明智光秀が織田信長と出会うまでの嘘
後世の創作では斎藤道三に仕えていた事にされてるが
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
土岐氏が斎藤道三に実権を奪われて以降、
美濃斎藤に臣従していたわけではない。
先祖の時点で土岐氏に背いて
六角氏を頼り近江に逃れていて
光秀は近江で産まれたという説もある。
また本当は明智ではなかった
とか、明智光安は遠山景行とか、筒井順慶は弟とする
諸説・俗説?も多いようだ。
喜多村系図、宮城系図、山岸系図など。
そもそも、叔父の光安や父の光綱の実在は証明されていない。
土岐明智氏は1502年には消えているとの指摘も。
恵那郡明智は遠山姓明智氏の領土。
可児郡明智八郷は石清水八幡宮領。
「時は今 雨が下しる 五月哉」を土岐明智と結びつけて
謀反の意志と解釈したのは秀吉ではなかったかと。
また光秀と懇意だった吉田兼見の日記の
光秀の妹・妻木の記述から逆算すると
1540年以降に生まれた事になるそうだが
何しろ日記は本能寺の変以降、改竄版が
正式版という事になっているせいで真相不明。
(ちなみに、秀吉の妻の叔父である杉原家次の
が堺に入った家康一行に付き添いとして随行
していたという記録が本願寺顕如の祐筆が
書いた日記にあるが、杉原の記録も
本能寺の変から消えているそうだ。)
大河ドラマ「麒麟がくる」もあるので詳しく見ましょうか。
後世の「当代記」によると光秀は1516年生まれ、
同じく「明智軍記」によると1528年生まれ。
だが1516年だとフロイスに老人と
呼ばれている村井貞勝より年上となり不自然。
1516年産まれだと、ガラシャ誕生時は47才、十五郎誕生時は53才。
んー、かなり無理があるかなと。
1528年生まれだと、ガラシャ誕生時は35才、十五郎誕生時は41才となる。
少々、不自然かと。
仮に1540年生まれとすると
*0才からはじまる現代式の計算と
誕生日を考慮せず正月で加齢する数え年式の合成ですが
1541年1才 土岐頼満が急死。斎藤道三に毒殺された?
1548年8才 濃姫13才と織田信長14才の結婚
1552年12才 斎藤道三が揖斐北方城の土岐頼芸を再び尾張へ追放し美濃平定
1556年16才 斎藤道三が子の義龍に敗れ死亡
1560年20才 桶狭間の戦い。 今川配下の家康は17才
1563年23才 玉(のちのガラシャ)誕生
1565年25才 足利義輝29才が殺害された。弟の義昭は
細川藤孝にともなわれ逃亡。ちなみに多聞院日記は
1550年8月から1565年7月末までの記録がほぼ欠落して
いるため義昭の動向がはっきりしていないらしい。
1566年26才 細川家臣の医者の米田文書の写本成立。
高嶋田中城に籠城した光秀の話が載っている。1565年頃の事かと。
1568年28才 越前で元服した足利義昭31才の上洛に関わる
1569年29才 三好三人衆が義昭宿所の本圀寺を急襲。
その際の防衛側で信長公記に初登場。
嫡男の十五郎(光慶?)が生まれたのもこの年。
1570年30才 浅井長政25才の裏切りで金ヶ崎の撤退。
『武家雲箋』所収一色藤長書状によると
秀吉と共に光秀もしんがりを努めたそうだ。
この年、細川藤孝の従弟の吉田兼見の日記に
光秀が初登場。既に親しく、石風呂に入れた話
1573年33才 足利義昭36才が挙兵。藤孝、光秀らは織田配下に。
この年、越前地付きの武士の服部七兵衛尉宛の光秀書状あり
1576年36才 石山本願寺との天王寺の戦い。過労で倒れ療養。
正室の煕子が坂本城で病死。この年、秀吉は信長の四男
於次丸7才を養子に欲しいと願い出、79年頃には実現。
1578年38才 信長の命で玉(ガラシャ)15才が細川忠興15才と結婚
1579年39才 かつての主君の細川藤孝らと共に丹波・丹後を平定。
この頃、秀吉は上月城攻防の末、宇喜多を従えたが
摂津の荒木村重の寝返りなどで毛利攻めは一時中断
1580年40才 丹波一国の領主に。
寄騎として細川藤孝46才、筒井順慶31才らが配属される。
松井康之30才などは臣下だった光秀の配下になる事を嫌がっていたらしく
秀吉はそういった事情を分かっていて細川・松井に接近、調略したらしい。
また勝手に三好と同盟し、光秀の長宗我部との同盟を破綻させた・・・
という説もある。それに対し、秀吉の甥(のちの秀次)は本能寺の変の
前には三好の養子になってなかったとする反論もある。
この頃、秀吉は2年にわたる兵糧攻めの末、別所長治を下したが
竹中半兵衛を失うなど苦戦している。石山本願寺攻めのせいで
一向宗徒の多い播磨国人の反乱に苦しみ、毛利と挟まれ窮地に
陥り、調略の名手である自分が天下人になった方がうまくやれるのでは?
と考えたのではないかと推測する人もいる。
1582年42才 織田軍が四国へ渡海する予定だった6月2日の早朝、
本能寺の変を決行も、山崎の戦いで秀吉45才に敗れ死亡。
信長の四男13才が養子で毛利攻めに同行していた事も秀吉に有利に。
全て計算づくかと。
肖像画も、40才前後の方が54才とか66才とかより近いのではないかと。
普通は晩年のが残ってるもので。出世途上の若い頃よりも。
なお『明智軍記』では3男4女、『鈴木叢書』所収の
「明智系図」では側室の子も含めて6男7女があったとするが
はっきりしてるのは玉=ガラシャと十五郎だけで、
十五郎の諱は明らかではないらしい。
今後もドラマ撮影はあるのだろうから
役者さんはフィクションと割り切ってやった方がいいかも知れないけど。
もともと細川の家臣であったのを隠し、朝倉に10年仕えてたなどと
すると話が不自然という事。比叡山焼き討ちなども
実際は細川のやった事を織田に転嫁してる可能性すらある。
細川政権(戦国時代)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%A8%A9_(%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3)
「細川政元が管領職を独占して幕府の実権を握り、比叡山延暦寺を焼き討ちするなど各地で反抗勢力を攻めたり細川氏の被官としたりして勢力拡大を図り、京兆専制を打ち立て細川氏の全盛期を築くこととなった。 」
なお、調査の結果、炎上したのは根本中堂だけで、山全体であるかのような記述は間違いである事も分かっている。
比叡山焼き討ち
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1%E7%84%BC%E3%81%8D%E8%A8%8E%E3%81%A1
比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)とは、比叡山を中心とした地域(延暦寺、日吉大社、門前町の坂本などを含む)に対して行われる焼き討ち。
足利義教が行った比叡山攻撃とその後の根本中堂自焼(1435年)については足利義教#延暦寺との抗争もしくは延暦寺#武家との確執を参照。
細川政元が行った比叡山焼き討ちは、比叡山焼き討ち (1499年)を参照。
織田信長が行った比叡山焼き討ちは、比叡山焼き討ち (1571年)を参照。
ちなみに比叡山自身も他山をたびたび焼き討ちしている。
信長公だけが特別に悪いみたいに吹聴する連中が
いかに不公正か。教科書がいかに権力に媚びているか
という事を知っておくべきでしょう。
そして、誰の都合なのか考えてみるとよい。
ちなみに「信長公記」の成立は江戸時代初期と
考えられており、著者である太田牛一は
本能寺の変の後は秀吉に仕えているし
子孫は秀吉家臣の青木一重、藤堂高虎、
加賀の前田利常などに仕えている事、
前田は千利休一味のキリシタンの
高山右近をかくまっていた事、
また配下の佐々成政の子孫という者が公安で
知り合いの重信と娘と自作自演ぽい事件を
起こしている事なども考慮すべきではないかと。
https://ameblo.jp/http-aplzdus/entry-12264100501.html
それにもちろん、戦中の総理が近衛文麿で
その右腕が細川護貞だった事も、
「通説」が細川と明智光秀の関係を隠し
細川の悪行の数々を隠している事も、
細川もキリシタン利休の一味である事もね。
教科書が教えない
応仁の乱以降の畿内史
http://blog.livedoor.jp/rekishi_/
最後は暗殺されたが
実は暗殺の鬼だった足利義輝
土岐康行の乱 1390年 南北朝時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E5%BA%B7%E8%A1%8C%E3%81%AE%E4%B9%B1
土岐西池田家の頼忠・頼益父子は
室町幕府に味方して康行と戦った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E9%A0%BC%E7%9B%8A
応永6年(1399年)の応永の乱では頼益は幕府軍に加わって和泉堺へ出陣していたが、従兄の土岐詮直(康行の従弟で乱後没落していた)が大内義弘に呼応して挙兵し、美濃へ乱入した。頼益はただちに兵を返して詮直を打ち破っている。
頼益は義満と4代将軍足利義持から信任され、応永8年(1401年)に評定衆に列し、応永10年(1403年)の着座で諸将の筆頭として破格の扱いを受け、幕府七頭の一家となり、同年に侍所頭人、宿老を歴任して幕閣の要人として重んじられた。
一方、本国美濃では古くから土着している土岐氏庶流の多くは西池田家が主流となったことに反抗的で、頼益は統治に苦労し、外様の国人の富島氏を守護代に重用するようになった。頼益の時に目代の斎藤氏が被官となり守護代となっている。
奉公衆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%85%AC%E8%A1%86
義昭は織田信長の支援で15代将軍になったが、
義栄に味方した奉公衆の多くは追放されたために
安見宗房のように新たに奉公衆に取り立てたり、
奉公衆とは別に創設されていた足軽衆の整備が図られた
(明智光秀も元は足軽衆の出身であったと考えられている
明智・細川・松井などは
明らかに幕臣だった者と一緒に配属されている。
一つには、秀吉が主君だったという説もある
蜂須賀小六を部下にして
うまくやっていたから、かも知れない。
(実際は豊臣秀長が間に入っていたらしいが。)
歴史の実際の流れを見ていると
明智らは儀礼・作法などに詳しいため
畿内・近辺にとどめ置かれたはずで
毛利を倒したらその領地を与えられ
さらに九州方面に向かわされる事を
危惧していたのは秀吉ではなかったかと。
ちなみに柴田勝家・前田利家・佐々成政らは北陸方面。
関東・東北方面は滝川一益が総司令官。
秀吉は家康を三河・駿河などの120万石から
関東240万石に加増した際、名目上は栄転だが
本音では中央から遠ざける左遷のつもりでいた。
フロイスの織田信長評
『良き理性と明晰な判断力を有し、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、戦運が己に背いても心気広潤で忍耐強かった。困難な企てに着手するに当たっては、はなはだ大胆不敵であった。対談の際に遅延することやだらだらした前置きを嫌い、ごく卑賤の家来とも親しく話した。人の扱いには極めて率直で、自らの見解には尊大であった。ほとんど家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏怖されていた。万事において人々は彼の言葉に服従した』
フロイスの豊臣秀吉評
『彼は自らの権力が順調に増していくにつれ、それまでとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えていった。家臣に対しても極度に傲慢で、彼に対して憎悪の念を抱かぬ者はいないほどであった。彼はこの上もなく恩知らずであり、自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、最大の功績者を追放したり恥辱をもって報いるのが常であった。彼は尋常ならぬ野心家であり、その野望が諸悪の根源となって彼を残酷で嫉妬深く不誠実な人物、欺瞞者、虚言者、横着者たらしめたのである。彼は本心を明かさず、偽るのが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた』
朝鮮出兵の頃の秀吉
『諸大名が関白に対して抱いていた恐怖心は極めて大きく、もし一人が謀反を敢行した場合、その者は全員から直ちに見放されてしまう。諸大名は互いに胸襟を開き親交を結ぼうというような信頼感をまったく持ち合わせておらず、自分が胸中を打ち明けた相手によって訴えられはしまいかと極度に憂慮して、誰一人として動こうとはしないのである』
フロイスの明智光秀評
『 彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った。』
こういったものは検索すれば出てくると思うが
何故か「徳川家康」「細川藤孝」「近衛前久」
などで検索しても、出てこない。
そこだけ都合よく焼けてるなんて事があるのかね?
翻訳を避けたと思われても仕方ない。
完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変
―織田信長篇(3) (中公文庫)
のレビューを読むと、
「翻訳者・出版社が多数の章を飛ばして
編集してしまったために、本能寺の変以後の
動きがよくわからず」
と書いていらっしゃる人もいる。
国内では邪悪な権力者が歴史を偽造
していても、海外に残っていたりする貴重な
ケースがあるものだが、それを翻訳させまい
とする輩もいるという事だろう。
沖縄からの日系ブラジル移民など
正直なネイティヴ日本系の人に
ポルトガル語の原書を読んでもらって
真相を知りたいものだ。・・・いや
原書そのものが消失してて
写本をつないで出版した本が
ポルトガル語らしいんだけど。
わざと燃やした可能性もあるね、
家康・藤原・細川・毛利などと
つるんでる東インド会社などの都合でね。
ちなみに
完訳フロイス日本史〈8〉宗麟の死と嫡子吉統の背教―大友宗麟篇(3)
のレビューには
「いちおう宗教史として書かれた書物であるにも関わらず、
ヘタな軍記物より遥かに面白いのですから、
フロイスの表現力と文章構成力は大したものだと思います」
という評価があり、
完訳フロイス日本史〈5〉「暴君」秀吉の野望―豊臣秀吉篇(2)
のレビューには、
「織田信長とか秀吉とかリアルに、その人となりが伝わってきます。
歴史書などで読むのとは全く違う世界感が伝わります。ロマンがあります。
是非どうぞ。 」とある。
「秀吉は指が6本」
「織田信長は潔癖症で、お酒が飲めなかった」というような
話もあるらしい。ただ反日韓流系出版社から本を出してる方が
書いてる事なので、著者は立派そうではあるが
そちらは勧めない。
細川・近衛に注目する人は少数かも
知れないが、家康について書いてある
のに読者の誰もふれてない、なんて事ある?
あるいはグーグルとかにはじかれる?
いずれにしても、不自然だよね。
もともと焼けてるのなら
わざと焼いたのだと見るのが順当かと。
戦国無双4 Empires 主な武将 一覧
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
土岐氏が斎藤道三に実権を奪われて以降、
美濃斎藤に臣従していたわけではない。
先祖の時点で土岐氏に背いて
六角氏を頼り近江に逃れていて
光秀は近江で産まれたという説もある。
また本当は明智ではなかった
とか、明智光安は遠山景行とか、筒井順慶は弟とする
諸説・俗説?も多いようだ。
喜多村系図、宮城系図、山岸系図など。
そもそも、叔父の光安や父の光綱の実在は証明されていない。
土岐明智氏は1502年には消えているとの指摘も。
恵那郡明智は遠山姓明智氏の領土。
可児郡明智八郷は石清水八幡宮領。
「時は今 雨が下しる 五月哉」を土岐明智と結びつけて
謀反の意志と解釈したのは秀吉ではなかったかと。
また光秀と懇意だった吉田兼見の日記の
光秀の妹・妻木の記述から逆算すると
1540年以降に生まれた事になるそうだが
何しろ日記は本能寺の変以降、改竄版が
正式版という事になっているせいで真相不明。
(ちなみに、秀吉の妻の叔父である杉原家次の
が堺に入った家康一行に付き添いとして随行
していたという記録が本願寺顕如の祐筆が
書いた日記にあるが、杉原の記録も
本能寺の変から消えているそうだ。)
大河ドラマ「麒麟がくる」もあるので詳しく見ましょうか。
後世の「当代記」によると光秀は1516年生まれ、
同じく「明智軍記」によると1528年生まれ。
だが1516年だとフロイスに老人と
呼ばれている村井貞勝より年上となり不自然。
1516年産まれだと、ガラシャ誕生時は47才、十五郎誕生時は53才。
んー、かなり無理があるかなと。
1528年生まれだと、ガラシャ誕生時は35才、十五郎誕生時は41才となる。
少々、不自然かと。
仮に1540年生まれとすると
*0才からはじまる現代式の計算と
誕生日を考慮せず正月で加齢する数え年式の合成ですが
1541年1才 土岐頼満が急死。斎藤道三に毒殺された?
1548年8才 濃姫13才と織田信長14才の結婚
1552年12才 斎藤道三が揖斐北方城の土岐頼芸を再び尾張へ追放し美濃平定
1556年16才 斎藤道三が子の義龍に敗れ死亡
1560年20才 桶狭間の戦い。 今川配下の家康は17才
1563年23才 玉(のちのガラシャ)誕生
1565年25才 足利義輝29才が殺害された。弟の義昭は
細川藤孝にともなわれ逃亡。ちなみに多聞院日記は
1550年8月から1565年7月末までの記録がほぼ欠落して
いるため義昭の動向がはっきりしていないらしい。
1566年26才 細川家臣の医者の米田文書の写本成立。
高嶋田中城に籠城した光秀の話が載っている。1565年頃の事かと。
1568年28才 越前で元服した足利義昭31才の上洛に関わる
1569年29才 三好三人衆が義昭宿所の本圀寺を急襲。
その際の防衛側で信長公記に初登場。
嫡男の十五郎(光慶?)が生まれたのもこの年。
1570年30才 浅井長政25才の裏切りで金ヶ崎の撤退。
『武家雲箋』所収一色藤長書状によると
秀吉と共に光秀もしんがりを努めたそうだ。
この年、細川藤孝の従弟の吉田兼見の日記に
光秀が初登場。既に親しく、石風呂に入れた話
1573年33才 足利義昭36才が挙兵。藤孝、光秀らは織田配下に。
この年、越前地付きの武士の服部七兵衛尉宛の光秀書状あり
1576年36才 石山本願寺との天王寺の戦い。過労で倒れ療養。
正室の煕子が坂本城で病死。この年、秀吉は信長の四男
於次丸7才を養子に欲しいと願い出、79年頃には実現。
1578年38才 信長の命で玉(ガラシャ)15才が細川忠興15才と結婚
1579年39才 かつての主君の細川藤孝らと共に丹波・丹後を平定。
この頃、秀吉は上月城攻防の末、宇喜多を従えたが
摂津の荒木村重の寝返りなどで毛利攻めは一時中断
1580年40才 丹波一国の領主に。
寄騎として細川藤孝46才、筒井順慶31才らが配属される。
松井康之30才などは臣下だった光秀の配下になる事を嫌がっていたらしく
秀吉はそういった事情を分かっていて細川・松井に接近、調略したらしい。
また勝手に三好と同盟し、光秀の長宗我部との同盟を破綻させた・・・
という説もある。それに対し、秀吉の甥(のちの秀次)は本能寺の変の
前には三好の養子になってなかったとする反論もある。
この頃、秀吉は2年にわたる兵糧攻めの末、別所長治を下したが
竹中半兵衛を失うなど苦戦している。石山本願寺攻めのせいで
一向宗徒の多い播磨国人の反乱に苦しみ、毛利と挟まれ窮地に
陥り、調略の名手である自分が天下人になった方がうまくやれるのでは?
