場は
推古天皇の頃、593年に
四天王寺を摂津の難波の高陵に造ったとある。
崇峻天皇の頃、587~589年に
四天王寺を建てたという話もあるけれど
そちらは摂津国とだけあり、難波地名は未だ無い。

結局、古事記にある
淡海・伊勢・山代・木ノ国・難波は
直径20kmの円内におさまるそうです。

これが日本書紀だと
琵琶湖・伊勢湾・山城・紀ノ国・摂津という
直径100kmの円でないとおさまらない
広い範囲となってしまい、無理がある。

例えば、仁徳天皇の皇后の磐之媛命が
酒宴の準備のために、料理を盛る木の葉
御綱柏(みづなかしわ)を採りに紀の国に行く
話は、往復200kmの舟行となってしまう。

豊前の行橋から城井川河口なら往復26kmで済む。


そういう講演の動画があるのですが、
https://www.youtube.com/watch?v=lHPzsKH1oc4
大芝英雄 豊前王朝について
お年をめされていらっしゃるので(当時92才)、
聞きやすくはありません。
学者さんの講演では、ありがちな事ですが
もっと若い頃であれば、
国語の教師だった福永先生ほどではないにせよ
もっと聞きやすかったのではないかと惜しまれます。

それにしても、筑豊で生まれ育って筑豊を語る
福永先生が、たまたま都立高校で教師をしていたため
標準語で、時々方言をまじえる程度で話されるのは
天の配剤、運命の何とやら。

福永晋三先生が、物部氏の神社伝承を追いながら
何故か物部氏が筑紫側に転じた後でも
秦氏や蘇我氏に権力が移ったらしい豊前を追うのも
大芝英雄さんの豊前王朝論をベースにしているため
のようで。


大芝先生のお説では、斉明天皇の頃までは
豊前に王朝があったのではないか、という話です。

643年、筑紫の大宰府から早馬で
百済国王の子らが到着したと日本書紀にあるけれど
九州から近畿に行くなら、船を使うはず。
駅伝制度もないのに、早馬でとは無茶な話。
 ちなみに、馬の埋葬が見られるのは4世紀後半から。
 それまで日本に乗れる馬はいなかったと考えられる。


ところで、タケミナカタ神がタケミカヅチ神に追われ
出雲から諏訪湖に逃れたとかいう話があるのだけれど、

「古事記」の科野(しなの)国の州羽(すは)海っていうのも
周防灘ぽいんだよね。もともとは。

諏訪社ではない周芳(すは)の神
山口の周方神社にタケミナカタ神がお祀りされている。
https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000186374/kuchikomi/0002619848/

何のことはない、出雲も筑豊の飯塚・桂川あたりらしい、
飯塚市平塚に出雲交差点、出雲公民館、出雲東区公民館あり。
島根は移住先。「山陰の松島」須佐を経ての。

野見宿禰の一族は、平塚村出雲から
穂波郡土師郷に移ったらしい

老松神社  天神様のゆかりの地域
https://horubai.jp/content/nnp_news/87
当麻蹶速は肥後国益城郡当麻の人かも。
「相撲の起源」説話を記載する目的
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho129/kai12905.html

そして・・・
タケミナカタ神をお祀りする枝光八幡宮の辺りの地名も諏訪。
ミナカタはムナカタと関係ありそうだし。

周芳の沙麼之浦も九州北部 【智導世津翁】
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/ojyaru_24/suwasaba.html
そう言えば、ホツマツタヱから逆算して
神社伝承を探し当てる人もいらっしゃいます。

それだって、ホツマツタヱを読んだ神社側が
「伝承」を取り入れてる可能性もありますが。


古代史の「敦賀」とは「博多」のことであった
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/ojyaru_24/turuga.html
これも、奈良の磐余から若狭・敦賀湾では遠いという事で
近畿に移す前は、どこの地名だったのかを推測している。
何のことはない、神功皇后も初めから筑紫にいた可能性が・・・。

何かヤマイチ国博多湾岸説の影響も強そうで、
香椎(かしい)を越(こし)と推測する理由などは
上記リンク先のページだけ見ても、詳しくは書いてないですが。

若桜宮を若咲神社とし、淡海を古・遠賀湾としても
全く問題ないかと思います。あとは、
博多湾を若狭と呼んだかどうか、暗号なのかどうか。

弥生時代・古墳時代の交通手段・移動距離などを
考えるなら「天の日矛も応神天皇も北陸に行ってないのでは?
地名は後から近畿・北陸に移植したのではないか?」
という疑問は、常に持っておいてもよいのではないかと。

「タリシヒコ」と「タラシヒメ」は同じ系統の名と見えるし。
気比と書いてキビと読んだり、
気比神宮が吉備津彦のミコトと関係したりもある。

浦島太郎伝説は本当に丹後で生まれたのか?
みたいな疑問も必要でしょうね。
海亀の日本海側での産卵は太平洋側と比べ少ないし
九州で多いのは鹿児島、宮崎。潮流に乗って福岡の
岡垣町の三里松原の浜にも度々たどりつく、という話。

福永晋三先生は神功皇后紀から読み始めていて
まだ初心者だった頃に日本書紀を疑わずに暗記
してしまった事も関係して、盲点になっているのかも。


元明天皇の親類関係を端的に示すと
 自・元明天皇 661-721
 兄・藤原史人 659-720
 姉・持統天皇 645-703
 父・天智天皇 626-672


「大化の改新」の正体
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-422.html

全国を前方後円墳で統一?大嘘
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-417.html

神武東征には三代かかった という視点
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-416.html

消された邪馬台国 捏造された琉球史
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-412.html

倭の稲・青銅文化・鉄器 古伝復元
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-414.html

日本語の成り立ち 勘違いも多いよ
水稲北方起源説を全否定!!

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-426.html

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