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2024-02

「大化の改新」の正体 - 2021.11.07 Sun

秦氏の祖先は、応神天皇の時代に渡来した
弓月君とされている。
5世紀中頃(450年前後)に
日本にやって来たと考えられている。
秦と書いて「ハタ」と読む。

秦氏は紀元前の始皇帝の子孫とされているため
百済の温祚王などと同時期に
朝鮮半島南部にいたとか
「漢委奴国王」の金印の時代に
日本に渡来していたとか言う方もいるようで。

けれど、中国の史書で「秦王国」が登場するのは
隋書(列傳第46 東夷 俀國)である。
その文化は中国風だったという。
隋は鮮卑族の国・政府なので
どんな中国風なのか、よく分からないけれど。

遠賀川流域の物部氏の勢力圏をも
秦氏が開いたかのような説も見受けられるけれど
漢や魏、晋は、その辺りを「秦王国」とは見ていない。

むしろ、越(夏王朝の末裔)とか
呉(孫呉ではなく、周王朝の末裔)からの倭人と
見られている。
実際、蚕の繭なども長江流域のと同じだったりする。

現存する日本最古の戸籍である
正倉院文書からすると
秦氏が居住していたのは
豊前の行橋、犀川、中津、築上あたりのようです。
(仲津郡とか上三毛郡とか書いてある。)

その辺りが「秦王国」ではないかと。

もう少し南にいくと、たくさんの石仏が見られる。

【大分】国東半島で「磨崖仏」を巡る旅。
https://intojapanwaraku.com/travel/2223/

国宝 臼杵石仏(摩崖仏)
https://sekibutsu.com/about/

これらの石仏(摩崖仏)は、通説では
平安時代につくられた事にされているが
正和4年(529年)という九州年号が刻まれていた
という。
https://www.dropbox.com/s/orzaxgtty33hajc/%E8%87%BC%E6%9D%B5%E7%9F%B3%E4%BB%8F.%E7%99%BA%E8%A1%A8%E7%A8%BF18.8.8.pdf
1927年の「大乗仏教芸術史」(小野玄妙、大雄閣出版)に
「つい数十年前まで」文字が残っていたと書かれてるとか。

529年なら、一般に百済仏教伝来と言われる538年より早い。

当地の伝承によれば、摩崖仏をつくらせたのは
真名野長者(炭焼き小五郎)だという。
金(きん)を手にして成りあがったのだという。

一般的には、真名野長者の子は般若姫で、
用明天皇と結婚したとされているとか。

ところが、真名野長者の子は聖徳太子だという
説もあるそうな。
ttps://ugaya.jimdofree.com/2013/08/04/真名野長者伝説と聖徳太子-ウガヤ王朝の密接な関係/

その伝承が本当かは分からないが
荒唐無稽とも言い切れない。
伝承は何らかの真実を含んでる事が多い。

はっきりしているのは、蘇我氏や秦氏は
聖徳太子と関係深いと言われている事。
そして、豊前にいたらしい事。

そして、そういう秦氏が移住した地域が
恭仁京あたり、木津川、笠置、加茂あたりの
摩崖仏のある地域ではないかと。

もちろん、太秦などにも移住したのでしょうが。

聖武天皇の時代に秦河勝の曽孫という
秦 島麻呂(はた の しままろ)という人物がいて
没年は747年とされているのだけど、
その娘が、藤原北家の小黒麻呂に嫁いでいる。

その子が藤原葛野麻呂で、
妹の上子が桓武天皇の後宮に入ったため
重んじられたという。

おー、恭仁京遷都に関わった秦氏と
藤原北家がつるんでるよ。
平城京から恭仁宮への遷都は
天平12年=740年。

聖武天皇の后は光明子で
藤原不比等と橘三千代の娘という。
異父兄に橘諸兄(葛城王)がいる。
女鹿の娘で藤原不比等の養子という伝承もある。
 また観阿弥の先祖は橘諸兄という説もあれば
 楠木正成の妹の子が観阿弥という説もある。

百済仏教の伝来は538年とされている。
527年に、応神天皇の5世子孫という
継体天皇が崩御しているという。
応神天皇は新羅系の神功皇后の子とされる。
当時は百済と敵対関係にある。

また当時はまだ九州に王朝が存在していた。

隋書には、600年以来4度の遣隋使を送って来た
倭王アメのタリシヒコないし
アマのタリシヒコ王の居住地域では
阿蘇山が見える事が記されている。

645年、乙巳の変で中大兄王子が権力を握る。
おそらく、「聖徳太子」の子の
「山背大兄皇子」を暗殺したのは
彼らではないかと。
山背(のち山城、京都)は
秦氏の領域だった。

クーデターの実行犯は中臣鎌足とされ
その子が藤原不比等とされているが
中臣氏と藤原氏は全く別の氏族のようであり
不比等は天智天皇(中大兄皇子)の子
と考えた方が辻褄が合う。
つまり持統天皇の弟という事になる。