と考えたのではないかと推測する人もいる。
1582年42才 織田軍が四国へ渡海する予定だった6月2日の早朝、
本能寺の変を決行も、山崎の戦いで秀吉45才に敗れ死亡。
信長の四男13才が養子で毛利攻めに同行していた事も秀吉に有利に。
全て計算づくかと。
肖像画も、40才前後の方が54才とか66才とかより近いのではないかと。
普通は晩年のが残ってるもので。出世途上の若い頃よりも。
なお『明智軍記』では3男4女、『鈴木叢書』所収の
「明智系図」では側室の子も含めて6男7女があったとするが
はっきりしてるのは玉=ガラシャと十五郎だけで、
十五郎の諱は明らかではないらしい。
今後もドラマ撮影はあるのだろうから
役者さんはフィクションと割り切ってやった方がいいかも知れないけど。
もともと細川の家臣であったのを隠し、朝倉に10年仕えてたなどと
すると話が不自然という事。比叡山焼き討ちなども
実際は細川のやった事を織田に転嫁してる可能性すらある。
細川政権(戦国時代)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%A8%A9_(%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3)
「細川政元が管領職を独占して幕府の実権を握り、比叡山延暦寺を焼き討ちするなど各地で反抗勢力を攻めたり細川氏の被官としたりして勢力拡大を図り、京兆専制を打ち立て細川氏の全盛期を築くこととなった。 」
なお、調査の結果、炎上したのは根本中堂だけで、山全体であるかのような記述は間違いである事も分かっている。
比叡山焼き討ち
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1%E7%84%BC%E3%81%8D%E8%A8%8E%E3%81%A1
比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)とは、比叡山を中心とした地域(延暦寺、日吉大社、門前町の坂本などを含む)に対して行われる焼き討ち。
足利義教が行った比叡山攻撃とその後の根本中堂自焼(1435年)については足利義教#延暦寺との抗争もしくは延暦寺#武家との確執を参照。
細川政元が行った比叡山焼き討ちは、比叡山焼き討ち (1499年)を参照。
織田信長が行った比叡山焼き討ちは、比叡山焼き討ち (1571年)を参照。
ちなみに比叡山自身も他山をたびたび焼き討ちしている。
信長公だけが特別に悪いみたいに吹聴する連中が
いかに不公正か。教科書がいかに権力に媚びているか
という事を知っておくべきでしょう。
そして、誰の都合なのか考えてみるとよい。
ちなみに「信長公記」の成立は江戸時代初期と
考えられており、著者である太田牛一は
本能寺の変の後は秀吉に仕えているし
子孫は秀吉家臣の青木一重、藤堂高虎、
加賀の前田利常などに仕えている事、
前田は千利休一味のキリシタンの
高山右近をかくまっていた事、
また配下の佐々成政の子孫という者が公安で
知り合いの重信と娘と自作自演ぽい事件を
起こしている事なども考慮すべきではないかと。
https://ameblo.jp/http-aplzdus/entry-12264100501.html
それにもちろん、戦中の総理が近衛文麿で
その右腕が細川護貞だった事も、
「通説」が細川と明智光秀の関係を隠し
細川の悪行の数々を隠している事も、
細川もキリシタン利休の一味である事もね。
教科書が教えない
応仁の乱以降の畿内史
http://blog.livedoor.jp/rekishi_/
最後は暗殺されたが
実は暗殺の鬼だった足利義輝
土岐康行の乱 1390年 南北朝時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E5%BA%B7%E8%A1%8C%E3%81%AE%E4%B9%B1
土岐西池田家の頼忠・頼益父子は
室町幕府に味方して康行と戦った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E9%A0%BC%E7%9B%8A
応永6年(1399年)の応永の乱では頼益は幕府軍に加わって和泉堺へ出陣していたが、従兄の土岐詮直(康行の従弟で乱後没落していた)が大内義弘に呼応して挙兵し、美濃へ乱入した。頼益はただちに兵を返して詮直を打ち破っている。
頼益は義満と4代将軍足利義持から信任され、応永8年(1401年)に評定衆に列し、応永10年(1403年)の着座で諸将の筆頭として破格の扱いを受け、幕府七頭の一家となり、同年に侍所頭人、宿老を歴任して幕閣の要人として重んじられた。
一方、本国美濃では古くから土着している土岐氏庶流の多くは西池田家が主流となったことに反抗的で、頼益は統治に苦労し、外様の国人の富島氏を守護代に重用するようになった。頼益の時に目代の斎藤氏が被官となり守護代となっている。
奉公衆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%85%AC%E8%A1%86
義昭は織田信長の支援で15代将軍になったが、
義栄に味方した奉公衆の多くは追放されたために
安見宗房のように新たに奉公衆に取り立てたり、
奉公衆とは別に創設されていた足軽衆の整備が図られた
(明智光秀も元は足軽衆の出身であったと考えられている
明智・細川・松井などは
明らかに幕臣だった者と一緒に配属されている。
一つには、秀吉が主君だったという説もある
蜂須賀小六を部下にして
うまくやっていたから、かも知れない。
(実際は豊臣秀長が間に入っていたらしいが。)
歴史の実際の流れを見ていると
明智らは儀礼・作法などに詳しいため
畿内・近辺にとどめ置かれたはずで
毛利を倒したらその領地を与えられ
さらに九州方面に向かわされる事を
危惧していたのは秀吉ではなかったかと。
ちなみに柴田勝家・前田利家・佐々成政らは北陸方面。
関東・東北方面は滝川一益が総司令官。
秀吉は家康を三河・駿河などの120万石から
関東240万石に加増した際、名目上は栄転だが
本音では中央から遠ざける左遷のつもりでいた。
フロイスの織田信長評
『良き理性と明晰な判断力を有し、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、戦運が己に背いても心気広潤で忍耐強かった。困難な企てに着手するに当たっては、はなはだ大胆不敵であった。対談の際に遅延することやだらだらした前置きを嫌い、ごく卑賤の家来とも親しく話した。人の扱いには極めて率直で、自らの見解には尊大であった。ほとんど家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏怖されていた。万事において人々は彼の言葉に服従した』
フロイスの豊臣秀吉評
『彼は自らの権力が順調に増していくにつれ、それまでとは比べものにならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えていった。家臣に対しても極度に傲慢で、彼に対して憎悪の念を抱かぬ者はいないほどであった。彼はこの上もなく恩知らずであり、自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、最大の功績者を追放したり恥辱をもって報いるのが常であった。彼は尋常ならぬ野心家であり、その野望が諸悪の根源となって彼を残酷で嫉妬深く不誠実な人物、欺瞞者、虚言者、横着者たらしめたのである。彼は本心を明かさず、偽るのが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた』
朝鮮出兵の頃の秀吉
『諸大名が関白に対して抱いていた恐怖心は極めて大きく、もし一人が謀反を敢行した場合、その者は全員から直ちに見放されてしまう。諸大名は互いに胸襟を開き親交を結ぼうというような信頼感をまったく持ち合わせておらず、自分が胸中を打ち明けた相手によって訴えられはしまいかと極度に憂慮して、誰一人として動こうとはしないのである』
フロイスの明智光秀評
『 彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った。』
こういったものは検索すれば出てくると思うが
何故か「徳川家康」「細川藤孝」「近衛前久」
などで検索しても、出てこない。
そこだけ都合よく焼けてるなんて事があるのかね?
翻訳を避けたと思われても仕方ない。
完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変
―織田信長篇(3) (中公文庫)
のレビューを読むと、
「翻訳者・出版社が多数の章を飛ばして
編集してしまったために、本能寺の変以後の
動きがよくわからず」
と書いていらっしゃる人もいる。
国内では邪悪な権力者が歴史を偽造
していても、海外に残っていたりする貴重な
ケースがあるものだが、それを翻訳させまい
とする輩もいるという事だろう。
沖縄からの日系ブラジル移民など
正直なネイティヴ日本系の人に
ポルトガル語の原書を読んでもらって
真相を知りたいものだ。・・・いや
原書そのものが消失してて
写本をつないで出版した本が
ポルトガル語らしいんだけど。
わざと燃やした可能性もあるね、
家康・藤原・細川・毛利などと
つるんでる東インド会社などの都合でね。
ちなみに
完訳フロイス日本史〈8〉宗麟の死と嫡子吉統の背教―大友宗麟篇(3)
のレビューには
「いちおう宗教史として書かれた書物であるにも関わらず、
ヘタな軍記物より遥かに面白いのですから、
フロイスの表現力と文章構成力は大したものだと思います」
という評価があり、
完訳フロイス日本史〈5〉「暴君」秀吉の野望―豊臣秀吉篇(2)
のレビューには、
「織田信長とか秀吉とかリアルに、その人となりが伝わってきます。
歴史書などで読むのとは全く違う世界感が伝わります。ロマンがあります。
是非どうぞ。 」とある。
「秀吉は指が6本」
「織田信長は潔癖症で、お酒が飲めなかった」というような
話もあるらしい。ただ反日韓流系出版社から本を出してる方が
書いてる事なので、著者は立派そうではあるが
そちらは勧めない。
細川・近衛に注目する人は少数かも
知れないが、家康について書いてある
のに読者の誰もふれてない、なんて事ある?
あるいはグーグルとかにはじかれる?
いずれにしても、不自然だよね。
もともと焼けてるのなら
わざと焼いたのだと見るのが順当かと。
戦国無双4 Empires 主な武将 一覧
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
スポンサーサイト
戦国無双4E 固有武将の相性
戦国無双4 Empiresでの武将の相性を
分析してみました。
プレイステーション3版でやってます。
他の攻略サイトでは、基本的には
無双武将だけは相性グループ分け
してあるけれど、固有武将・固有姫や
一般武将(汎用武将)の場合は、
無双武将の関係者
(例えばガラシャに対する細川忠興とか)
しか載せてないところが多いので、
せめて固有姫より上に並んでる武将と
それなりに能力などの高い武将だけは
分類してみました。
(少なくともゲーム上の)家紋・旗印の色が、
豊臣家は黄で、真田・武田などは赤なので
相性が豊臣秀吉系のグループを
私は黄グループと呼んでいます。
赤グループと言えば、
ここでは、相性が真田・武田系のグループ。
基本は秀吉との関係で考えると
わかりやすいのかなと。
明智光秀、柴田勝家は
秀吉と敵対するグループだが
織田信長とは敵対しない。
小田原北条氏なども
反秀吉と設定されている。
そして、関東の反北条の大名は
秀吉と同じグループとなる・・・
みたいな感じ。
お市と浅井三姉妹も
柴田勝家と同じ青グループ。
(浅井、長宗我部、細川などの家紋色が青で
ガラシャと細川忠興は相性のよいと
書いてるサイトを見て忠興も青系かと思っていた
のもあって、青グループと呼んでます。)
江と相性のよい徳川秀忠も
青グループ。
長宗我部も反豊臣秀吉。で「一領具足」を使う。
北条も「領民同心・弐」を使うので青グループは強い。
私の場合、自作エディット武将の
千利休、南光坊天海も青グループにしてます。
(相性を明智光秀に合わせてある。)
実際は島津も秀吉に攻撃されてるし、
その際、秀吉は大友に援軍を送っているので
島津も青で、大友が黄グループでもよさそうだけど。
立花が大阪冬の陣で青グループの秀忠に仕えてるからか?
でもそれは本多忠勝の推挙で江戸城に仕えたから・・・
本多と同じ黄でよさそうなものだけど。
長宗我部だって盛親は豊臣四天王なんて呼ばれてるし。
薩長を敵対させたくなかったのか?
でも土佐は青グループだし。肥前は赤。
というか本多は何故黄グループ?
で・・・毛利の場合、無双武将の
毛利元就、小早川隆景は
真田・武田と同じ赤グループだけど
子や孫の世代、毛利輝元などになると
秀吉と同じ黄グループが多い。
多分、元々血縁でない小早川秀秋だけが
徳川家康と同じ緑グループ。
(家康の家紋・旗が緑というわけではないが
赤の反対色だし、同じ相性グループの
伊達政宗や尼子はゲーム上で家紋が緑
なので私は緑グループと呼んでます。)
※相性グループの見分け方。
黄グループの代表である豊臣秀吉
青グループの代表である明智光秀
緑グループの代表である徳川家康
赤グループの代表である真田幸村
と同じ部屋の奉行にしてみた時に
赤マーク (`へ´)(拒絶反応)がついた場合は
その反対グループという事です。
対立してなければ青(^-^)表示。
知りたい武将が載ってなかったら
やってみてください。
それと、一般武将(汎用武将)は
地方別に並んでるのですが
どうやら戦国無双4(無印、通常版)と同じで
関東・中部 とか 東海・北陸
というエリアになっているようで。
4 Empiresでの地方とは少し違います。
小田原は東海に入ってるみたいです。
また、上杉は越後にいる頃の武将も
東北にエリア分けされています。
私がそうしたのではなくて
もともとこのゲームでそうなってるだけ
なので、ご了承ください。
黄(豊臣・上杉・島津)系
反青(柴田・明智・北条)
<無双武将>
06 上杉謙信
16 豊臣秀吉(実は浅井昌成が近江佐々木氏の末裔・木下
越中守高泰の婿となり木下弥助国吉と改名し
尾張に移住したのが曽祖父。父代も村長。水呑百姓ではない。
「ねね」の一族は杉原と名乗っていたが、秀吉の出世に従い
木下と名乗るようになった。 逆に、「ねね」との結婚まで
秀吉は苗字を名乗ってないとする研究もあるそうだ。
近衛前久の猶子となる事で関白に)
18 本多忠勝(徳川)
19 稲姫(本多忠勝の娘。徳川の養女として真田信之の正室に)
24 島津義弘
26 直江兼続(上杉)
35 加藤清正(豊臣秀吉の母の従姉妹の子。また
祖父の祖父である加藤頼方は明智頼常の四男とか)
36 黒田官兵衛(赤松庶流で宇喜多と同盟の小寺→豊臣。
晩年、秀吉に遠ざけられたのは、宇喜多系の例にもれず
キリシタン勧誘を活発に行っていたためか。
https://ironna.jp/article/10891?p=2 )
42 綾御前(上杉謙信の姉で景勝の母)
51 上杉景勝(上杉謙信の甥で養子)
54 島津豊久
<固有武将>
010 斎藤龍興
012 佐竹義重
014 上杉憲政(謙信の養父。関東管領の事実上の宗家
である山内上杉家。足利尊氏の母方の家系で藤原氏)
024 柳生宗厳(剣術の師は上泉信綱。大和勢力下。宗矩の父。十兵衛の祖父)
025 豊臣秀頼(このゲーム上の相性は淀殿と反対で秀吉系
だが大野治長の子という説も。197cm、161kgの大男だったそうだ。
八条宮智仁親王や結城秀康が父ではないかとする憶測も。
家康は秀頼の才覚と評判を恐れていた。
大坂夏の陣の後、次のような京童唄が流行した。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ」
色白の坊っちゃんという肖像画の印象そのままだが
その子が天草四郎(益田時貞)ではないか、という説あり。
四郎も少年使節というより甲冑武者そのものの肖像が残ってるが。
なお天草で過酷な徴税をはじめた寺沢広高は秀吉の部下
だが親友の安田国継は明智の家臣のち立花など経由し最後は
出世した方の部下にという若い頃の約束で寺沢に仕えたという。
また「ねね」の甥の豊後日出藩主・木下延俊と
細川藤孝の娘・加賀の間に生まれた事になっている
木下延由という人物は秀頼の遺児・国松では
ないかという説も。ちなみに45歳で急逝している。)
また加藤清正の熊本城の昭君之間も「招君」のため、
秀頼を招くためのものではなかったかと推測されている。
ゲーム上は隈本城だが清正の築城後に熊本と改められた説が強い。
028 河野通直
029 有馬晴信(肥前。島津と通じ龍造寺隆信を破った際
兵数は龍造寺が圧倒的だったが、イエズス会から
大砲の提供を受けていたので勝ったともいう。
それで長崎の浦上村をイエズス会に寄進している。
ゲーム上で相性悪い大友と通じていた時期も。
「天正遣欧少年使節」には有馬も大友も参加。
家臣だった有家監物の娘が益田時貞の妻で
有家は天草島原の乱の総大将的な立場だった可能性も。
晴信の嫡男・直純は一揆鎮圧側)
032 戸沢盛安(南部から独立しようと画策、最上と連携。「夜叉九郎」)
039 蘆名盛氏
041 柿崎景家(上杉)
042 上泉信綱(上杉)「ほう…剣聖に教えを請いたいと申すか」
043 長野業正(上杉)
044 宇都宮広綱「命尽きるまで…戦い抜いて、みせる!」
045 佐竹義宣「我は鬼義重が子・佐竹義宣なり!」
046 佐竹義昭「佐竹こそ源氏の惣領ぞ!
ひかえぬか、下郎!」
048 里見義堯(よしたか)「仁者必ず勇あり!
その身でしかと知るがよい」
049 里見義頼「最後には勝つ…どんな手を使ってもなあ…!」
051 村上義清(上杉)「こわっぱめが、
信濃一の武勇、とくと味わえ!」
064 太原雪斎(今川)
079 斎藤義龍 *川中島から桶狭間までの間の
「稲葉山城」の総大将の場合、特別な夜戦場となる。
「稲葉山城」でも彼が総大将でない場合は
「岐阜城」と同じ、水流のある戦場となる。
099 木村重成(豊臣。父は千利休の弟子)
103 足利義輝(母は近衛尚通の娘で正室は近衛稙家の娘。
義昭は弟。父・義晴は管領の細川晴元と対立し敗れ実権なし。
義輝も細川配下だった三好義継・松永久通らに暗殺された。
教科書には三好や松永以前に細川が実権を握っていた
事は出て来ず、まるで足利に実権があったような書き方だが。)
「将軍家としてではなく、
一剣士として相手願おう!」
104 小西行長(宇喜多→豊臣。
実父は堺の商人のち堺奉行。
養父は備前の豪商で宇喜多に出入り。
豊臣政権の中で千利休・豊臣秀長が
担っていた財務を三成と共に引き継ぐ。
高山右近の後押しでキリシタンに。
天草四郎=益田時貞の父・益田好次は
若い頃、小西の部下だった)
118 村上武吉(毛利)「村上水軍の誇り、天下に示さんか!」
119 毛利隆元
121 毛利輝元「毛利元就が孫・輝元!
祖父譲りの知略を見ろ!」
127 河野通宣(みちのぶ)「乱世と権力と
戦に翻弄されるが、我が定めか…」
129 相良義陽「いつでも友や義のため、
死す覚悟はできておる!」
135 島津家久
136 島津義久(実際は豊臣秀長・徳川家康派で
関ヶ原の戦いでは義弘に援軍を出さず
義弘は1000~2000人程度で戦うはめに。)
137 島津歳久
<固有姫>
003 戌(津軽為信の正室)
005 緑(南部晴政の娘。九戸政実の弟に嫁ぐ)
016 伊勢姫(生涯不犯の上杉謙信公の恋した人とされる)
017 英(佐竹義重の妹で宇都宮広綱の正室)
019 うた(豊臣秀長の家臣・尾藤頼忠の娘。
石田三成の正室で山手殿とは姉妹という)
025 梶(徳川家康の側室。太田道灌の一族という太田重正の妹という。
太田重正の母は遠山綱景の娘)
029 瀬名姫 今川義元の姪・養女で徳川家康の正室。
松平信康と共に処断された。
『安土日記』(『信長公記』諸本の中で最も古態をとどめ
信憑性も高いもの)や『当代記』では、信長は
「信康を殺せ」とは言わず、徳川家の内情を酌んで
「家康の思い通りにせよ」と答えている。つまり家康自身の
事情で築山殿と信康を葬り去ったということである。
一説では、それまでの家康とは別人だったためとも。
031 嶺姫 今川義元の娘。三国同盟の際に武田義信に嫁ぐ
040 京極マリア 浅井長政の姉で京極高吉の正室。高次・竜子らの母
060 だし 荒木村重の正室
061 お茶々 島左近の正室
070 文 浅井久政の養女で斎藤義龍の正室で龍興の母・・らしい
074 扇 細川京兆家・晴元の娘で朝倉義景の正室。
077 小西マリア 小西行長の娘
078 照姫 秀吉を苦しめた別所長治(赤松系)の
正室・照子。波多野秀治の妹、娘とも
083 モニカ 宇喜多直家の娘で明石全登の正室
086 問田の方 小早川隆景の正室
088 五龍局 毛利元就の次女で宍戸隆家の正室。
孫の古満姫が毛利輝元の養女となり迎えた婿が
「ねね」の甥の小早川秀秋。
089 周 毛利輝元の側室
091 寿 毛利隆元の正室
100 桐 大友宗麟の姉で河野通宣の正室
104 宰相殿 島津義弘の後妻
<東北>
斎藤朝信(上杉)
<関東・中部>
結城晴朝(小山高朝の三男だが度々実父と戦い結城家を守った)
佐竹義久
梶原政景(太田資正の次男で基本は反北条)
簗田(やなだ)晴助(古河公方足利)
<東海・北陸>
今川氏親
佐久間信盛(織田。「水野信元が武田に兵糧を送ってる」
と讒言したとの説あり。家康が武田信玄に敗れた
三方ヶ原の戦いで援軍として出陣したが早々に撤退、
信長を諌めるため自刃したとも伝わる平手政秀の三男
ないし孫の平手汎秀を見殺しにした等、様々な理由で
後に追放された。それで信長を暴君とするなら、
関羽を見殺しにしたとして劉封を処刑した劉備もだ。
目障りな大勢力に些細な事で難癖をつけて領地没収
する暴君は、むしろ秀吉や家康。なぜ連中には言わない?)
増田長盛(豊臣)
北畠具教(後醍醐天皇なき後の南朝の指導者だった家系。
正室は六角定頼の娘。側室は蜂須賀小六の正室となった大匠院?
母方の祖父は管領・細川の分家から本家=京兆家の養子
となった細川高国で、その弟という通政は長州の客将
となったともされているが、通政は架空の人物との説も)
<近畿>
河田長親(上杉:上洛の際に家臣に)
六角義賢(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では南近江の守護大名。一時は
浅井久政を支配下にしたが長政に敗れた)
京極高次(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では北近江の守護大名。
浅井は元は臣下の家系。本能寺の変の後、
明智に加勢した数少ない大名。のちに
豊臣側と見られていたのに東軍に加わった
のも、明智=天海と通じていたためかも)
伊勢貞興(足利→明智)
一色藤長(足利義輝の御供衆。
足利一門で、室町時代の初めは
九州探題として南朝側と戦っていた家系だが
三河守護の頃に守護代だった菊池西郷氏は
南朝側だった家系で、徳川と姻戚関係に。
ちなみに一色らが九州から敗走した後に
九州探題となり戦果を上げたのが今川貞世=了俊。
一色義道・義定は丹後の大名だったが
細川藤孝・忠興に敗れ、あるいは謀殺された)
<中国>
明石全登(赤松系。浦上→宇喜多)
福原貞俊(毛利)
安国寺恵瓊(毛利)
村上通康(河野)
穂井田元清(毛利)
福原広俊(毛利)
小早川秀包(毛利元就が71才の頃に生まれた9男で
異母兄である小早川隆景の養子。キリシタン。
母親は乃美大方で穂井田元清は同母兄。
立花宗茂の義兄弟。妻は大友宗麟の娘。)
<四国>
ここは黄グループは目立たない
<九州>
相良晴広
深水長智(相良)
松浦鎮信(大内・大友に臣従)
島津貴久
頴娃(エイ)久虎(島津。ちなみに真田幸村が
落ち延びて住んでたという伝説のある地区は
頴娃町 牧之内 雪丸)
上井覚兼(島津)
伊集院忠棟(島津)
新納(にいろ)忠元(島津)
青(柴田・長宗我部・北条)系
反黄(豊臣秀吉・上杉・島津)
<無双武将>
04 明智光秀(ゲーム上は美濃斎藤下だが、
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
*諸説ありますが、詳細は考察すると長くなるので、
こちらを御覧ください。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-317.html )
光秀の亀岡城(亀山城)を宣教の拠点とした
大本教の出口王仁三郎(明治天皇の決定で信長を祀る
建勲神社が京都にあるが、そこで神官をしていた事もある)は
光秀が千利休になったとしているので、裏千家って何?
という事が氣にかかる。
https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11999575030.html
05 石川五右衛門(秀吉に処刑されたので光秀の子との俗説も)
07 お市(織田信長の妹で浅井三姉妹の母のち柴田勝家の正室)
17 今川義元
22 浅井長政(浅井三姉妹の父)
25 立花誾千代(父は大友重臣の立花道雪。宗茂は婿)
28 風魔小太郎(北条)
31 長宗我部元親(正室は明智家臣の斎藤利三の異父妹)
32 ガラシャ(明智光秀の娘で細川忠興の妻)
34 柴田勝家(織田)
37 立花宗茂(大友。肥後の丸目長恵は剣術の師で上泉信綱の弟子四天王)
38 甲斐姫(成田。のち秀吉の側室)
39 北条氏康(もちろん本物はヤクザではない)
46 柳生宗矩(徳川家光の剣術師範)
53 小少将(阿波細川→三好→同名の娘が?長宗我部の側室)
55 早川殿(北条氏康の娘で今川氏真の正室)
<固有武将>
001 上杉景虎(北条氏康の子で上杉謙信の養子)
002 高橋紹運(大友。吉弘鑑理の次子で立花宗茂の実父)
006 陶晴賢(毛利の主君だった大内から権力を奪う)
007 斎藤道三
008 伊達輝宗
009 武田勝頼
015 成田長親(小田原征伐の際の忍城主のち蒲生配下から再び大名)
016 武田信廉
017 北条氏邦
018 北条氏政
019 北条氏照
021 徳川秀忠「守成において、この秀忠の右に出る者なし!」
030 大友義統
035 伊達成実(しげざね。伊達三傑)
「俺は退却の二文字は知らん、まかり通るぞ!」
037 最上義守
038 片倉重長(伊達)
058 武田信繁「武田信繁、
自ら前線に立ち、兵の士気を上げる!」
063 山本勘助(武田)
065 北条綱成「勝った! 勝った!
地黄八幡、推して参るぞ!」
071 可児才蔵(柴田勝家→明智光秀→福島正則など)
080 畠山義綱「畠山家の栄光、必ず取り戻してくれる…。ゆくぞ!」
090 山内一豊(豊臣→徳川。豊臣秀次と仲が良かったため
家康派となり、関ヶ原での東軍の勝利に貢献、土佐藩主に。
長宗我部の旧臣を騙し討ちしたりもしている)
094 磯野員昌(浅井)「近江きっての剛の者…。
この刃、受けきって見せよ!」
096 小川祐忠(祖父は六角下→浅井→織田など)
117 北条早雲(日野富子の子・足利義尚の奉公衆だった
伊勢新九郎。姉妹が今川義忠の妻。子の氏綱の正室の
養珠院殿が執権北条氏の末裔とされる横井・横江氏
だった可能性あり、そのまた子が北条氏康)
126 長宗我部信親「父・元親の名は汚さぬ。
堂々とよい戦いをしよう!」
130 由布惟信(大友)
131 小野鎮幸(大友)
132 立花道雪(大友)
133 大友宗麟
134 伊東義祐
<固有姫>
001 愛姫(伊達政宗の正室)
「たとえ武器が折れても、懐刀であなたを…!」
002 飯坂の局(伊達政宗の側室)
004 久保(伊達晴宗の正室)
006 藤代御前(津軽為信の側室になる事を拒否し討ち死に)
008 義姫(最上義光の娘で伊達輝宗の正室。政宗の母)
012 彦姫(伊達晴宗の娘で蘆名盛隆の正室)
020 諏訪姫(武田信玄の側室で勝頼の母)
021 定恵院(武田信玄の姉で今川義元の正室)
022 菊姫(武田信玄の五女で上杉景勝の正室)
026 静(北条氏康の娘で武田勝頼の正室)
028 白井の局(成田長泰の正室のち足利義輝に仕え殉死)
030 おりん(飯尾氏の家臣・松下之綱の娘で柳生宗矩の正室。
之綱の義兄弟の松下清景は井伊家の家老となった。
なお、之綱は秀吉の最初の主君という。
秀吉の親の代の木下家は、那古野氏に仕えていたが
今川は婚姻関係のある那古野氏を強引に配下にしていた)
036 督姫(徳川家康の次女。北条と和睦の際に氏直に嫁ぐが
死別、秀吉の肝いりで池田輝政に再嫁。
輝政を豊臣秀次から引き離すため)
037 千姫(江と徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室のち本多忠刻の正室。
実際は秀頼とも非常に仲が良かったらしいがゲーム上は・・)
041 千代(山内一豊の良妻。内助の功で夫は土佐藩主に)
044 小百合姫(佐々成政に殺され呪ったという
伝説があるが領主交代の際の作り話かも?)
048 まつ(前田利家の良妻。自ら人質に赴いたという。
「ねね」と仲が良かった)
066 淀殿(お市と浅井長政の娘で豊臣秀頼の母。
なのに江の娘の千姫と同じく秀頼と相性が悪い)
067 江(お市と浅井長政の娘で徳川秀忠の継室。
その前に秀吉の甥の秀勝にも嫁いでいて、
娘の完子は九条幸家の正室となっている。)
068 初(お市と浅井長政の娘で京極高次の良妻)
069 阿久(阿久悠・・・じゃなかった、浅井長政の姉)
087 妙玖(毛利元就の正室)
093 阿喜多(一条兼定の妹で伊東義益の正室)
099 宋雲院(高橋紹運の正室。立花宗茂・直次の母)
102 妙林(大友家臣・吉岡鑑興の正室。子の統増が
若い兵を連れ臼杵城に籠もる中、鶴崎城を老兵と奇策で死守)
103 ジュスタ(高橋紹運の妹で大友義統の正室。吉弘統幸、立花宗茂の叔母)
<東北>
鮭延貞綱(最上)
天童頼貞(最上)
鬼庭綱元(伊達)
遠藤基信(伊達)
屋代景頼(伊達)
氏家定直(最上)
氏家守棟(最上)
<関東・中部>
酒巻靱負(ゆきえ。成田)「武辺者を自負する者は、名乗りを上げられよ」
正木丹波守(成田)「近づく者はことごとく我が朱槍の餌食と心得よ」
柴崎和泉守(成田)「武功一等柴崎和泉守を前にしてどこみてやがる」
<東海・北陸>
北条氏親
板部岡江雪斎(北条)
北条幻庵(北条早雲の末男。妹はいる。
父、兄、甥の氏康、その子・氏政、孫・氏直
の5代に渡って仕え、一門の長老という立場に)
本多正純(徳川)
土井利勝(徳川)
池田利隆(池田輝政の長男。徳川)
畠山義慶(よしのり)「私がしっかりしなければ…。
お家をまとめるために…」
佐々成政(柴田勝家→肥後)
佐久間盛政(織田)
<近畿>
海北(カイホウ)綱親(浅井)
堀直清(直政の子)
堀秀治(秀政の子)
「我こそは、名人久太郎!
…の息子…。見くびるなよ!」
堀直政(堀家臣の奥田が堀姓を頂いた)
細川忠隆(忠興とガラシャの長男。
正室は前田利家の七女・春香院)
<中国>
山名祐豊(赤松)「応仁に栄華誇りし山名宗全が末・山名祐豊、参る!」
花房正成(宇喜多)
<四国>
吉田孝頼(長宗我部)
香宗我部親泰
長宗我部国親
谷忠澄(長宗我部)
久武親直(長宗我部)
吉良親貞(長宗我部)
土居宗珊(一条)
立石正賢(長宗我部→細川)
<九州>
阿蘇惟将(甲斐宗運の主君)
問注所統景(大友→小早川)
大内義長(大友から養子、陶晴賢の傀儡)
角隈石宗(大友)
吉岡長増(大友)
赤(細川・三好・真田)系
反緑(最上伊達・黒田宇喜多・織田徳川)
<無双武将>
01 真田幸村(実は長男ではないかという説あり。信之が弟ではないかと。)
08 阿国(鍛冶の娘で、出雲大社の巫女として諸国を
巡回し評判になったという。かぶき踊りを創始。
夫は蒲生氏郷の小姓だった名古屋山三郎で
小田原征伐の頃はまだ十代。政宗、幸村より若い。前作
3 Empiresでは毛利元就を持ち上げる芸姑みたいだが )
09 くのいち(女性忍者をくノ一と呼ぶ説は否定する学者も。
講談の真田十勇士あたりがモデルというべきか)
10 雑賀孫市(息子は秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮側に寝返り
金忠善、沙也可と呼ばれたという仮説がある。
和歌山の漁村に亀甲船みたいなのが何隻も停泊してるのも、
韓流ブサメン推しなのも、そういう事。)
雑賀衆は必ずしも織田と敵対せず逆に三好攻めに参加してる。
また織田系グループの家康は朝鮮出兵反対派である。
11 武田信玄
21 石田三成(豊臣)
23 島左近(筒井→石田)
29 宮本武蔵(父は赤松氏支流の新免無二で黒田に従い東軍か。
宇喜多と同じ西軍という仮説もあった。晩年は肥後細川の客分
だが家康と反対の赤でなくても・・・黄でよかったのでは?
まぁ、このゲームが「赤に動かされる青」史観なんだろうけどさ。)
40 竹中半兵衛(斎藤→織田。秀吉につけられた与力。
美濃斎藤氏の重臣の子だが、斉藤龍興に煙たがられ
21歳にして計略で稲葉山城を乗っ取り、半年後に返還し隠棲
したという。多くのエピソードは後世の脚色らしい。
黒田官兵衛が荒木村重の元から戻らなくなった際、信長は
裏切りを疑い人質の黒田長政を処刑するよう命じたが、
半兵衛が長政をかくまって生かした。官兵衛は
裏切ったのではなく村重に監禁されていたのだそうだ。
足も不自由になったとか)
41 毛利元就
47 真田信之 *ゲーム上の家紋色は黄だが妻の稲姫と同じ相性系統ではない
48 大谷吉継(豊臣)
49 松永久秀(三好長慶が細川晴元を放逐する頃から台頭。
堺奉行をしていたらしい。足利義輝の御供衆にまで出世。
長慶の死後は、若年の三好義継の後見人だった阿波の
三好長逸・三好政康・岩成友通ら三人衆と対立。なおフロイス
によると筒井氏の要塞化した東大寺の大仏殿に火を放ったのは
三人衆側のキリシタンだという。久秀は三人衆が担ぐ足利義栄
から討伐令を出されるなど苦境の中、足利義昭を擁立する
織田信長と連絡をとる。名目上は幕臣であり、義昭が
信長包囲網を築くと義昭側となった。多数の名物茶器を保持。
長慶にならって古墳を破壊して城を築いていた。)
52 小早川隆景(毛利)
<固有武将>
003 龍造寺隆信
004 鍋島直茂(母親は龍造寺隆信の父親の妹か姉。
さらに継母が龍造寺隆信の実母。肥前藩主に)
011 弘中隆包(大内)
022 朝倉義景(正室は細川晴元の娘で
継室は近衛稙家の娘。叔母は
土岐頼武に嫁ぎ、嫡男・頼純を産んだ。
六角氏からの養子だった可能性あり)
「朝倉義景の恐ろしさ、
とくと味わえ、きえええい!」
027 十河存保(三好。小少将と三好実休の子。
ゲーム上は父親の縁者。母親との縁者扱いは無い)
033 南部晴政「三日月の丸くなるまで、攻め抜くのみよ!」
036 伊達晴宗「わしは戦う…次代に禍根を残さぬために…!」
040 蘆名盛隆「俺っていい男だろ?
俺と一戦、交えてみないか?」
047 太田資正(扇谷上杉→成田→宇都宮→佐竹。
三男の資武は結城秀康に仕え福井藩の家老に)
050 真田昌幸「真田は策のみにあらず…。
武も味おうてもらおうか」
*大名にすると群馬だろうが静岡だろうが
戦場が信州上田城になるので注意
052 真田幸隆(武田)
053 馬場信房(武田)
054 内藤昌豊(武田)
055 高坂昌信(武田)
056 山県昌景(武田)
057 秋山信友(武田)
059 今川氏真「戦は嫌じゃ。蹴鞠で勝負せんかのーぅ?」
060 朝比奈泰朝(今川)
061 結城秀康(家康の側室の子。家康は当初、
自分の子として待遇せず、面謁さえ許さなかった。
不憫に思った長男・信康が無理やりに父子を
対面させたほど。人質として秀吉に送られ養子となる。
秀頼が誕生すると結城家に養子に出され大名に。)
062 岡部元信(今川→武田)
074 斎藤利三(明智。「春日局」福の父。異父妹は長宗我部元親の正室)
077 日根野弘就(斎藤義龍→今川→豊臣)
078 明智秀満(のちに家康の側近・南光坊天海という説あり。
子の三宅重利は細川の庇護を受けた後、
安田国継の縁で寺沢広高に仕え、
天草島原の乱で敗走し自刃)
081 真柄直澄(朝倉)「我が次郎太刀が、勇者の血を求めておるわ!」
082 真柄直隆(朝倉)「我が太郎太刀が、強き敵を求めておるわ!」
095 遠藤直経(浅井)「伊賀の遠藤、推参」
100 足利義昭「将軍家の血に刃向かうとは謀反人め!」
(信長に擁立され将軍となったが傀儡でしかない
事に氣づき、毛利輝元の元に潜伏して
石山本願寺などを支援。信長の妹婿の浅井も寝返らせた。
というのは義昭単独の謀略というより室町幕府最後の
実権を握っていた細川や、藤原氏九条家、近衛家など
百済人のいつもの謀略ではないかと。実はフン族=匈奴
であるイエズス会は藤原氏が朝鮮人である事に氣づき
自分たちに加担するよう求めたはず。藤原氏は「体制」
を守るために細川とつるんだはず。毛利は自称は
菅原道真と同じ土師氏系の大江氏だが百済系の大内に
臣従し、吉川・小早川を背乗りするなど手口が百済人。
毛利も背乗りしただけで元は大江氏ではないのでは?
家康は東インド会社とつるんで大砲など入手したわけで
今日の外資跳梁跋扈の原因となっている。
光秀はよく分かってないで操られたのでは?
秀吉がキリシタンくさい武器商人・千利休と対立したのも
どこまでわかっての事なのか。
日本人奴隷に関し、よく引用される
「日本使節の見聞対話録」と
「デ・サンデ天正遣欧使節記」(日本語訳)
https://iwahanjiro.exblog.jp/238020243/
{
天正15年6月(1587年7月)、秀吉は日本の中央政権として初めて正式なキリシタン禁令を発布するが、その直前にイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョのもとに使者を送り詰問を突き付けた。その中に「何故にポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷としてその国に連れ行くか。」という内容が含まれていた。
これに対するコエリョの回答は、「日本側の諸領主に対し禁止を勧告すべし。」というものだった。つまり、「奴隷を売る者(日本人)がいるから買う者(ポルトガル人)も出て来るのだから、日本の当局が奴隷を売ることを禁止すればよい。」とコエリョは秀吉に反論したことになる。「対話録」でのミゲルの発言は、そのコエリョの回答をそのままなぞっているのである。
}
{
日本人奴隷拡散の規模とその境遇の悲惨さを日本人が知るための客観的な資料は、その時代はもちろん、つい最近までほとんど無かった。私にしても、インタ-ネットなどで「戦国時代のキリシタン大名が弾薬と引き替えに何十万人に及ぶ奴隷を輸出していた。」等の記述に接し、その可能性も否定できないけれど、もしかして誇張ではなどと思うしかなかった。
しかし、今回改めて「対話録」を読んで、日本人奴隷拡散の規模・程度が世界的に周知の事実となっている以上、もはやこれを日本人に対して隠し通すことは不可能であり、キリシタン教会の組織防衛の観点からそれを認めたうえでの反論を用意したということではないかということに思い至った。
}
*引用註:そう言ってる秀吉自身が騙し討ちなどやらかしてるのだから、これだけで秀吉を称賛するのはおかしく、むしろ朝鮮人が秀吉を誉める事を異様に思うべき。家康にはイギリスからのカルバリン砲があったし、オランダ人の外交顧問もいた。またスペイン国王からもらった時計が久能山東照宮にあったりもする。とにかく東インド会社やイエズス会宣教師(武器商人)と関係あるようだ。一方、雑賀衆、根来衆、伊達、織田など全ての鉄砲が奴隷を売る事で引き換えに得たものだという証拠があるわけではない。鉄砲鍛冶は既に国内に存在している。
特亜は自分の罪を他人になすりつけるので、むしろ何の根拠もなく、キリシタン大名でもない大名が奴隷を売ったなどど断定する連中を疑うべきである。信長公はキリシタンではない。神官の末裔だ。それも非常に由緒深い。比叡山焼き討ちも細川がやった事を転嫁されてるだけの可能性大。詳しくは明智光秀のところでリンク先に書いてある。
*最大の容疑者は、もちろん細川と、鬼畜藤原、
それに高山右近ら千利休一味だ。
ついで、毛利、徳川、生きているなら明智(天海?)だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008140001/
現在では在日朝鮮人が大名姓を名乗る事が多い。
武田アンリだけでなく全く分かってない織田信成なども
在日朝鮮人と一緒になってスケートなどやってるわけ
で不自然、才賀紀左衛門などと一族の経歴が似てる。
また創価パソナ南部、竹中平蔵なども背乗りする氣では?