663年、白村江の戦いにおける謀略で
百済からの亡命王族が
天つ神を裏切って九州王朝を壊滅させ
鮮卑族の唐と、百済系の「統一新羅」と
百済系の偽「日本」(擬制日本)という
蛮賊国家群が成立する。

このため、葛井寺(藤井寺)など各地で
「神社は新羅系で寺は百済系」
などという、ややこしい事になったようで。

藤井寺市の新羅神社(続き)
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/139.htm
ここでも秦氏が関わっている。
実質、高句麗・百済系の蛮賊である
藤原氏と一体化しているね。

こんな事もある。
奝然(チョウネン、938?~1016)という
東大寺の僧侶の俗姓を
藤原だったとする説と
秦だったとする説が並存している。
ttps://kotobank.jp/word/奝然-98135

『宋史』日本伝には984年に宋に留学した東大寺の
奝然
が太宗に職員令と「王年代記」と呼ばれた年代記
を献上したと記されている。
https://wiki.suikawiki.org/n/%E7%8E%8B%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98$36773

宋史 日本國(王年代紀)
ttps://hanzan-qazwsxedc.jimdofree.com/参考記述-2/98-宋史日本国-王年代記/
はじめの王は天御中主、次は天村雲尊、
17代が伊弉諾尊、18代が素戔烏尊、
19代が天照大神尊などとされ、
最初の23代は筑紫日向宮に都したという。

いろいろごちゃ混ぜになってると思う
方もいらっしゃるだろうし、実際そうだろうけど、
こちらの方が真実を含んでる、という部分も
あろうかとも思う。

日月神示ではナギ・ナミ両神の御子は
スサノヲの大神様であり、神社伝承では
スサノヲの大神様の御子はニギハヤヒ大神様、
またの名を天照大神様。
大日霊女貴様と習合した女神ではなく、男神。

ともかく、そういう文献を宋に献上したという
奝然(チョウネン)が、秦氏とも藤原氏とも言われる
のも興味深い。もともと「藤原氏」は中臣氏ではなく
「秦氏」に紛れ込んでいたのではないか。

私の中で、A型ぽい「弓月の君」と
テュルク系×モンゴル系の「秦河勝」木造が
結びつかない理由もその辺りにあるのではないか。

蘇我氏が物部氏から権力を奪うために
仏教を重視したため、蘇我氏や秦氏の縄張り
だったみやこ、行橋、中津、国東半島あたりに
百済の仏教勢力が入り込みやすかったのではないか。

五胡十六国時代を経て、中国は北方蛮賊だらけ
となった。いや、そもそも始皇帝が胡人という話もある。
隋や唐は鮮卑族の王朝だったので
「平安時代」には、細目の蛮賊こそが中国人とか
錯覚する者も出てきたろうし、天つ神は南方から来た
パッチリ二重まぶたの美人族だった事を忘れ
鮮卑の同類である高句麗・百済王族と似たような顔
だったと思い込む人も出てきたろう。百済王族は
積極的に系図偽造しているし。
それを批判しているのは多人長くらいだったのかも知れない。


常識で考える日本古代史
第五部 白村江と倭国
虚像の天智天皇
https://godowngamblin.net/story/story05.html

中大兄皇子葛城皇子とは別人なのでは?
7年間摂政をしていたとされる時期は
葛城天皇の治世だったのでは?!

https://gorilla5.exblog.jp/1694431/
つまり、宇治天皇(菟道稚郎子)を背乗りし
仁徳天皇と呼ばれている大鷦鷯I(おおささぎ)と
同じパターンなのでは?という話。

天武」と筑紫の君「薩夜麻」
https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/c95977fe2d32e27152ca21943fc9f229

672年、「壬申の乱」で天武天皇が
政権を奪還するが
その死後、天智の子である
持統天皇や異母妹の元明天皇が
藤原不比等と組んで歴史改竄していった。

天武天皇の謎を解く(第3章2-3)
藤原不比等と『日本紀』
http://manoryosuirigaku2.web.fc2.com/chapter3-5.html

321【特】ずらされた「藤原京」
天武に背いた持統の企らみ
「日本国」成立前夜の異変
http://pentacross.seesaa.net/article/461957317.html

元明天皇は和銅元(AD 708)年に
「山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は、百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない
という詔勅を出し、念には念を入れて古代からの王族や豪族の系譜を抹殺しようと図っている。

https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R2A777N4WR630F?ASIN=4574700610
「日本書紀」は“神代の昔から、大和朝がこの列島を支配してきた”と主張せんがためのイデオロギーの書として編集されたのである。 このためその主張のない「古事記」は、“禁書”とせざるを得なかった。つまり「古事記」とは編集方針を一変させ、先行した筑紫王朝…引いては九州王朝の痕跡を徹底的に消し去ろうとした。
 倭国…つまり筑紫王朝と大陸や半島諸国との関わりは、ことごとく大和朝との関わりであると創作(捏造)した。そのため筑紫王朝の史書「日本旧記」を採って(盗って)本文化したり、半島百済の三史書を採って(盗って)注記に入れたり本文化したりしたのだと主張している
 *このレビューは元明・持統・不比等ら天智系による真実抹殺批判する部分だけはまともだが
 そいつらこそが高句麗・百済系である事は隠し、あるいは分かっておらず、
 よりによって高句麗がへブル人の末裔とかいう、偽ユダヤと在日朝鮮人の主犯格がひろめたいデマを追加している。唐突にこじつけ、論理の飛躍がはじまる。
 原田氏の説にそんな部分があったのかは疑わしい。神社伝承に出てこないはずのデマ。