しきりに本多忠勝の子孫と宣伝されてる三木谷の
親戚のABCマート三木は朝鮮学校出身。藤原の謀略臭い。
https://ameblo.jp/minomushi1968/entry-12010633577.html
親類も創価役員、人脈が関東連合など特亜大本営、
プロ野球参入させた渡辺恒雄は児玉誉士夫の小姓あがりで
その上司だった笹川良一は韓国籍で本名は文堯、
児玉にも在日説あり、三木谷自身の顔が室町以前の
帰化人にしてはゆがみすぎ。自覚できない感性もおかしい。
それに文堯の運転手だった松井(強姦魔・維新松井の親)
の姓が急激に増えすぎだと思わない?野球とかブスドルとか)
101 細川忠興(父代からの重臣が松井康之)
102 細川藤孝(足利義輝の御供衆→織田→徳川)
「わしは万能に達しておる…無論、武芸にもな」
105 荒木村重(池田勝正→三好→千利休)
113 浦上宗景(宇喜多は家臣というよりやや従属的同盟相手)
116 清水宗治(毛利)
120 吉川元春(毛利)
122 三好長慶「この国の秩序は、
乱世の風雲児たるわしが守る」
(足利義輝の御供衆。細川晴元から離反し
細川氏綱を管領に擁立。氏綱の死後、
弟の細川藤賢は足利義昭に仕えた後
織田配下となり坂本城に配属された)
123 三好政康(三好宗渭の「細川両家記」における名。
これは誤伝らしく、実際の俗名は政勝→政生。
三好長慶の死に乗じて将軍親政を
復活させようとした足利義輝を暗殺。
足利義栄を将軍に擁立。三好三人衆と呼ばれる。
三好義継の後見人だったが対立したり和解したりで
傀儡だった細川真之は臣下だった家系の
長宗我部を頼るようになり、三好家は衰退した。
大坂の陣で88才で戦死した三好清海は
政康の後身という俗説がある。また講談の
真田十勇士の三好清海入道のモデルとされるが
政康に真田氏との関係はない。ただ豊臣秀次は
秀吉が三好と同盟する際に三好康長の養子となり
三好信吉と名乗っていて、その娘とされる隆清院が
真田幸村の側室となった。子の幸信は大坂の陣の
後に産まれたため真田と名乗れず三好と名乗った)
「神仏は信じぬ。信じるは、己の力だけよ!」
124 三好義継(長慶の養子。長慶の弟・十河一存の子。
足利義輝を暗殺した永禄の変の後、キリスト教宣教師の
ビレラとフロイスを京都から追放した。信長の仲介で
義輝・義昭の妹を妻とし、反信長となった義昭を匿った)
128 甲斐宗運(阿蘇。相良義陽は同盟相手。
後醍醐天皇側として足利尊氏らと戦った菊池氏
の子孫。ちなみに薩摩の西郷隆盛も菊池氏の子孫)
<固有姫>
007 喜多(伊達三傑の片倉小十郎と鬼庭綱元の姉。政宗の乳母)
011 芳(伊達晴宗の五女で佐竹義重の正室)
013 花(伊達稙宗の娘で蘆名盛氏の正室)
015 輝子(甲斐姫の祖母。71才の老齢にして北条を撃退した事もあり、小田原征伐の際は子の由良国繁に代わり桐生城を守っていた)
023 お松(武田信玄の娘。織田信忠の正室とする迎えが来るも本能寺の変で会えぬまま尼に)
027 鶴(北条氏政の娘で里見義頼の正室)
032 田鶴(今川氏親の孫で飯尾連龍の妻)
「巴板額に比する武勇、味わってみる?」
039 煕子(明智光秀の正室)
042 福(徳川家光の乳母、春日局。明智家臣・斎藤利三の娘)
043 麝香(細川藤孝の正室)
046 摩阿(前田利家の三女で豊臣秀吉の側室)
049 秀子(筒井定次の正室。信長の三女。光秀の五女とも言われる)
053 豪(前田利家の娘、妹とも。
豊臣秀吉の養女で宇喜多秀家の正室)
064 竜子(京極高吉・マリアの娘。豊臣秀吉の側室として寵愛され
兄の高次が淀殿の妹の初と結婚し出世するのに貢献)
075 山手殿(真田昌幸の正室で幸村・信之の母)
076 糸子(池田輝政の正室、糸姫。
高山右近の従兄弟の中川清秀の娘)
*なんで照子が照姫で糸姫が糸子なんだよ・・・
というのは実は何となく分かってるけど
ここでは書かないでおきます。このブログを
読んでる方には分かる人もいらっしゃるかも。
079 小袖(大野治長の母。孫の?豊臣秀頼の乳母)
090 新庄局(吉川元春の正室)
096 於京( 天草合戦で加藤清正に討たれた木山弾正の妻)
097 彦鶴姫(鍋島直茂の正室)
098 美代姫(龍造寺五天王・百武賢兼の正室)
*このグループは特に
夫や親類と相性が逆の姫が多い・・のでは??
<東北>
石川高信(南部。子の信直は南部晴政の長女の婿で
南部氏を継いだ)
九戸(くのへ)政実(まさざね) 南部宗家を弟でなく晴継暗殺の
容疑者である石川信直が継いだことに大きな不満を抱き挙兵。
信直は秀吉に援軍を求める。九戸城は天然の要害であり
6万を超える豊臣軍も攻めあぐんだ。そこで九戸氏の菩提寺
である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として交渉。
九戸政実は自分だけは犠牲になってもよいが
臣下は助命してくれと要求、条件は受け入れられ開城したが
約束は破られ、女まで殺された。こうした騙し討ちの手口は
百済人の「桓武天皇」による東北侵略の頃と同じである。
つまり秀吉はマッカーサーにも劣り、「風の谷のナウシカ」の
クシャナ殿下にも劣る幽界(がいこく)魂という事だ。
マッカーサーと昭和天皇の話が九戸公の話のパクリでなく実話ならだが。
豊臣秀長が生きていたら残酷な騙し討ちみたいにはならなかった
のではないかという意見も聞かれる。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、秀吉に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
北信愛(きた・のぶちか。南部)
九戸信仲(南部。九戸政実の父)
南部信直「…立ち回りは上手くないが、
戦いなら、負けん」
八戸政栄(南部)
里見民部(最上から嫌疑かけられ敗走)
中野宗時(伊達晴宗を擁立した重臣。輝宗に謀反嫌疑かけられ敗走。
家康から秀吉に乗り換えた石川数正は、同じように処分されるの
を恐れたのではないかと。立場の強すぎる家臣がいると言いがかり
をつけて制圧するのは晋の司馬氏などもやっている。連中自身が
そうやって曹氏から権力を簒奪したわけで。)
<関東・中部>
那須資胤
大関高増(那須資胤から独立)
河原綱家(真田家臣。叔母・恭雲院が真田幸隆に嫁ぐ)
真田信政(信之の次男)
武田信虎(武田信玄の父。息子に追放された。)
「地獄に堕とす…。貴様を、貴様の民を、すべてを!」
<東海・北陸>
朝倉宗滴(7代・孝景の八男で、9代・貞景、
10代・孝景=宗淳、11代・義景の参謀)
<近畿>
松井康之(細川。幕臣で足利義輝没後
織田配下となった松井友閑の甥。)
玉置小平太(鉄砲で武装した僧兵・根来〈ねごろ〉衆らと共に織田と戦い敗北。
ちなみに根来衆には長州の毛利の家臣になった者も。)
下間(しもつま)仲孝(同下)
下間頼廉(石山本願寺・一向一揆)
<中国>
池田勝正(三好長逸と通じた荒木村重に
池田城から追放されたが、荒木への抑え
として原田城主に。しかし織田と足利義昭が
決裂すると幕府側についたため、織田家臣
となった荒木村重に原田城からも追放された。
金ヶ崎の撤退の際は秀吉や明智でなく彼が
しんがりの指揮者だった可能性あり)
赤松政秀(浦上から独立画策、黒田に大敗)
乃美宗勝(毛利・小早川)
吉川元長(元春の嫡男)
吉川広家(元春の三男。小早川秀秋よりも
ずっと家康寄りの言動をしている。
むしろ広家が裏切りの中心のような
書状が残されている。毛利全体の行動が不審だが)
<四国>
篠原長房(三好。小少将の3人目の夫)
三好義賢(子少将の2人目の夫・実休か)
十河一存(三好長慶の弟で十河存保の養父)
西園寺公広(河野というか伊予勢力下)
<九州>
成富茂安(龍造寺・鍋島)
緑(最上伊達・宇喜多黒田・織田徳川)系
反赤(細川・三好・真田)
*黒田官兵衛は黄の豊臣秀吉系だが息子や家臣が緑の家康・佐々木小次郎系。
また伊達も晴宗の世代などは別。
最上義光の妹の義姫が伊達輝宗の妻で政宗の母。
<無双武将>
02 前田慶次(織田→上杉)
03 織田信長(無宗教と見るのは間違いで
本来の天つ神の血筋で百済人などではない
継体天皇と関係する越前二宮・剣神社の神官の家系。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
にしては戦国の謀略にまみれてはいるが
他の勢力も大半は同じかそれ以上に酷い。
キリシタン大名は「汝の敵をも愛せよ」を守らず
宣教師は武器商人、利休も同類、本願寺は
僧兵という時点で不殺傷戒を破っている。
それを宗教勢力と呼び特別視し「そいつらだけは
どんなに殺人をやらかしてもよく、他は反撃しては
いけない」などというのは不公正、差別、ダブスタ)
12 伊達政宗
13 濃姫(斎藤道三の娘で母は明智一族?
織田信長の妻。その前は土岐頼純の正室
だったという説も。鷺山殿。帰蝶、胡蝶とも)
14 服部半蔵(徳川)
15 森蘭丸(織田。森長可の弟。
乱ないし乱法師。蘭丸というあて字は
後世の印象操作。署名では森成利)
20 徳川家康(大坂の陣など複数の機会で
双子の兄弟や影武者と入れ替わった
可能性が指摘されている。大坂落城後、
家康は略奪強姦を放置した。1万数千の首が飛び、
生き残っても、奴隷狩りに遭った者、数千。
その様子を描いたのが「大坂夏の陣図屏風」
であり、「おきく物語」だ。信長公は京都に入る際
一銭盗んでも死罪とし略奪強姦を禁じた。
家康は逆だ。そんな奴を神君などと
呼ぶのはカルトか、よくて歴史捏造。
当時は連中が軍事力を持っていたので仕方ない面も
あるかと思うが、今は客観的に公正に見るべきかと。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、家康に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
幕末・明治期の長州のペクチョンなどによる
会津などに対する暴虐もひどいが、江戸幕府も
そうした蛮行から始まっている事実を隠してはならないだろう。
信長公が特別に「宗教弾圧」してたかにほざく奴らがいるが
家康も一向一揆を鎮圧してる。しかも自領内で家臣だった者も
反乱軍に加わっている。奈良の興福寺の宗徒の
筒井氏を伊賀に移したのは信長公ではなく秀吉。弟の秀長は
奈良の寺社勢力から特権を奪い商業利益を吸い上げたし
筒井を取り潰したのは家康だ。一説では山崎の戦いで明智に
味方しなかったので明智である天海が憎んだのではないかと。
同じく山崎で加勢しなかった細川にはガラシャの子がいたが。
信長公は本拠地で悪政のために反乱されたのではなく
朝倉などとつるんだ比叡山の僧兵を攻撃したり、
今の大阪城の下に埋もれている大坂城のできる前に
あった石山本願寺を攻めたりしただけ。石山というのは
元は寺ではなく磐座があったからという説あり。
古墳があったとも言われる。
また浄土真宗開祖の親鸞聖人の時代には既に
比叡山の僧など堕落して、下手すると武士などより
欲まみれの俗物である事が知られている。ちなみに
当時、武装したわけでも一揆を起こしたわけでもない
親鸞聖人を弾圧したのは後鳥羽上皇、松虫鈴虫事件)
27 ねね(豊臣秀吉の正室。
浅野長政の妻である「やや」の姉。
もちろん、女忍者ではなかった)
30 前田利家(織田)
33 佐々木小次郎(細川小倉藩の剣術師範だが相性が・・武蔵の逆)
43 福島正則(豊臣秀吉の叔母・松雲院の子)
44 藤堂高虎(浅井→豊臣→徳川)
45 井伊直虎(今川→徳川。井伊直政の養母。いや男という説も)
50 片倉小十郎(伊達)
56 井伊直政(徳川)
<固有武将>
005 最上義光(伊達政宗の母方の祖父。「羽州の狐」「虎将」)
013 宇佐美定満(上杉)
020 井伊直盛(今川。井伊直虎の父)
023 織田長益(織田信秀の十一男、有楽斎・如庵。千利休の弟子)
026 尼子勝久「私を盛り立ててくれる兵らのために!」
031 島津忠長
034 津軽為信(南部から独立。三成の次男・重成を匿って重臣・杉山源吾とした。
三男・信枚の側室は三成の三女で「ねね」の養女・辰姫。
松平康元の娘を正室とするまでは辰姫が正室だった。
津軽の領有を認めてもらえるよう交渉した三成に感謝していたが
旧主君の南部など周囲が東軍のため西軍につけば攻め込まれる
口実を与える事となるため西軍につけず、
しかし三成に報いたかったのではないかと推測されている。
信枚は南光坊天海の弟子となり江戸幕府にとりいる事にも成功)
066 酒井忠次(徳川)
067 鳥居元忠(徳川)
068 榊原康政(徳川)
069 渡辺守綱(徳川)
070 堀秀政(織田。13才までは秀吉の部下だった)
072 安藤守就(斎藤→織田。娘婿が竹中半兵衛)
073 稲葉一鉄(斎藤→織田。斎藤利三の元の主君で春日局の祖父。
また千利休の弟子の牧村利貞の祖父でもある)
075 氏家卜全(斎藤→織田)
076 仙石秀久(斎藤→織田)
083 富田長繁(朝倉)「愉しいなア、戦は…。
天下すべてが敵になればいい…」
084 丹羽長秀(織田)「鬼五郎左の武勇、思い知らせてくれる!」
085 豊臣秀長(秀吉の異父弟。父方は水野氏庶流。
母親が水野氏である家康は遠い親戚にあたる。
秀吉は継父を嫌い家を出たが、秀長は兄への理解もあり、
秀吉が織田家臣である間は仲が良く優れた助手だった。
秀吉が妹を離婚させ家康に嫁がせたり、
秀長の婿養子を廃嫡させたりで関係悪化。
母の死、秀次切腹などより前に死去)
086 蜂須賀小六(美濃と尾張の国境辺りの川並衆。
一説では秀吉の元の主君。秀吉の誘いで織田配下)
087 毛利勝永(豊臣)森から改姓。毛利も当時はモリと読む
088 九鬼嘉隆(弁慶と同じ熊野水軍。北畠→織田。
子孫は丹波綾部と摂津三田の藩主に)
089 織田信雄(本能寺の変後、徳川家康に擁立された)
「予と刃を交える、か。無明、よ」
091 森長可(織田)「鬼武蔵の前に立つんじゃねえ!
死にたくなきゃな」
092 織田信忠「信長の子の肩書きだけで俺と対さば
痛い目を見るぞ」
093 蒲生氏郷(織田)「麒麟児・蒲生氏郷、がむしゃらに突撃する!」
097 小早川秀秋(「ねね」の甥で小早川隆景の婿養子。
旧臣たちは関ヶ原での裏切りを責められたため
仕官先がなかったなどと言われることがあるが、
実際には平岡頼勝は家康に、志賀親次は福島家を経て
細川に仕官している。稲葉正成の後妻は「春日局」福。
家光の乳母となる際に離縁してからも連携は続いてる)
098 滝川一益(織田)「元をたどれば伊賀の忍び、
その手練手管、味わえ!」
(甲賀出身と言われる事が多い。伊勢・志摩という説も)
106 赤井直正(波多野元秀の娘が正室だったが死別、
近衛前久の妹が継室)
107 波多野秀治(丹波。赤井と共に光秀の猛攻に耐えた)
108 山中鹿介(尼子十勇士)
109 尼子晴久
110 黒田長政
111 後藤又兵衛(黒田)
112 母里(モリ)太兵衛(黒田節。酔っ払った福島正則から
大盃の酒を飲みほせば望みの品を与えると
挑発され、名槍「日本号」を入手した。その前の
日本号の持ち主は正親町天皇→足利義昭→信長→秀吉)
114 宇喜多直家「謀聖の戦、存分に堪能されよ…ひっへっへ」
115 宇喜多秀家「秀家の前に立ちはだかるか! たたっ斬る!」
125 一条兼定「高貴なる一条家の出の兼定が、
なぜ直接戦わねばならんのだ…」
<固有姫>
009 大崎殿(最上義光の正室。駒姫の母)
010 駒姫(最上義光の娘。秀吉の養嗣子だった秀次の
側室となるが会う以前に夫と共に刑死)
014 お船(直江景綱の娘。兼続は婿)
「センと戦うのですね…わ、わかりました」
*このセリフ、本当は千姫のだったのでは?
018 藤(佐竹義久の娘で義重の養女。宇都宮国綱の正室)
024 望月千代女(武田。武士の娘が巫女頭になるのは
不自然なので女忍者ではないかという説が1971年から)
033 花姫(松平康親の娘。井伊直政の正室)
034 かな(加藤清正の後室)
035 乙女(本多忠勝の側室で稲姫の母)
038 碓氷姫(酒井忠次の正室)
045 吉乃(生駒家宗の娘で織田信長の側室で信忠・信雄・徳姫の母。
諸説あるが信長の母方の祖父を土田政久とする説に従うなら
その母方の祖父は生駒家広なので、信長が吉乃に母の面影を
見ていたのではないかという説も出てくる。
生駒家は蜂須賀家とも姻戚関係があり、
秀吉は生駒家に居候し情報を織田に送る事で仕官できたという。
なお吉乃というのは武功夜話における名。)
047 於まさ(福島正則の継室)
050 冬(織田信長の娘で蒲生氏郷の正室)
051 徳姫(織田信長の長女で松平信康の正室。
長女は小笠原秀政室、次女は本多忠政室。 )
052 土田御前(織田信秀の継室で信長・信包・お市らの母。
浅井三姉妹の面倒も見ていた)
054 やや(ねねの妹で浅野長政の正室)
055 お通(浄瑠璃の作者と誤伝されて来た。小野正秀の娘で淀殿に仕えたという説、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉に仕えたとする説、近衛信尹に書を習ったという説などがある。娘の宗鑑尼は真田信政の側室 )
056 安(前田家臣・奥村永福の正室)
057 孝蔵主(蒲生氏の家臣・川副勝重の娘。
「ねね」の筆頭上臈=秘書の長。のち徳川秀忠つき上臈。
「ねね」の側近侍女には他に大谷吉継の母・東殿や
小西行長の母マグダレーナなどもいる。)
058 せん(池田恒興の娘で森長可の正室のち中村一氏正室)
059 武姫(蒲生氏郷の養女で南部利直の正室)
062 伊賀マリア(父は筒井順慶?高山右近重友らと共にマニラ配流)
063 渓(大谷吉継の娘、妹とも。真田幸村の正室。
竹林院殿 梅「渓」永春大姉から1字とったこのゲーム上の名)
065 虎(蒲生氏郷の妹で豊臣秀吉の側室)
071 艶(六角義賢の娘で畠山義綱の正室)
072 北の方(宇喜多忠家の娘で富田信高の正室)
073 久芳院(一色義直の娘で藤堂高虎の正室。
ちなみに高虎の側室は長連久の娘)
080 みつ(尼子晴久の正室)
081 光(黒田官兵衛の正室で長政の母)
082 円融院(宇喜多直家の正室で秀家の母)
084 容光院(宇喜多直家の娘で吉川広家の正室)
085 砥石の方(宇喜多直家の父・興家の正室か)
092 紫(九条稙道の娘で十河一存の正室)
094 鶴姫(大内氏が大三島へ侵攻してきた際、鶴姫の大祝家や同じく越智氏に出自する河野氏、村上水軍と共に大内軍を撃退したという。小説「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」より)
095 千代菊(相良義陽の正室)
101 清(大友宗麟の娘で一条兼定の継室)
<東北>
白鳥長久(最上に援軍したり戦ったり。父の義久は
足利義晴の庶子で長久は義輝、義昭らの弟という説も)
志村光安(最上)
楯岡光直(最上)
新発田長敦(上杉)
本庄繁長(上杉)
甘糟景継(上杉)
直江景綱(上杉)
沼田祐光(津軽の軍師)
<関東・中部>
宇都宮国綱
芳賀高定(宇都宮)
塚原卜伝(足利や細川、北畠、上泉信綱などの剣術の師。
一族は秀吉の命で佐竹に滅ぼされた)
岡本禅哲(佐竹)
土岐為頼(里見→北条。里見義堯の正室になった娘・正蓮は離反後も里見側に。
ちなみに明智光秀も源氏土岐家の支流と言われるが)
真田昌輝(幸隆の子で昌幸の兄) *何故か本当に他の真田の逆。
子は家康の子の臣下だが。真田信之は赤グループなのに。
<東海・北陸>
大道寺政繫(北条) *何故か本当に相性が徳川系。
(妻は遠山綱景の娘。子の直繁は秀忠の家臣)
井伊直孝(赤鬼直政の二男)
本多正信(徳川)
石川数正(徳川→小牧長久手のち豊臣。佐久間の
水野讒言について知っていた可能性を指摘する声も。
数正を筆頭とする岡崎衆=信康派より酒井忠次ら
浜松衆の立場が強くなったため等の推測あり)
板倉勝重(徳川)
酒井忠世(徳川)
加藤嘉明(豊臣子飼い衆)
加藤忠明(嘉明の弟)
前田玄以(織田)
織田秀信(織田信長の長男・信忠の子・三法師。3才で擁立されたが・・)
不破光治(斎藤→織田)
竹中重門(半兵衛の長男。豊臣→徳川)
前田利常(利家の庶子で四男)
村井貞勝(織田。本能寺の変で死亡)
蜂須賀家政(小六の子)
浅野長政(織田・豊臣・徳川) *浅井ではない。織田重臣家系でない秀吉にとって重要な縁者。互いの妻が姉妹
堀尾忠氏(父代織田→豊臣・徳川)
池田輝政〔現在の形の姫路城を作らせた人物。
摂津池田氏と同族であることを強調しているが、
不確実でなんら確証もない〕
池田長吉(輝政の弟。長吉の兄)
池田恒興(輝政、長吉、長政らの父。母の養徳院は信長の乳母。
娘たちは森長可、豊臣秀次、浅野幸長、織田勝長らの正室、
養女は織田信時の娘で下間頼龍の正室。
*「織田信長は敵を根絶やしにした」などと書いてるサイトを
見かけるが、ならば何故、下間は生きていて織田と縁組まで
している?根絶やしは毛利が尼子や大内にやった事だろ。
どれだけ不公正な差別主義者・歴史捏造主義者なんだ?)
池田長政(輝政、長吉の弟)
塙(バン)団右衛門(豊臣。塙直政の親類かは不明。
大坂の陣で東軍に夜襲をしかけ戦果をあげた。
旗印の「塙団右衛門」で名を売るなど派手な活躍が
江戸時代の講談で人氣を博した。)
<近畿>
高山重友(高山右近。松永→千利休→肥後小西→加賀前田)
筒井順慶(興福寺一乗院に属する有力宗徒が武士化。
大名であり僧侶でもあった。当時は比叡山と並ぶ僧兵勢力で
はじめは近衛家の子弟が門跡をつとめていたし
近衛尚通の外孫である足利義昭も還俗前に門主をしていた。
長男でない者が僧になるのは、後継者争いを避けつつも、
長男が早世などした場合には還俗して後継者になれるため。
九条家の娘の多加姫が足利義昭の養女として順慶の嫁に。
明智光秀の次男の十次郎を養子にもらった説も)
松倉重信(筒井の右近)
雨森清貞(浅井)
細川興秋(忠興の次男) *本当に他の細川とは反対
<中国>
有馬豊氏(赤松の庶流だが母は京兆家。細川澄元の孫)
尼子経久
立原久綱(尼子)
井上之房(ゆきふさ。黒田)
岡利勝(宇喜多)
<四国>
蜂須賀至鎮(よししげ。家政の子)
<九州>
臼杵鑑速(あきすみ。大友)
なお、他の攻略サイトで「固有武将」に
ふくまれてない武将も、「固有姫」より
上に並んでる場合は「固有武将」と
いう事にさせてもらいました。
*実際には家康は織田の忠臣ではなく
従属的な同盟相手。「絶対に敵対するはずない」
というのは後世の印象操作で・・・実は
本能寺の変に絡んだ連中を大本営が隠している。
故意に・・・歴史捏造してると見るべきかと。
本能寺の変後、織田から甲斐・信濃を奪い
武田の旧臣を配下に加えてる事実が
「公式ストーリー」からは抜け落ちている。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
分析してみました。
プレイステーション3版でやってます。
他の攻略サイトでは、基本的には
無双武将だけは相性グループ分け
してあるけれど、固有武将・固有姫や
一般武将(汎用武将)の場合は、
無双武将の関係者
(例えばガラシャに対する細川忠興とか)
しか載せてないところが多いので、
せめて固有姫より上に並んでる武将と
それなりに能力などの高い武将だけは
分類してみました。
(少なくともゲーム上の)家紋・旗印の色が、
豊臣家は黄で、真田・武田などは赤なので
相性が豊臣秀吉系のグループを
私は黄グループと呼んでいます。
赤グループと言えば、
ここでは、相性が真田・武田系のグループ。
基本は秀吉との関係で考えると
わかりやすいのかなと。
明智光秀、柴田勝家は
秀吉と敵対するグループだが
織田信長とは敵対しない。
小田原北条氏なども
反秀吉と設定されている。
そして、関東の反北条の大名は
秀吉と同じグループとなる・・・
みたいな感じ。
お市と浅井三姉妹も
柴田勝家と同じ青グループ。
(浅井、長宗我部、細川などの家紋色が青で
ガラシャと細川忠興は相性のよいと
書いてるサイトを見て忠興も青系かと思っていた
のもあって、青グループと呼んでます。)
江と相性のよい徳川秀忠も
青グループ。
長宗我部も反豊臣秀吉。で「一領具足」を使う。
北条も「領民同心・弐」を使うので青グループは強い。
私の場合、自作エディット武将の
千利休、南光坊天海も青グループにしてます。
(相性を明智光秀に合わせてある。)
実際は島津も秀吉に攻撃されてるし、
その際、秀吉は大友に援軍を送っているので
島津も青で、大友が黄グループでもよさそうだけど。
立花が大阪冬の陣で青グループの秀忠に仕えてるからか?
でもそれは本多忠勝の推挙で江戸城に仕えたから・・・
本多と同じ黄でよさそうなものだけど。
長宗我部だって盛親は豊臣四天王なんて呼ばれてるし。
薩長を敵対させたくなかったのか?
でも土佐は青グループだし。肥前は赤。
というか本多は何故黄グループ?
で・・・毛利の場合、無双武将の
毛利元就、小早川隆景は
真田・武田と同じ赤グループだけど
子や孫の世代、毛利輝元などになると
秀吉と同じ黄グループが多い。
多分、元々血縁でない小早川秀秋だけが
徳川家康と同じ緑グループ。
(家康の家紋・旗が緑というわけではないが
赤の反対色だし、同じ相性グループの
伊達政宗や尼子はゲーム上で家紋が緑
なので私は緑グループと呼んでます。)
※相性グループの見分け方。
黄グループの代表である豊臣秀吉
青グループの代表である明智光秀
緑グループの代表である徳川家康
赤グループの代表である真田幸村
と同じ部屋の奉行にしてみた時に
赤マーク (`へ´)(拒絶反応)がついた場合は
その反対グループという事です。
対立してなければ青(^-^)表示。
知りたい武将が載ってなかったら
やってみてください。
それと、一般武将(汎用武将)は
地方別に並んでるのですが
どうやら戦国無双4(無印、通常版)と同じで
関東・中部 とか 東海・北陸
というエリアになっているようで。
4 Empiresでの地方とは少し違います。
小田原は東海に入ってるみたいです。
また、上杉は越後にいる頃の武将も
東北にエリア分けされています。
私がそうしたのではなくて
もともとこのゲームでそうなってるだけ
なので、ご了承ください。
黄(豊臣・上杉・島津)系
反青(柴田・明智・北条)
<無双武将>
06 上杉謙信
16 豊臣秀吉(実は浅井昌成が近江佐々木氏の末裔・木下
越中守高泰の婿となり木下弥助国吉と改名し
尾張に移住したのが曽祖父。父代も村長。水呑百姓ではない。
「ねね」の一族は杉原と名乗っていたが、秀吉の出世に従い
木下と名乗るようになった。 逆に、「ねね」との結婚まで
秀吉は苗字を名乗ってないとする研究もあるそうだ。
近衛前久の猶子となる事で関白に)
18 本多忠勝(徳川)
19 稲姫(本多忠勝の娘。徳川の養女として真田信之の正室に)
24 島津義弘
26 直江兼続(上杉)
35 加藤清正(豊臣秀吉の母の従姉妹の子。また
祖父の祖父である加藤頼方は明智頼常の四男とか)
36 黒田官兵衛(赤松庶流で宇喜多と同盟の小寺→豊臣。
晩年、秀吉に遠ざけられたのは、宇喜多系の例にもれず
キリシタン勧誘を活発に行っていたためか。
https://ironna.jp/article/10891?p=2 )
42 綾御前(上杉謙信の姉で景勝の母)
51 上杉景勝(上杉謙信の甥で養子)
54 島津豊久
<固有武将>
010 斎藤龍興
012 佐竹義重
014 上杉憲政(謙信の養父。関東管領の事実上の宗家
である山内上杉家。足利尊氏の母方の家系で藤原氏)
024 柳生宗厳(剣術の師は上泉信綱。大和勢力下。宗矩の父。十兵衛の祖父)
025 豊臣秀頼(このゲーム上の相性は淀殿と反対で秀吉系
だが大野治長の子という説も。197cm、161kgの大男だったそうだ。
八条宮智仁親王や結城秀康が父ではないかとする憶測も。
家康は秀頼の才覚と評判を恐れていた。
大坂夏の陣の後、次のような京童唄が流行した。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ」
色白の坊っちゃんという肖像画の印象そのままだが
その子が天草四郎(益田時貞)ではないか、という説あり。
四郎も少年使節というより甲冑武者そのものの肖像が残ってるが。
なお天草で過酷な徴税をはじめた寺沢広高は秀吉の部下
だが親友の安田国継は明智の家臣のち立花など経由し最後は
出世した方の部下にという若い頃の約束で寺沢に仕えたという。
また「ねね」の甥の豊後日出藩主・木下延俊と
細川藤孝の娘・加賀の間に生まれた事になっている
木下延由という人物は秀頼の遺児・国松では
ないかという説も。ちなみに45歳で急逝している。)
また加藤清正の熊本城の昭君之間も「招君」のため、
秀頼を招くためのものではなかったかと推測されている。
ゲーム上は隈本城だが清正の築城後に熊本と改められた説が強い。
028 河野通直
029 有馬晴信(肥前。島津と通じ龍造寺隆信を破った際
兵数は龍造寺が圧倒的だったが、イエズス会から
大砲の提供を受けていたので勝ったともいう。
それで長崎の浦上村をイエズス会に寄進している。
ゲーム上で相性悪い大友と通じていた時期も。
「天正遣欧少年使節」には有馬も大友も参加。
家臣だった有家監物の娘が益田時貞の妻で
有家は天草島原の乱の総大将的な立場だった可能性も。
晴信の嫡男・直純は一揆鎮圧側)
032 戸沢盛安(南部から独立しようと画策、最上と連携。「夜叉九郎」)
039 蘆名盛氏
041 柿崎景家(上杉)
042 上泉信綱(上杉)「ほう…剣聖に教えを請いたいと申すか」
043 長野業正(上杉)
044 宇都宮広綱「命尽きるまで…戦い抜いて、みせる!」
045 佐竹義宣「我は鬼義重が子・佐竹義宣なり!」
046 佐竹義昭「佐竹こそ源氏の惣領ぞ!
ひかえぬか、下郎!」
048 里見義堯(よしたか)「仁者必ず勇あり!
その身でしかと知るがよい」
049 里見義頼「最後には勝つ…どんな手を使ってもなあ…!」
051 村上義清(上杉)「こわっぱめが、
信濃一の武勇、とくと味わえ!」
064 太原雪斎(今川)
079 斎藤義龍 *川中島から桶狭間までの間の
「稲葉山城」の総大将の場合、特別な夜戦場となる。
「稲葉山城」でも彼が総大将でない場合は
「岐阜城」と同じ、水流のある戦場となる。
099 木村重成(豊臣。父は千利休の弟子)
103 足利義輝(母は近衛尚通の娘で正室は近衛稙家の娘。
義昭は弟。父・義晴は管領の細川晴元と対立し敗れ実権なし。
義輝も細川配下だった三好義継・松永久通らに暗殺された。
教科書には三好や松永以前に細川が実権を握っていた
事は出て来ず、まるで足利に実権があったような書き方だが。)
「将軍家としてではなく、
一剣士として相手願おう!」
104 小西行長(宇喜多→豊臣。
実父は堺の商人のち堺奉行。
養父は備前の豪商で宇喜多に出入り。
豊臣政権の中で千利休・豊臣秀長が
担っていた財務を三成と共に引き継ぐ。
高山右近の後押しでキリシタンに。
天草四郎=益田時貞の父・益田好次は
若い頃、小西の部下だった)
118 村上武吉(毛利)「村上水軍の誇り、天下に示さんか!」
119 毛利隆元
121 毛利輝元「毛利元就が孫・輝元!
祖父譲りの知略を見ろ!」
127 河野通宣(みちのぶ)「乱世と権力と
戦に翻弄されるが、我が定めか…」
129 相良義陽「いつでも友や義のため、
死す覚悟はできておる!」
135 島津家久
136 島津義久(実際は豊臣秀長・徳川家康派で
関ヶ原の戦いでは義弘に援軍を出さず
義弘は1000~2000人程度で戦うはめに。)
137 島津歳久
<固有姫>
003 戌(津軽為信の正室)
005 緑(南部晴政の娘。九戸政実の弟に嫁ぐ)
016 伊勢姫(生涯不犯の上杉謙信公の恋した人とされる)
017 英(佐竹義重の妹で宇都宮広綱の正室)
019 うた(豊臣秀長の家臣・尾藤頼忠の娘。
石田三成の正室で山手殿とは姉妹という)
025 梶(徳川家康の側室。太田道灌の一族という太田重正の妹という。
太田重正の母は遠山綱景の娘)
029 瀬名姫 今川義元の姪・養女で徳川家康の正室。
松平信康と共に処断された。
『安土日記』(『信長公記』諸本の中で最も古態をとどめ
信憑性も高いもの)や『当代記』では、信長は
「信康を殺せ」とは言わず、徳川家の内情を酌んで
「家康の思い通りにせよ」と答えている。つまり家康自身の
事情で築山殿と信康を葬り去ったということである。
一説では、それまでの家康とは別人だったためとも。
031 嶺姫 今川義元の娘。三国同盟の際に武田義信に嫁ぐ
040 京極マリア 浅井長政の姉で京極高吉の正室。高次・竜子らの母
060 だし 荒木村重の正室
061 お茶々 島左近の正室
070 文 浅井久政の養女で斎藤義龍の正室で龍興の母・・らしい
074 扇 細川京兆家・晴元の娘で朝倉義景の正室。
077 小西マリア 小西行長の娘
078 照姫 秀吉を苦しめた別所長治(赤松系)の
正室・照子。波多野秀治の妹、娘とも
083 モニカ 宇喜多直家の娘で明石全登の正室
086 問田の方 小早川隆景の正室
088 五龍局 毛利元就の次女で宍戸隆家の正室。
孫の古満姫が毛利輝元の養女となり迎えた婿が
「ねね」の甥の小早川秀秋。
089 周 毛利輝元の側室
091 寿 毛利隆元の正室
100 桐 大友宗麟の姉で河野通宣の正室
104 宰相殿 島津義弘の後妻
<東北>
斎藤朝信(上杉)
<関東・中部>
結城晴朝(小山高朝の三男だが度々実父と戦い結城家を守った)
佐竹義久
梶原政景(太田資正の次男で基本は反北条)
簗田(やなだ)晴助(古河公方足利)
<東海・北陸>
今川氏親
佐久間信盛(織田。「水野信元が武田に兵糧を送ってる」
と讒言したとの説あり。家康が武田信玄に敗れた
三方ヶ原の戦いで援軍として出陣したが早々に撤退、
信長を諌めるため自刃したとも伝わる平手政秀の三男
ないし孫の平手汎秀を見殺しにした等、様々な理由で
後に追放された。それで信長を暴君とするなら、
関羽を見殺しにしたとして劉封を処刑した劉備もだ。
目障りな大勢力に些細な事で難癖をつけて領地没収
する暴君は、むしろ秀吉や家康。なぜ連中には言わない?)
増田長盛(豊臣)
北畠具教(後醍醐天皇なき後の南朝の指導者だった家系。
正室は六角定頼の娘。側室は蜂須賀小六の正室となった大匠院?