そういう奴らの手先だから
考古学会は九州の遺物を抹殺したがるわけでしょ。

体制が反日親蛮なのも、
分かるでしょ。
「チョイ悪」「剛腕」
「やんちゃ」などと
暴力団、チンピラ、不良、北方蛮賊ばかり持ち上げ。

魏志高句麗
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kokuri/gisi_kokuri.htm
人々の性格は凶悪、短気で、略奪を好む。」
「良い田はなく、耕作につとめてはいるが、口、腹を満たすには足りない。」

こいつら騎馬民族が北から稲作をもたらすわけがない
でしょ。稲だって長江流域のと同じだよ。
普通に倭人がもたらしたもの。
北方騎馬民族なんぞではない。

百済の温祚王は、高句麗の朱蒙の子という。
蛮賊です。
真実を隠し、歴史改竄し
他人の手柄を横取りし、
背乗りをたくらんでいる。
そういう連中。
それが右翼。

わかってない方は右翼(詐欺師)妄信者。

それを徹底批判するのが、
ひふみ神示や大本神諭ですよ。

ひふみ神示大本神諭
統一教会日本会議なんぞとは正反対

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11969544057.html

ひふみ神示 第十三巻「アメの巻」
第二帖 (三三六)
天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して
悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のもの
と申してある事これで判るであろがな、
鳥居は釘付けの形であるぞ、
基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、
基督信者よ改心致されよ、
基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、
○とは外国の事ぞ、
統一教会チャンネル桜の団扇を手に悠仁誕生を祝う方々
☉が神国の旗印ぞ
神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、
上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、
びっくり箱あくぞ、八九の次は+であるぞよ。
何事もウラハラと申してあろが、
ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、
よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、
日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、
上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。 」


これがどうしたら、「体制保守」に見えるのか。

ひふみ神示 第十五巻「一八(イハ)の巻」
神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ、我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ。


偽善や虚飾をよしとする平安貴族とは違う。
どこからどう見ても革新。

ありのままに読める人が少ないというのは
我田引水してねじまげて読んでしまう心理の罠
があるという事ですね。

ひふみ神示 第十二巻「夜明けの巻」
第十一帖 (三三一)
「我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。
慢心おそろしいぞ。」


「自尊的」なのを「選民思想」「中華思想」「我が我が」というのです。
韓国人の"Only IN Korea"と同じ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/OINK

大本営発表を鵜呑みにする事なく
己の頭で考えるのを
「我が我が」というのではない。

悪魔の理屈神の理
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64881808&comm_id=1001236
神示は常に、サニワする事、確かめる事、
鵜呑みにしない事、己の頭で考える事を推奨する「極左」であり
ファシスト=テロ権力者を絶対とする右翼蛮賊なんぞとは違う。

そもそも神示は
神武天皇が人皇として即位したのが4度目の岩戸閉め、
仏教と共に仏魔が渡って来たのが5度目の岩戸閉めで
それからは悪神のやりたい放題の暗黒の世、という話です。

幕末の開国が4度目とか、敗戦が5度目とかいう話ではない。
わかってるのかな?

そして、1、2、3度目の岩戸閉めは
おそらく歴史伝承の改竄を指している。

ひふみ神示肝腎要(カンジンカナメ)
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-242.html

ありのままに読みましょう。
我田引水せずに。ねじまげずに。

ひふみ神示 第十五巻「一八(イハ)の巻」
第十一帖 (三七六)
「此の世を我がもの顔にして御座るが、守護神よ、
世を盗みた世であるくらゐ、わかってゐるであらうがな。
早う元にかへして改心いたされよ、
神国(かみくに)の王はの王ざぞ、
外国(とつくに)の王は人の王ざぞ。
人の王では長う続かんのぢゃ。


これが鬼畜藤原批判である事が
わからないかな?


ひふみ神示 第ニ巻「下つ巻」
第十三帖 (五五)
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、
そんなこと長う続かんぞ。
あたまで手で歩くのは苦しかろうがな、
上にゐては足も苦しからうがな、
下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、
足はやはり下の方が気楽ぞ


右翼の大好きなファシズムとは正反対。

「下劣な権力者様は絶対の正義なのであーる!
間違いなど全くありえないのであーる!
犯罪者様を崇めない者こそおかしいのであーる!
殺す殺す殺すーーー!!!」
などという話ではない。

上に立ってる下賤の卑俗な「セレブ」どもは
蛮賊であり、下にいるべきという話。
革新しなければ秩序は復活しない。
高貴な「左翼」が上に還るべき、
という話。革新でしょ、どう見ても。
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