母方の祖父は管領・細川の分家から本家=京兆家の養子
となった細川高国で、その弟という通政は長州の客将
となったともされているが、通政は架空の人物との説も)
<近畿>
河田長親(上杉:上洛の際に家臣に)
六角義賢(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では南近江の守護大名。一時は
浅井久政を支配下にしたが長政に敗れた)
京極高次(鎌倉幕府の近江守護・佐々木氏の一族。
室町幕府では北近江の守護大名。
浅井は元は臣下の家系。本能寺の変の後、
明智に加勢した数少ない大名。のちに
豊臣側と見られていたのに東軍に加わった
のも、明智=天海と通じていたためかも)
伊勢貞興(足利→明智)
一色藤長(足利義輝の御供衆。
足利一門で、室町時代の初めは
九州探題として南朝側と戦っていた家系だが
三河守護の頃に守護代だった菊池西郷氏は
南朝側だった家系で、徳川と姻戚関係に。
ちなみに一色らが九州から敗走した後に
九州探題となり戦果を上げたのが今川貞世=了俊。
一色義道・義定は丹後の大名だったが
細川藤孝・忠興に敗れ、あるいは謀殺された)
<中国>
明石全登(赤松系。浦上→宇喜多)
福原貞俊(毛利)
安国寺恵瓊(毛利)
村上通康(河野)
穂井田元清(毛利)
福原広俊(毛利)
小早川秀包(毛利元就が71才の頃に生まれた9男で
異母兄である小早川隆景の養子。キリシタン。
母親は乃美大方で穂井田元清は同母兄。
立花宗茂の義兄弟。妻は大友宗麟の娘。)
<四国>
ここは黄グループは目立たない
<九州>
相良晴広
深水長智(相良)
松浦鎮信(大内・大友に臣従)
島津貴久
頴娃(エイ)久虎(島津。ちなみに真田幸村が
落ち延びて住んでたという伝説のある地区は
頴娃町 牧之内 雪丸)
上井覚兼(島津)
伊集院忠棟(島津)
新納(にいろ)忠元(島津)
青(柴田・長宗我部・北条)系
反黄(豊臣秀吉・上杉・島津)
<無双武将>
04 明智光秀(ゲーム上は美濃斎藤下だが、
本当は幕臣で細川藤孝の配下だった事が
多聞院日記やルイス・フロイスの日本史で分かる。
*諸説ありますが、詳細は考察すると長くなるので、
こちらを御覧ください。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-317.html )
光秀の亀岡城(亀山城)を宣教の拠点とした
大本教の出口王仁三郎(明治天皇の決定で信長を祀る
建勲神社が京都にあるが、そこで神官をしていた事もある)は
光秀が千利休になったとしているので、裏千家って何?
という事が氣にかかる。
https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11999575030.html
05 石川五右衛門(秀吉に処刑されたので光秀の子との俗説も)
07 お市(織田信長の妹で浅井三姉妹の母のち柴田勝家の正室)
17 今川義元
22 浅井長政(浅井三姉妹の父)
25 立花誾千代(父は大友重臣の立花道雪。宗茂は婿)
28 風魔小太郎(北条)
31 長宗我部元親(正室は明智家臣の斎藤利三の異父妹)
32 ガラシャ(明智光秀の娘で細川忠興の妻)
34 柴田勝家(織田)
37 立花宗茂(大友。肥後の丸目長恵は剣術の師で上泉信綱の弟子四天王)
38 甲斐姫(成田。のち秀吉の側室)
39 北条氏康(もちろん本物はヤクザではない)
46 柳生宗矩(徳川家光の剣術師範)
53 小少将(阿波細川→三好→同名の娘が?長宗我部の側室)
55 早川殿(北条氏康の娘で今川氏真の正室)
<固有武将>
001 上杉景虎(北条氏康の子で上杉謙信の養子)
002 高橋紹運(大友。吉弘鑑理の次子で立花宗茂の実父)
006 陶晴賢(毛利の主君だった大内から権力を奪う)
007 斎藤道三
008 伊達輝宗
009 武田勝頼
015 成田長親(小田原征伐の際の忍城主のち蒲生配下から再び大名)
016 武田信廉
017 北条氏邦
018 北条氏政
019 北条氏照
021 徳川秀忠「守成において、この秀忠の右に出る者なし!」
030 大友義統
035 伊達成実(しげざね。伊達三傑)
「俺は退却の二文字は知らん、まかり通るぞ!」
037 最上義守
038 片倉重長(伊達)
058 武田信繁「武田信繁、
自ら前線に立ち、兵の士気を上げる!」
063 山本勘助(武田)
065 北条綱成「勝った! 勝った!
地黄八幡、推して参るぞ!」
071 可児才蔵(柴田勝家→明智光秀→福島正則など)
080 畠山義綱「畠山家の栄光、必ず取り戻してくれる…。ゆくぞ!」
090 山内一豊(豊臣→徳川。豊臣秀次と仲が良かったため
家康派となり、関ヶ原での東軍の勝利に貢献、土佐藩主に。
長宗我部の旧臣を騙し討ちしたりもしている)
094 磯野員昌(浅井)「近江きっての剛の者…。
この刃、受けきって見せよ!」
096 小川祐忠(祖父は六角下→浅井→織田など)
117 北条早雲(日野富子の子・足利義尚の奉公衆だった
伊勢新九郎。姉妹が今川義忠の妻。子の氏綱の正室の
養珠院殿が執権北条氏の末裔とされる横井・横江氏
だった可能性あり、そのまた子が北条氏康)
126 長宗我部信親「父・元親の名は汚さぬ。
堂々とよい戦いをしよう!」
130 由布惟信(大友)
131 小野鎮幸(大友)
132 立花道雪(大友)
133 大友宗麟
134 伊東義祐
<固有姫>
001 愛姫(伊達政宗の正室)
「たとえ武器が折れても、懐刀であなたを…!」
002 飯坂の局(伊達政宗の側室)
004 久保(伊達晴宗の正室)
006 藤代御前(津軽為信の側室になる事を拒否し討ち死に)
008 義姫(最上義光の娘で伊達輝宗の正室。政宗の母)
012 彦姫(伊達晴宗の娘で蘆名盛隆の正室)
020 諏訪姫(武田信玄の側室で勝頼の母)
021 定恵院(武田信玄の姉で今川義元の正室)
022 菊姫(武田信玄の五女で上杉景勝の正室)
026 静(北条氏康の娘で武田勝頼の正室)
028 白井の局(成田長泰の正室のち足利義輝に仕え殉死)
030 おりん(飯尾氏の家臣・松下之綱の娘で柳生宗矩の正室。
之綱の義兄弟の松下清景は井伊家の家老となった。
なお、之綱は秀吉の最初の主君という。
秀吉の親の代の木下家は、那古野氏に仕えていたが
今川は婚姻関係のある那古野氏を強引に配下にしていた)
036 督姫(徳川家康の次女。北条と和睦の際に氏直に嫁ぐが
死別、秀吉の肝いりで池田輝政に再嫁。
輝政を豊臣秀次から引き離すため)
037 千姫(江と徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室のち本多忠刻の正室。
実際は秀頼とも非常に仲が良かったらしいがゲーム上は・・)
041 千代(山内一豊の良妻。内助の功で夫は土佐藩主に)
044 小百合姫(佐々成政に殺され呪ったという
伝説があるが領主交代の際の作り話かも?)
048 まつ(前田利家の良妻。自ら人質に赴いたという。
「ねね」と仲が良かった)
066 淀殿(お市と浅井長政の娘で豊臣秀頼の母。
なのに江の娘の千姫と同じく秀頼と相性が悪い)
067 江(お市と浅井長政の娘で徳川秀忠の継室。
その前に秀吉の甥の秀勝にも嫁いでいて、
娘の完子は九条幸家の正室となっている。)
068 初(お市と浅井長政の娘で京極高次の良妻)
069 阿久(阿久悠・・・じゃなかった、浅井長政の姉)
087 妙玖(毛利元就の正室)
093 阿喜多(一条兼定の妹で伊東義益の正室)
099 宋雲院(高橋紹運の正室。立花宗茂・直次の母)
102 妙林(大友家臣・吉岡鑑興の正室。子の統増が
若い兵を連れ臼杵城に籠もる中、鶴崎城を老兵と奇策で死守)
103 ジュスタ(高橋紹運の妹で大友義統の正室。吉弘統幸、立花宗茂の叔母)
<東北>
鮭延貞綱(最上)
天童頼貞(最上)
鬼庭綱元(伊達)
遠藤基信(伊達)
屋代景頼(伊達)
氏家定直(最上)
氏家守棟(最上)
<関東・中部>
酒巻靱負(ゆきえ。成田)「武辺者を自負する者は、名乗りを上げられよ」
正木丹波守(成田)「近づく者はことごとく我が朱槍の餌食と心得よ」
柴崎和泉守(成田)「武功一等柴崎和泉守を前にしてどこみてやがる」
<東海・北陸>
北条氏親
板部岡江雪斎(北条)
北条幻庵(北条早雲の末男。妹はいる。
父、兄、甥の氏康、その子・氏政、孫・氏直
の5代に渡って仕え、一門の長老という立場に)
本多正純(徳川)
土井利勝(徳川)
池田利隆(池田輝政の長男。徳川)
畠山義慶(よしのり)「私がしっかりしなければ…。
お家をまとめるために…」
佐々成政(柴田勝家→肥後)
佐久間盛政(織田)
<近畿>
海北(カイホウ)綱親(浅井)
堀直清(直政の子)
堀秀治(秀政の子)
「我こそは、名人久太郎!
…の息子…。見くびるなよ!」
堀直政(堀家臣の奥田が堀姓を頂いた)
細川忠隆(忠興とガラシャの長男。
正室は前田利家の七女・春香院)
<中国>
山名祐豊(赤松)「応仁に栄華誇りし山名宗全が末・山名祐豊、参る!」
花房正成(宇喜多)
<四国>
吉田孝頼(長宗我部)
香宗我部親泰
長宗我部国親
谷忠澄(長宗我部)
久武親直(長宗我部)
吉良親貞(長宗我部)
土居宗珊(一条)
立石正賢(長宗我部→細川)
<九州>
阿蘇惟将(甲斐宗運の主君)
問注所統景(大友→小早川)
大内義長(大友から養子、陶晴賢の傀儡)
角隈石宗(大友)
吉岡長増(大友)
赤(細川・三好・真田)系
反緑(最上伊達・黒田宇喜多・織田徳川)
<無双武将>
01 真田幸村(実は長男ではないかという説あり。信之が弟ではないかと。)
08 阿国(鍛冶の娘で、出雲大社の巫女として諸国を
巡回し評判になったという。かぶき踊りを創始。
夫は蒲生氏郷の小姓だった名古屋山三郎で
小田原征伐の頃はまだ十代。政宗、幸村より若い。前作
3 Empiresでは毛利元就を持ち上げる芸姑みたいだが )
09 くのいち(女性忍者をくノ一と呼ぶ説は否定する学者も。
講談の真田十勇士あたりがモデルというべきか)
10 雑賀孫市(息子は秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮側に寝返り
金忠善、沙也可と呼ばれたという仮説がある。
和歌山の漁村に亀甲船みたいなのが何隻も停泊してるのも、
韓流ブサメン推しなのも、そういう事。)
雑賀衆は必ずしも織田と敵対せず逆に三好攻めに参加してる。
また織田系グループの家康は朝鮮出兵反対派である。
11 武田信玄
21 石田三成(豊臣)
23 島左近(筒井→石田)
29 宮本武蔵(父は赤松氏支流の新免無二で黒田に従い東軍か。
宇喜多と同じ西軍という仮説もあった。晩年は肥後細川の客分
だが家康と反対の赤でなくても・・・黄でよかったのでは?
まぁ、このゲームが「赤に動かされる青」史観なんだろうけどさ。)
40 竹中半兵衛(斎藤→織田。秀吉につけられた与力。
美濃斎藤氏の重臣の子だが、斉藤龍興に煙たがられ
21歳にして計略で稲葉山城を乗っ取り、半年後に返還し隠棲
したという。多くのエピソードは後世の脚色らしい。
黒田官兵衛が荒木村重の元から戻らなくなった際、信長は
裏切りを疑い人質の黒田長政を処刑するよう命じたが、
半兵衛が長政をかくまって生かした。官兵衛は
裏切ったのではなく村重に監禁されていたのだそうだ。
足も不自由になったとか)
41 毛利元就
47 真田信之 *ゲーム上の家紋色は黄だが妻の稲姫と同じ相性系統ではない
48 大谷吉継(豊臣)
49 松永久秀(三好長慶が細川晴元を放逐する頃から台頭。
堺奉行をしていたらしい。足利義輝の御供衆にまで出世。
長慶の死後は、若年の三好義継の後見人だった阿波の
三好長逸・三好政康・岩成友通ら三人衆と対立。なおフロイス
によると筒井氏の要塞化した東大寺の大仏殿に火を放ったのは
三人衆側のキリシタンだという。久秀は三人衆が担ぐ足利義栄
から討伐令を出されるなど苦境の中、足利義昭を擁立する
織田信長と連絡をとる。名目上は幕臣であり、義昭が
信長包囲網を築くと義昭側となった。多数の名物茶器を保持。
長慶にならって古墳を破壊して城を築いていた。)
52 小早川隆景(毛利)
<固有武将>
003 龍造寺隆信
004 鍋島直茂(母親は龍造寺隆信の父親の妹か姉。
さらに継母が龍造寺隆信の実母。肥前藩主に)
011 弘中隆包(大内)
022 朝倉義景(正室は細川晴元の娘で
継室は近衛稙家の娘。叔母は
土岐頼武に嫁ぎ、嫡男・頼純を産んだ。
六角氏からの養子だった可能性あり)
「朝倉義景の恐ろしさ、
とくと味わえ、きえええい!」
027 十河存保(三好。小少将と三好実休の子。
ゲーム上は父親の縁者。母親との縁者扱いは無い)
033 南部晴政「三日月の丸くなるまで、攻め抜くのみよ!」
036 伊達晴宗「わしは戦う…次代に禍根を残さぬために…!」
040 蘆名盛隆「俺っていい男だろ?
俺と一戦、交えてみないか?」
047 太田資正(扇谷上杉→成田→宇都宮→佐竹。
三男の資武は結城秀康に仕え福井藩の家老に)
050 真田昌幸「真田は策のみにあらず…。
武も味おうてもらおうか」
*大名にすると群馬だろうが静岡だろうが
戦場が信州上田城になるので注意
052 真田幸隆(武田)
053 馬場信房(武田)
054 内藤昌豊(武田)
055 高坂昌信(武田)
056 山県昌景(武田)
057 秋山信友(武田)
059 今川氏真「戦は嫌じゃ。蹴鞠で勝負せんかのーぅ?」
060 朝比奈泰朝(今川)
061 結城秀康(家康の側室の子。家康は当初、
自分の子として待遇せず、面謁さえ許さなかった。
不憫に思った長男・信康が無理やりに父子を
対面させたほど。人質として秀吉に送られ養子となる。
秀頼が誕生すると結城家に養子に出され大名に。)
062 岡部元信(今川→武田)
074 斎藤利三(明智。「春日局」福の父。異父妹は長宗我部元親の正室)
077 日根野弘就(斎藤義龍→今川→豊臣)
078 明智秀満(のちに家康の側近・南光坊天海という説あり。
子の三宅重利は細川の庇護を受けた後、
安田国継の縁で寺沢広高に仕え、
天草島原の乱で敗走し自刃)
081 真柄直澄(朝倉)「我が次郎太刀が、勇者の血を求めておるわ!」
082 真柄直隆(朝倉)「我が太郎太刀が、強き敵を求めておるわ!」
095 遠藤直経(浅井)「伊賀の遠藤、推参」
100 足利義昭「将軍家の血に刃向かうとは謀反人め!」
(信長に擁立され将軍となったが傀儡でしかない
事に氣づき、毛利輝元の元に潜伏して
石山本願寺などを支援。信長の妹婿の浅井も寝返らせた。
というのは義昭単独の謀略というより室町幕府最後の
実権を握っていた細川や、藤原氏九条家、近衛家など
百済人のいつもの謀略ではないかと。実はフン族=匈奴
であるイエズス会は藤原氏が朝鮮人である事に氣づき
自分たちに加担するよう求めたはず。藤原氏は「体制」
を守るために細川とつるんだはず。毛利は自称は
菅原道真と同じ土師氏系の大江氏だが百済系の大内に
臣従し、吉川・小早川を背乗りするなど手口が百済人。
毛利も背乗りしただけで元は大江氏ではないのでは?
家康は東インド会社とつるんで大砲など入手したわけで
今日の外資跳梁跋扈の原因となっている。
光秀はよく分かってないで操られたのでは?
秀吉がキリシタンくさい武器商人・千利休と対立したのも
どこまでわかっての事なのか。
日本人奴隷に関し、よく引用される
「日本使節の見聞対話録」と
「デ・サンデ天正遣欧使節記」(日本語訳)
https://iwahanjiro.exblog.jp/238020243/
{
天正15年6月(1587年7月)、秀吉は日本の中央政権として初めて正式なキリシタン禁令を発布するが、その直前にイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョのもとに使者を送り詰問を突き付けた。その中に「何故にポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷としてその国に連れ行くか。」という内容が含まれていた。
これに対するコエリョの回答は、「日本側の諸領主に対し禁止を勧告すべし。」というものだった。つまり、「奴隷を売る者(日本人)がいるから買う者(ポルトガル人)も出て来るのだから、日本の当局が奴隷を売ることを禁止すればよい。」とコエリョは秀吉に反論したことになる。「対話録」でのミゲルの発言は、そのコエリョの回答をそのままなぞっているのである。
}
{
日本人奴隷拡散の規模とその境遇の悲惨さを日本人が知るための客観的な資料は、その時代はもちろん、つい最近までほとんど無かった。私にしても、インタ-ネットなどで「戦国時代のキリシタン大名が弾薬と引き替えに何十万人に及ぶ奴隷を輸出していた。」等の記述に接し、その可能性も否定できないけれど、もしかして誇張ではなどと思うしかなかった。
しかし、今回改めて「対話録」を読んで、日本人奴隷拡散の規模・程度が世界的に周知の事実となっている以上、もはやこれを日本人に対して隠し通すことは不可能であり、キリシタン教会の組織防衛の観点からそれを認めたうえでの反論を用意したということではないかということに思い至った。
}
*引用註:そう言ってる秀吉自身が騙し討ちなどやらかしてるのだから、これだけで秀吉を称賛するのはおかしく、むしろ朝鮮人が秀吉を誉める事を異様に思うべき。家康にはイギリスからのカルバリン砲があったし、オランダ人の外交顧問もいた。またスペイン国王からもらった時計が久能山東照宮にあったりもする。とにかく東インド会社やイエズス会宣教師(武器商人)と関係あるようだ。一方、雑賀衆、根来衆、伊達、織田など全ての鉄砲が奴隷を売る事で引き換えに得たものだという証拠があるわけではない。鉄砲鍛冶は既に国内に存在している。
特亜は自分の罪を他人になすりつけるので、むしろ何の根拠もなく、キリシタン大名でもない大名が奴隷を売ったなどど断定する連中を疑うべきである。信長公はキリシタンではない。神官の末裔だ。それも非常に由緒深い。比叡山焼き討ちも細川がやった事を転嫁されてるだけの可能性大。詳しくは明智光秀のところでリンク先に書いてある。
*最大の容疑者は、もちろん細川と、鬼畜藤原、
それに高山右近ら千利休一味だ。
ついで、毛利、徳川、生きているなら明智(天海?)だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202008140001/
現在では在日朝鮮人が大名姓を名乗る事が多い。
武田アンリだけでなく全く分かってない織田信成なども
在日朝鮮人と一緒になってスケートなどやってるわけ
で不自然、才賀紀左衛門などと一族の経歴が似てる。
また創価パソナ南部、竹中平蔵なども背乗りする氣では?
しきりに本多忠勝の子孫と宣伝されてる三木谷の
親戚のABCマート三木は朝鮮学校出身。藤原の謀略臭い。
https://ameblo.jp/minomushi1968/entry-12010633577.html
親類も創価役員、人脈が関東連合など特亜大本営、
プロ野球参入させた渡辺恒雄は児玉誉士夫の小姓あがりで
その上司だった笹川良一は韓国籍で本名は文堯、
児玉にも在日説あり、三木谷自身の顔が室町以前の
帰化人にしてはゆがみすぎ。自覚できない感性もおかしい。
それに文堯の運転手だった松井(強姦魔・維新松井の親)
の姓が急激に増えすぎだと思わない?野球とかブスドルとか)
101 細川忠興(父代からの重臣が松井康之)
102 細川藤孝(足利義輝の御供衆→織田→徳川)
「わしは万能に達しておる…無論、武芸にもな」
105 荒木村重(池田勝正→三好→千利休)
113 浦上宗景(宇喜多は家臣というよりやや従属的同盟相手)
116 清水宗治(毛利)
120 吉川元春(毛利)
122 三好長慶「この国の秩序は、
乱世の風雲児たるわしが守る」
(足利義輝の御供衆。細川晴元から離反し
細川氏綱を管領に擁立。氏綱の死後、
弟の細川藤賢は足利義昭に仕えた後
織田配下となり坂本城に配属された)
123 三好政康(三好宗渭の「細川両家記」における名。
これは誤伝らしく、実際の俗名は政勝→政生。
三好長慶の死に乗じて将軍親政を
復活させようとした足利義輝を暗殺。
足利義栄を将軍に擁立。三好三人衆と呼ばれる。
三好義継の後見人だったが対立したり和解したりで
傀儡だった細川真之は臣下だった家系の
長宗我部を頼るようになり、三好家は衰退した。
大坂の陣で88才で戦死した三好清海は
政康の後身という俗説がある。また講談の
真田十勇士の三好清海入道のモデルとされるが
政康に真田氏との関係はない。ただ豊臣秀次は
秀吉が三好と同盟する際に三好康長の養子となり
三好信吉と名乗っていて、その娘とされる隆清院が
真田幸村の側室となった。子の幸信は大坂の陣の
後に産まれたため真田と名乗れず三好と名乗った)
「神仏は信じぬ。信じるは、己の力だけよ!」
124 三好義継(長慶の養子。長慶の弟・十河一存の子。
足利義輝を暗殺した永禄の変の後、キリスト教宣教師の
ビレラとフロイスを京都から追放した。信長の仲介で
義輝・義昭の妹を妻とし、反信長となった義昭を匿った)
128 甲斐宗運(阿蘇。相良義陽は同盟相手。
後醍醐天皇側として足利尊氏らと戦った菊池氏
の子孫。ちなみに薩摩の西郷隆盛も菊池氏の子孫)
<固有姫>
007 喜多(伊達三傑の片倉小十郎と鬼庭綱元の姉。政宗の乳母)
011 芳(伊達晴宗の五女で佐竹義重の正室)
013 花(伊達稙宗の娘で蘆名盛氏の正室)
015 輝子(甲斐姫の祖母。71才の老齢にして北条を撃退した事もあり、小田原征伐の際は子の由良国繁に代わり桐生城を守っていた)
023 お松(武田信玄の娘。織田信忠の正室とする迎えが来るも本能寺の変で会えぬまま尼に)
027 鶴(北条氏政の娘で里見義頼の正室)
032 田鶴(今川氏親の孫で飯尾連龍の妻)
「巴板額に比する武勇、味わってみる?」
039 煕子(明智光秀の正室)
042 福(徳川家光の乳母、春日局。明智家臣・斎藤利三の娘)
043 麝香(細川藤孝の正室)
046 摩阿(前田利家の三女で豊臣秀吉の側室)
049 秀子(筒井定次の正室。信長の三女。光秀の五女とも言われる)
053 豪(前田利家の娘、妹とも。
豊臣秀吉の養女で宇喜多秀家の正室)
064 竜子(京極高吉・マリアの娘。豊臣秀吉の側室として寵愛され
兄の高次が淀殿の妹の初と結婚し出世するのに貢献)
075 山手殿(真田昌幸の正室で幸村・信之の母)
076 糸子(池田輝政の正室、糸姫。
高山右近の従兄弟の中川清秀の娘)
*なんで照子が照姫で糸姫が糸子なんだよ・・・
というのは実は何となく分かってるけど
ここでは書かないでおきます。このブログを
読んでる方には分かる人もいらっしゃるかも。
079 小袖(大野治長の母。孫の?豊臣秀頼の乳母)
090 新庄局(吉川元春の正室)
096 於京( 天草合戦で加藤清正に討たれた木山弾正の妻)
097 彦鶴姫(鍋島直茂の正室)
098 美代姫(龍造寺五天王・百武賢兼の正室)
*このグループは特に
夫や親類と相性が逆の姫が多い・・のでは??
<東北>
石川高信(南部。子の信直は南部晴政の長女の婿で
南部氏を継いだ)
九戸(くのへ)政実(まさざね) 南部宗家を弟でなく晴継暗殺の
容疑者である石川信直が継いだことに大きな不満を抱き挙兵。
信直は秀吉に援軍を求める。九戸城は天然の要害であり
6万を超える豊臣軍も攻めあぐんだ。そこで九戸氏の菩提寺
である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として交渉。
九戸政実は自分だけは犠牲になってもよいが
臣下は助命してくれと要求、条件は受け入れられ開城したが
約束は破られ、女まで殺された。こうした騙し討ちの手口は
百済人の「桓武天皇」による東北侵略の頃と同じである。
つまり秀吉はマッカーサーにも劣り、「風の谷のナウシカ」の
クシャナ殿下にも劣る幽界(がいこく)魂という事だ。
マッカーサーと昭和天皇の話が九戸公の話のパクリでなく実話ならだが。
豊臣秀長が生きていたら残酷な騙し討ちみたいにはならなかった
のではないかという意見も聞かれる。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、秀吉に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
北信愛(きた・のぶちか。南部)
九戸信仲(南部。九戸政実の父)
南部信直「…立ち回りは上手くないが、
戦いなら、負けん」
八戸政栄(南部)
里見民部(最上から嫌疑かけられ敗走)
中野宗時(伊達晴宗を擁立した重臣。輝宗に謀反嫌疑かけられ敗走。
家康から秀吉に乗り換えた石川数正は、同じように処分されるの
を恐れたのではないかと。立場の強すぎる家臣がいると言いがかり
をつけて制圧するのは晋の司馬氏などもやっている。連中自身が
そうやって曹氏から権力を簒奪したわけで。)
<関東・中部>
那須資胤
大関高増(那須資胤から独立)
河原綱家(真田家臣。叔母・恭雲院が真田幸隆に嫁ぐ)
真田信政(信之の次男)
武田信虎(武田信玄の父。息子に追放された。)
「地獄に堕とす…。貴様を、貴様の民を、すべてを!」
<東海・北陸>
朝倉宗滴(7代・孝景の八男で、9代・貞景、
10代・孝景=宗淳、11代・義景の参謀)
<近畿>
松井康之(細川。幕臣で足利義輝没後
織田配下となった松井友閑の甥。)
玉置小平太(鉄砲で武装した僧兵・根来〈ねごろ〉衆らと共に織田と戦い敗北。
ちなみに根来衆には長州の毛利の家臣になった者も。)
下間(しもつま)仲孝(同下)
下間頼廉(石山本願寺・一向一揆)
<中国>
池田勝正(三好長逸と通じた荒木村重に
池田城から追放されたが、荒木への抑え
として原田城主に。しかし織田と足利義昭が
決裂すると幕府側についたため、織田家臣
となった荒木村重に原田城からも追放された。
金ヶ崎の撤退の際は秀吉や明智でなく彼が
しんがりの指揮者だった可能性あり)
赤松政秀(浦上から独立画策、黒田に大敗)
乃美宗勝(毛利・小早川)
吉川元長(元春の嫡男)
吉川広家(元春の三男。小早川秀秋よりも
ずっと家康寄りの言動をしている。
むしろ広家が裏切りの中心のような
書状が残されている。毛利全体の行動が不審だが)
<四国>
篠原長房(三好。小少将の3人目の夫)
三好義賢(子少将の2人目の夫・実休か)
十河一存(三好長慶の弟で十河存保の養父)
西園寺公広(河野というか伊予勢力下)
<九州>
成富茂安(龍造寺・鍋島)
緑(最上伊達・宇喜多黒田・織田徳川)系
反赤(細川・三好・真田)
*黒田官兵衛は黄の豊臣秀吉系だが息子や家臣が緑の家康・佐々木小次郎系。
また伊達も晴宗の世代などは別。
最上義光の妹の義姫が伊達輝宗の妻で政宗の母。
<無双武将>
02 前田慶次(織田→上杉)
03 織田信長(無宗教と見るのは間違いで
本来の天つ神の血筋で百済人などではない
継体天皇と関係する越前二宮・剣神社の神官の家系。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
にしては戦国の謀略にまみれてはいるが
他の勢力も大半は同じかそれ以上に酷い。
キリシタン大名は「汝の敵をも愛せよ」を守らず
宣教師は武器商人、利休も同類、本願寺は
僧兵という時点で不殺傷戒を破っている。
それを宗教勢力と呼び特別視し「そいつらだけは
どんなに殺人をやらかしてもよく、他は反撃しては
いけない」などというのは不公正、差別、ダブスタ)
12 伊達政宗
13 濃姫(斎藤道三の娘で母は明智一族?
織田信長の妻。その前は土岐頼純の正室
だったという説も。鷺山殿。帰蝶、胡蝶とも)
14 服部半蔵(徳川)
15 森蘭丸(織田。森長可の弟。
乱ないし乱法師。蘭丸というあて字は
後世の印象操作。署名では森成利)
20 徳川家康(大坂の陣など複数の機会で
双子の兄弟や影武者と入れ替わった
可能性が指摘されている。大坂落城後、
家康は略奪強姦を放置した。1万数千の首が飛び、
生き残っても、奴隷狩りに遭った者、数千。
その様子を描いたのが「大坂夏の陣図屏風」
であり、「おきく物語」だ。信長公は京都に入る際
一銭盗んでも死罪とし略奪強姦を禁じた。
家康は逆だ。そんな奴を神君などと
呼ぶのはカルトか、よくて歴史捏造。
当時は連中が軍事力を持っていたので仕方ない面も
あるかと思うが、今は客観的に公正に見るべきかと。
*こうした話は検索にかかりにくくなっており、家康に都合いいように
書かれたもの、書きかえられたサイトばかりが目立つ。
幕末・明治期の長州のペクチョンなどによる
会津などに対する暴虐もひどいが、江戸幕府も
そうした蛮行から始まっている事実を隠してはならないだろう。
信長公が特別に「宗教弾圧」してたかにほざく奴らがいるが
家康も一向一揆を鎮圧してる。しかも自領内で家臣だった者も
反乱軍に加わっている。奈良の興福寺の宗徒の
筒井氏を伊賀に移したのは信長公ではなく秀吉。弟の秀長は
奈良の寺社勢力から特権を奪い商業利益を吸い上げたし
筒井を取り潰したのは家康だ。一説では山崎の戦いで明智に
味方しなかったので明智である天海が憎んだのではないかと。
同じく山崎で加勢しなかった細川にはガラシャの子がいたが。
信長公は本拠地で悪政のために反乱されたのではなく
朝倉などとつるんだ比叡山の僧兵を攻撃したり、
今の大阪城の下に埋もれている大坂城のできる前に
あった石山本願寺を攻めたりしただけ。石山というのは
元は寺ではなく磐座があったからという説あり。
古墳があったとも言われる。
また浄土真宗開祖の親鸞聖人の時代には既に
比叡山の僧など堕落して、下手すると武士などより
欲まみれの俗物である事が知られている。ちなみに
当時、武装したわけでも一揆を起こしたわけでもない
親鸞聖人を弾圧したのは後鳥羽上皇、松虫鈴虫事件)
27 ねね(豊臣秀吉の正室。
浅野長政の妻である「やや」の姉。
もちろん、女忍者ではなかった)
30 前田利家(織田)
33 佐々木小次郎(細川小倉藩の剣術師範だが相性が・・武蔵の逆)
43 福島正則(豊臣秀吉の叔母・松雲院の子)
44 藤堂高虎(浅井→豊臣→徳川)
45 井伊直虎(今川→徳川。井伊直政の養母。いや男という説も)
50 片倉小十郎(伊達)
56 井伊直政(徳川)
<固有武将>
005 最上義光(伊達政宗の母方の祖父。「羽州の狐」「虎将」)
013 宇佐美定満(上杉)
020 井伊直盛(今川。井伊直虎の父)
023 織田長益(織田信秀の十一男、有楽斎・如庵。千利休の弟子)
026 尼子勝久「私を盛り立ててくれる兵らのために!」
031 島津忠長
034 津軽為信(南部から独立。三成の次男・重成を匿って重臣・杉山源吾とした。
三男・信枚の側室は三成の三女で「ねね」の養女・辰姫。
松平康元の娘を正室とするまでは辰姫が正室だった。
津軽の領有を認めてもらえるよう交渉した三成に感謝していたが
旧主君の南部など周囲が東軍のため西軍につけば攻め込まれる
口実を与える事となるため西軍につけず、
しかし三成に報いたかったのではないかと推測されている。
信枚は南光坊天海の弟子となり江戸幕府にとりいる事にも成功)
066 酒井忠次(徳川)
067 鳥居元忠(徳川)
068 榊原康政(徳川)
069 渡辺守綱(徳川)
070 堀秀政(織田。13才までは秀吉の部下だった)
072 安藤守就(斎藤→織田。娘婿が竹中半兵衛)
073 稲葉一鉄(斎藤→織田。斎藤利三の元の主君で春日局の祖父。
また千利休の弟子の牧村利貞の祖父でもある)
075 氏家卜全(斎藤→織田)
076 仙石秀久(斎藤→織田)
083 富田長繁(朝倉)「愉しいなア、戦は…。
天下すべてが敵になればいい…」
084 丹羽長秀(織田)「鬼五郎左の武勇、思い知らせてくれる!」
085 豊臣秀長(秀吉の異父弟。父方は水野氏庶流。
母親が水野氏である家康は遠い親戚にあたる。
秀吉は継父を嫌い家を出たが、秀長は兄への理解もあり、
秀吉が織田家臣である間は仲が良く優れた助手だった。
秀吉が妹を離婚させ家康に嫁がせたり、
秀長の婿養子を廃嫡させたりで関係悪化。
母の死、秀次切腹などより前に死去)
086 蜂須賀小六(美濃と尾張の国境辺りの川並衆。
一説では秀吉の元の主君。秀吉の誘いで織田配下)
087 毛利勝永(豊臣)森から改姓。毛利も当時はモリと読む
088 九鬼嘉隆(弁慶と同じ熊野水軍。北畠→織田。
子孫は丹波綾部と摂津三田の藩主に)
089 織田信雄(本能寺の変後、徳川家康に擁立された)
「予と刃を交える、か。無明、よ」
091 森長可(織田)「鬼武蔵の前に立つんじゃねえ!
死にたくなきゃな」
092 織田信忠「信長の子の肩書きだけで俺と対さば
痛い目を見るぞ」
093 蒲生氏郷(織田)「麒麟児・蒲生氏郷、がむしゃらに突撃する!」
097 小早川秀秋(「ねね」の甥で小早川隆景の婿養子。
旧臣たちは関ヶ原での裏切りを責められたため
仕官先がなかったなどと言われることがあるが、
実際には平岡頼勝は家康に、志賀親次は福島家を経て
細川に仕官している。稲葉正成の後妻は「春日局」福。
家光の乳母となる際に離縁してからも連携は続いてる)
098 滝川一益(織田)「元をたどれば伊賀の忍び、
その手練手管、味わえ!」
(甲賀出身と言われる事が多い。伊勢・志摩という説も)
106 赤井直正(波多野元秀の娘が正室だったが死別、
近衛前久の妹が継室)
107 波多野秀治(丹波。赤井と共に光秀の猛攻に耐えた)
108 山中鹿介(尼子十勇士)
109 尼子晴久
110 黒田長政
111 後藤又兵衛(黒田)
112 母里(モリ)太兵衛(黒田節。酔っ払った福島正則から
大盃の酒を飲みほせば望みの品を与えると
挑発され、名槍「日本号」を入手した。その前の
日本号の持ち主は正親町天皇→足利義昭→信長→秀吉)
114 宇喜多直家「謀聖の戦、存分に堪能されよ…ひっへっへ」
115 宇喜多秀家「秀家の前に立ちはだかるか! たたっ斬る!」
125 一条兼定「高貴なる一条家の出の兼定が、
なぜ直接戦わねばならんのだ…」
<固有姫>
009 大崎殿(最上義光の正室。駒姫の母)
010 駒姫(最上義光の娘。秀吉の養嗣子だった秀次の
側室となるが会う以前に夫と共に刑死)
014 お船(直江景綱の娘。兼続は婿)
「センと戦うのですね…わ、わかりました」
*このセリフ、本当は千姫のだったのでは?
018 藤(佐竹義久の娘で義重の養女。宇都宮国綱の正室)
024 望月千代女(武田。武士の娘が巫女頭になるのは
不自然なので女忍者ではないかという説が1971年から)
033 花姫(松平康親の娘。井伊直政の正室)
034 かな(加藤清正の後室)
035 乙女(本多忠勝の側室で稲姫の母)
038 碓氷姫(酒井忠次の正室)
045 吉乃(生駒家宗の娘で織田信長の側室で信忠・信雄・徳姫の母。
諸説あるが信長の母方の祖父を土田政久とする説に従うなら
その母方の祖父は生駒家広なので、信長が吉乃に母の面影を
見ていたのではないかという説も出てくる。
生駒家は蜂須賀家とも姻戚関係があり、
秀吉は生駒家に居候し情報を織田に送る事で仕官できたという。
なお吉乃というのは武功夜話における名。)
047 於まさ(福島正則の継室)
050 冬(織田信長の娘で蒲生氏郷の正室)
051 徳姫(織田信長の長女で松平信康の正室。
長女は小笠原秀政室、次女は本多忠政室。 )
052 土田御前(織田信秀の継室で信長・信包・お市らの母。
浅井三姉妹の面倒も見ていた)
054 やや(ねねの妹で浅野長政の正室)
055 お通(浄瑠璃の作者と誤伝されて来た。小野正秀の娘で淀殿に仕えたという説、九条稙通に和歌を学び、織田信長や豊臣秀吉に仕えたとする説、近衛信尹に書を習ったという説などがある。娘の宗鑑尼は真田信政の側室 )
056 安(前田家臣・奥村永福の正室)
057 孝蔵主(蒲生氏の家臣・川副勝重の娘。
「ねね」の筆頭上臈=秘書の長。のち徳川秀忠つき上臈。
「ねね」の側近侍女には他に大谷吉継の母・東殿や
小西行長の母マグダレーナなどもいる。)
058 せん(池田恒興の娘で森長可の正室のち中村一氏正室)
059 武姫(蒲生氏郷の養女で南部利直の正室)
062 伊賀マリア(父は筒井順慶?高山右近重友らと共にマニラ配流)
063 渓(大谷吉継の娘、妹とも。真田幸村の正室。
竹林院殿 梅「渓」永春大姉から1字とったこのゲーム上の名)
065 虎(蒲生氏郷の妹で豊臣秀吉の側室)
071 艶(六角義賢の娘で畠山義綱の正室)
072 北の方(宇喜多忠家の娘で富田信高の正室)
073 久芳院(一色義直の娘で藤堂高虎の正室。
ちなみに高虎の側室は長連久の娘)
080 みつ(尼子晴久の正室)
081 光(黒田官兵衛の正室で長政の母)
082 円融院(宇喜多直家の正室で秀家の母)
084 容光院(宇喜多直家の娘で吉川広家の正室)
085 砥石の方(宇喜多直家の父・興家の正室か)
092 紫(九条稙道の娘で十河一存の正室)
094 鶴姫(大内氏が大三島へ侵攻してきた際、鶴姫の大祝家や同じく越智氏に出自する河野氏、村上水軍と共に大内軍を撃退したという。小説「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」より)
095 千代菊(相良義陽の正室)
101 清(大友宗麟の娘で一条兼定の継室)
<東北>
白鳥長久(最上に援軍したり戦ったり。父の義久は
足利義晴の庶子で長久は義輝、義昭らの弟という説も)
志村光安(最上)
楯岡光直(最上)
新発田長敦(上杉)
本庄繁長(上杉)
甘糟景継(上杉)
直江景綱(上杉)
沼田祐光(津軽の軍師)
<関東・中部>
宇都宮国綱
芳賀高定(宇都宮)
塚原卜伝(足利や細川、北畠、上泉信綱などの剣術の師。
一族は秀吉の命で佐竹に滅ぼされた)
岡本禅哲(佐竹)
土岐為頼(里見→北条。里見義堯の正室になった娘・正蓮は離反後も里見側に。
ちなみに明智光秀も源氏土岐家の支流と言われるが)
真田昌輝(幸隆の子で昌幸の兄) *何故か本当に他の真田の逆。
子は家康の子の臣下だが。真田信之は赤グループなのに。
<東海・北陸>
大道寺政繫(北条) *何故か本当に相性が徳川系。
(妻は遠山綱景の娘。子の直繁は秀忠の家臣)
井伊直孝(赤鬼直政の二男)
本多正信(徳川)
石川数正(徳川→小牧長久手のち豊臣。佐久間の
水野讒言について知っていた可能性を指摘する声も。
数正を筆頭とする岡崎衆=信康派より酒井忠次ら
浜松衆の立場が強くなったため等の推測あり)
板倉勝重(徳川)
酒井忠世(徳川)
加藤嘉明(豊臣子飼い衆)
加藤忠明(嘉明の弟)
前田玄以(織田)
織田秀信(織田信長の長男・信忠の子・三法師。3才で擁立されたが・・)
不破光治(斎藤→織田)
竹中重門(半兵衛の長男。豊臣→徳川)
前田利常(利家の庶子で四男)
村井貞勝(織田。本能寺の変で死亡)
蜂須賀家政(小六の子)
浅野長政(織田・豊臣・徳川) *浅井ではない。織田重臣家系でない秀吉にとって重要な縁者。互いの妻が姉妹
堀尾忠氏(父代織田→豊臣・徳川)
池田輝政〔現在の形の姫路城を作らせた人物。
摂津池田氏と同族であることを強調しているが、
不確実でなんら確証もない〕
池田長吉(輝政の弟。長吉の兄)
池田恒興(輝政、長吉、長政らの父。母の養徳院は信長の乳母。
娘たちは森長可、豊臣秀次、浅野幸長、織田勝長らの正室、
養女は織田信時の娘で下間頼龍の正室。
*「織田信長は敵を根絶やしにした」などと書いてるサイトを
見かけるが、ならば何故、下間は生きていて織田と縁組まで
している?根絶やしは毛利が尼子や大内にやった事だろ。
どれだけ不公正な差別主義者・歴史捏造主義者なんだ?)
池田長政(輝政、長吉の弟)
塙(バン)団右衛門(豊臣。塙直政の親類かは不明。
大坂の陣で東軍に夜襲をしかけ戦果をあげた。
旗印の「塙団右衛門」で名を売るなど派手な活躍が
江戸時代の講談で人氣を博した。)
<近畿>
高山重友(高山右近。松永→千利休→肥後小西→加賀前田)
筒井順慶(興福寺一乗院に属する有力宗徒が武士化。
大名であり僧侶でもあった。当時は比叡山と並ぶ僧兵勢力で
はじめは近衛家の子弟が門跡をつとめていたし
近衛尚通の外孫である足利義昭も還俗前に門主をしていた。
長男でない者が僧になるのは、後継者争いを避けつつも、
長男が早世などした場合には還俗して後継者になれるため。
九条家の娘の多加姫が足利義昭の養女として順慶の嫁に。
明智光秀の次男の十次郎を養子にもらった説も)
松倉重信(筒井の右近)
雨森清貞(浅井)
細川興秋(忠興の次男) *本当に他の細川とは反対
<中国>
有馬豊氏(赤松の庶流だが母は京兆家。細川澄元の孫)
尼子経久
立原久綱(尼子)
井上之房(ゆきふさ。黒田)
岡利勝(宇喜多)
<四国>
蜂須賀至鎮(よししげ。家政の子)
<九州>
臼杵鑑速(あきすみ。大友)
なお、他の攻略サイトで「固有武将」に
ふくまれてない武将も、「固有姫」より
上に並んでる場合は「固有武将」と
いう事にさせてもらいました。
*実際には家康は織田の忠臣ではなく
従属的な同盟相手。「絶対に敵対するはずない」
というのは後世の印象操作で・・・実は
本能寺の変に絡んだ連中を大本営が隠している。
故意に・・・歴史捏造してると見るべきかと。
本能寺の変後、織田から甲斐・信濃を奪い
武田の旧臣を配下に加えてる事実が
「公式ストーリー」からは抜け落ちている。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
戦国無双4E 軍馬の値段
攻略サイトは、
新しく出来ても古いのと大差ない事しか
書いてない事が多く、軍馬の値段などは
どこも書いてないようなので、ここで
書いておきますが・・・
(はたして
検索にかかるのかな?
それとも、パクリサイトだったら検索にかかって
元祖のうちは検索にかからないようにされるのかな?
まぁ、それはともかく。)
最もよく見るのは
安い量産馬が 金300、
高めの量産馬が 金600、
安めの固有馬が 金900
中級の固有馬が 金1200
高級な固有馬が 金1500
というパターンではないかと。
で、
栗毛・鹿毛・葦毛の値段には
250 300 350 400 450
というパターンがあり
、
望月・薄黒・百段には
500 600 700 800 900
というパターンがある。
理論的には、
小雲雀・鬼鹿毛・百里黒には
750 900 1050 1200 1350
桜野・三国黒・白雲には
1000 1200 1400 1600 1800
松風には
1500 1800 2100 2400 2700
というパターンがあってもよいのだけど
実際には、松風は1500か1800
しか見ないのではないかと思う。
高い馬は、そもそも領内に馬産地が増えて
値段が下がってる時でないと出ないかも知れない。
値引き交渉では、1割引、2割引、3割引がある。
なので、理論的には5×3=15パターンの値段が
ありそうなのだけれど、これも全部は見てないかなと。
安い量産馬(栗毛・鹿毛・葦毛)
175 200 210 240 245 320 360
高めの量産馬(望月・薄黒・百段)
350 400 420 480 490 560 640 720
安めの固有馬(小雲雀・鬼鹿毛・百里黒)
600 630 720 735 840 960
中級の固有馬(桜野・三国黒・白雲)
700・800・900 840・960・1080 980・1120・1260
最高級の固有馬(松風)
1050・1200・1350 1260・1440・1620
松風の値引きは1200・1260・1440しか実際には見ていないかも。
桜野級の1080、1260も見ない。
小雲雀級に至っては、525とか675になりそうな所だが、全く数値が違う。
難易度を変えたり、引継ぎなしにしたりすると
見ないなと思っていた値段を見る事もあったりするけど。
領内の馬産地が増えても、
季節ごとに変動する。
冬は高く、夏は安いのかも。
任命>武将移動で大名の本拠地を
馬産地に変更すると値段や買える名馬が
変化する事もある。
馬産地:青森岩手、宮城福島、信濃、能登加賀、日向
多分、夏は北の方、
秋は日向とか能登加賀がよさそう。
信濃は牧場が高い所なのか、
秋に他より安いというわけでもなさそう。
戦国無双4E 兵糧の売り買いについて
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
新しく出来ても古いのと大差ない事しか
書いてない事が多く、軍馬の値段などは
どこも書いてないようなので、ここで
書いておきますが・・・
(はたして
検索にかかるのかな?
それとも、パクリサイトだったら検索にかかって
元祖のうちは検索にかからないようにされるのかな?
まぁ、それはともかく。)
最もよく見るのは
安い量産馬が 金300、
高めの量産馬が 金600、
安めの固有馬が 金900
中級の固有馬が 金1200
高級な固有馬が 金1500
というパターンではないかと。
で、
栗毛・鹿毛・葦毛の値段には
250 300 350 400 450
というパターンがあり
、
望月・薄黒・百段には
500 600 700 800 900
というパターンがある。
理論的には、
小雲雀・鬼鹿毛・百里黒には
750 900 1050 1200 1350
桜野・三国黒・白雲には
1000 1200 1400 1600 1800
松風には
1500 1800 2100 2400 2700
というパターンがあってもよいのだけど
実際には、松風は1500か1800
しか見ないのではないかと思う。
高い馬は、そもそも領内に馬産地が増えて
値段が下がってる時でないと出ないかも知れない。
値引き交渉では、1割引、2割引、3割引がある。
なので、理論的には5×3=15パターンの値段が
ありそうなのだけれど、これも全部は見てないかなと。
安い量産馬(栗毛・鹿毛・葦毛)
175 200 210 240 245 320 360
高めの量産馬(望月・薄黒・百段)
350 400 420 480 490 560 640 720
安めの固有馬(小雲雀・鬼鹿毛・百里黒)
600 630 720 735 840 960
中級の固有馬(桜野・三国黒・白雲)
700・800・900 840・960・1080 980・1120・1260
最高級の固有馬(松風)
1050・1200・1350 1260・1440・1620
松風の値引きは1200・1260・1440しか実際には見ていないかも。
桜野級の1080、1260も見ない。
小雲雀級に至っては、525とか675になりそうな所だが、全く数値が違う。
難易度を変えたり、引継ぎなしにしたりすると
見ないなと思っていた値段を見る事もあったりするけど。
領内の馬産地が増えても、
季節ごとに変動する。
冬は高く、夏は安いのかも。
任命>武将移動で大名の本拠地を
馬産地に変更すると値段や買える名馬が
変化する事もある。
馬産地:青森岩手、宮城福島、信濃、能登加賀、日向
多分、夏は北の方、
秋は日向とか能登加賀がよさそう。
信濃は牧場が高い所なのか、
秋に他より安いというわけでもなさそう。
戦国無双4E 兵糧の売り買いについて
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
戦国無双4E 無理は禁物!高難易度での戦い方
戦国無双4 Empiresの話。
兵数で負けていると、どうしようもないゲームです。
難易度「やさしい」「普通」では、
できるだけ少ない兵数差で
攻めるのもよいのですが、
「難しい」「地獄」では、
智謀8以上の軍師が勧めない時は
攻め込まないのが無難です。
(初めのボーナス期間は
勧めなくてもいける事もあるけど。)
また、高難易度では、いろんな武将を
使ってみるというのは、苦しいもの。
三國無双6 Empiresでもそうなのだけど
やはり高難易度でもやれる武器というのは
ある程度決まっている。
三國7Eの場合は、誰でも高難易度でも戦えるけど
これは自分の本来の武器でなくても装備
できるから。だが軽功の旋刃盤のレベル6武器
「秘海碧盤」が最強なのは明らか。
(軽功の次に多い旋風なら、
旋棍のレベル6武器「旋撃棍」。手数が多い上に
敵将の動きを一瞬とめる事もあり反撃されにくい。)
戦国無双4 Empiresでは、速くて手数が多い上
「属性」をフル活用できる藤堂高虎の武器
細剣(レイピア)が最強なのは確実。

細剣に次いで強いのは双剣だが、
速度を上げないと厳しい。

さらに「金剛」属性や「凍牙」属性をつければ
浅井長政の錐鉾:西洋槍(ランス)も強い。
細剣と双剣は初めから凍牙つきなので
「金剛」属性をつければ西洋槍だけでなく
細剣と双剣もさらに強化できる事になる。
北条氏康の武器・仕込杖も、煙幕をはれば
その中では「属性」を活用できるのだけど、
高難易度では厳しい。
また、鍛冶屋を増やして「属性」を使えるように
なるまでは、雑賀孫市の火縄銃、
伊達政宗の二挺拳銃など、
無双奥義で連射ができる武器が強い。

「地獄」で楽に闘うには、
兵数で上まわるだけでなく
細剣と連射できる武器が必要だと思う。

何度もやる内に、武器の弱い武将は
最初の3,4戦くらいでしか使わなくなりました。
序盤でも、瀕死無双奥義で敵をはじきとばし
フルヒットさせられないような武器は駄目。
そういうわけで・・・私の場合、
はじめは火縄銃の武将を使用し
修羅10閃光10攻撃速度10できれば20になったら
細剣で戦い、攻撃速度30以上になったら双剣、
さらに金剛20以上になったら西洋槍もありかな、

という感じでやってます。
*訂正:西洋槍の場合は閃光がなくても金剛があればよいかも。
ただ修羅と閃光を組み合わせると強いのも事実です。
細剣、双剣、西洋槍の3名が宿老
になる頃に「天下統一」となる。
それと、創世演武での配置ですが、
8将勢力ばかりにすると、
ものすごく無理をする事になります。
はじめは全ての城に8将フル配置していたけれど
それでは「難しい」以上は非常に苦しい。過酷。
配置の例をこちらに。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-250.html
次に、陣形の話ですが、
当面は1つしか持ち込めない。
命令数1とか2では、
毎回3以上持ち込んでるようでは
敵との兵数差がなくなってしまう。
それで、1つしか持ち込まない陣形で
有利な状態で戦いたい。
戦闘に入る前に、内政画面でセーブ
しておくのは当然として、どうすれば
陣形で有利にできるか?
陣形で負けていたら即座にやめ
ロードしたら今度は、自軍の将の
配置を変えてみる。
陣形で負けた際に、プレイヤーの操作する
武将の位置だけ変えていたなら、
他にも1名の配置を変えてみる。それでも駄目なら
今度は2名の配置を変えてみる。
配置を変えなければ何度やり直しても負け
なんて事もざらにあるけれど、
配置を変えてけばそのうち勝てます。
オススメは速度系の中級陣形・衝軛(コウヤク)。
攻撃速度も多少上がります。
双刀など、通常攻撃に属性付与できる
武器で戦う場合、
刀鍛冶で攻撃速度10くらいの内は、
攻撃速度が上がるのは大きい。
武器によってはチャージ攻撃を出しにくくなるので
攻撃速度はあまり上げない方がよいのもあるけど
それも低難易度での話で、高難易度では
属性付与武器でないと、瀕死無双奥義でも苦しい。
チャージ攻撃などに属性がつく事もあるけど
通常攻撃が属性で強化されるのとは全然違う。
それと、最高級の陣形を
奉行が提案してくるようになったら
攻撃系でも機動系でも防御系でも
最強陣形1つだけを持ち込む。
敵は、こちらの準備した陣形に
負ける陣形を用意してくるので
こちらが蜂矢だと、車懸りの陣と
最低陣形3つとなります。
「地獄」の場合。(低難易度では
こちらが準備しない限り
最低陣形3つはつかないはず。)
という事は、こちらの用意する陣形が
鋒矢の陣1つだけなら、
最初に何を出されても必ず勝つ、
という事。車懸りだろうが鶴翼だろうが
長蛇だろうが魚鱗だろうが。
下手に機動系の中級陣形も
持ち込んだりすると、敵は
それに負ける防御系の
中級陣形を用意してくるけど
それを最初に出されると
攻撃系最強陣形の蜂矢と
互角になってしまう。
「地獄」で陣形互角は
厳しいのです。優位でないと。
「模擬合戦」で複数の陣形を準備
できるようになっても、最初の陣形で
勝ってないと過酷な事には変わりない。
難易度「地獄」の場合。
そこで、陣形優位で始まるまでやり直し
すべき。最初の陣形で勝てたら、他は
なるべく次の戦闘まで温存した方がよいかと。
持っている陣形や戦場策は内政画面で
STARTを押すと出る「情報」で見れる。
2城16将ではじめ、
敵が7将以下の場合、
最初の陣形だけ勝ってれば
あとは何とかなるはず・・・
どこかでボタンをかけちがえたり
しなければ、ずっと歯車が
噛み合い続けるはず。
結構、際どい、ギリギリの線ですが。
ただし、戦い方があります。
味方本陣に自軍の武将を集めて
敵が来るのを倒してから
敵陣の制圧にかかる
という待ちのやり方は駄目。
陣形で勝っている初めの3分とか
敵が次の陣形を使ってくるまでの
2分そこそこの間に、できるだけ
プレイヤーが敵を倒し、敵陣をとる。
それによって敵の兵数を減らし、
再出撃を減らし、味方の戦意を上げ、
敵の戦意をそぐ事が大切です。
そういうゲームです。
私の場合、このゲームが発売されて
すぐに買ったのではなく、
三國無双7Eをやっている時にふと
戦国無双3Eの続編はどうなってるんだろうと
思って検索してみて、レビューとか
攻略サイトをいろいろ見た後で買ったので
「味方本陣で待機」というやり方を
勧めている人がいるのを読んでいたけれど
そのやり方は間違いだったと氣づいた次第。
そこをわかっていれば、ちゃんとやれば
難易度「地獄」でも6~12分で
戦闘を終わらせる事ができます。
小谷城とか掛川城でも6分も可能。
間に合わなかった場合にやり直すのは面倒だけど。
経過した時間に応じて兵糧を消費でなく
持ち込んだ分だけ消費、足りないと負け
という制度なので、予定より速く終わらせても
何の得もない。おまけに予想はしにくい。
人を選ぶゲームだという評価は
間違っていないと思う。
難易度「地獄」でも、自軍が優勢で
陣形も優位なら、味方は助けにいかなくても
敵将を自分で倒してくれます。
最初の2,3分だけは。その間に
どれだけ自分が敵を倒し敵陣をとるか。
敵陣に入って敵兵を倒し、陣を制圧し
前線を敵本陣に近づけ、あちこち行き来せずとも
1,2ヶ所ふさげば敵将を阻止できる状態に
するのが重要なのです。
敵陣に敵将がいたら
倒せばよいが、倒した数は1でしかない。
敵将を倒しても敵の戦意は下がるけど、
何より兵だろうが将だろうが数多く倒す
事が重要。そういうゲーム。
それと、領内に鍛冶屋が1つでもあれば
早めに修羅10閃光10攻撃速度20に
したいのだけれど、命令数2で
いつ「属性」をつけるのか?
というタイミングが問われるわけですが
16将を4戦くらいで侍大将に昇進させた
直後の夏・秋、くらいかなと。
1551年の夏に、侵攻せず、
全ての兵糧を売って、
秋にできるだけ買う。みたいな。
結構重要な話。
兵糧の売り買いについては、
こちらのリンク先で。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
多少は、時と場合によりますね。
ケースバイケースかなと。
8将以上が侍大将なら
残る8将は後回しでもよいけれど
あまり侍大将ばかりにしても
兵糧が余分に要るし
下の階級の足軽頭と闘っても
そんなには勲功はない。
(だから、敵将の昇進が早い高難易度では
味方の昇進も速くなるんだけど。)
だから、足軽頭どうしでやる
のがよいけれど、早めに8将を
部将まであげないと兵数有利に
ならないような場合もあるかなと。
敵が侍大将ばかりで
各将がMAXの兵数2000で
大名はプラス2000で
8将16000~18000の城
ばかりになった時に、
こちらが同じ侍大将だけで
軍師はプラス1000という点だけ有利
では、兵数1万9000対1万6000の
3000差にできる所しか攻め込めない
という事態になりかねません。
・・・まぁ、7将以下ではじまった勢力は
その後もずっと8将に増える事なく
ずっと7将どまりという事が多いのだけど。
あ、そうだ、敵が1城に5将くらいでは
2戦では侍大将に昇進できない味方
も出てきます。兵数で有利にすべき
だけれど、はじめの3,4戦くらいは
敵が弱くなるボーナスを感じるので
初戦の相手は7将、次は6将くらいを
配置しておくのがよいかと思います。
では、はじめに3将くらいしかいない
勢力を自軍に選んで始める場合はどうなのか?
という話は、こちらで。
創世演武で無理そうな配置を考えてみたが
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
それと、他の攻略サイトを読んだだけでは
分からなかった事なのだけど、
終盤に余裕がでた時に、最高の軍馬
「松風」を買ってみても、
武器の「属性」に馬術50をつけても
馬術の不得意な武将では乗りこなせない。
豪傑型か業師型でないと。
いやまぁ、停止してる馬に近づいて
乗る分にはかまわないのだけど。
走りながら呼んで乗る際は
馬があちらこちらずれて時間を要する。
馬術レベルが低い内は、馬はR1口笛で呼んだ後、
R1を押し続けて自動で乗るのでなく、
とまった所でXで乗る。
私の場合、伊達政宗の武器と
雑賀孫市の武器は豪傑型に
持たせているけれど、終盤は操作しない。
一方、終盤まで使う藤堂高虎の武器と
浅井長政の武器と双剣は
内政型と頑強型の武将に
持たせているけれど、馬術は苦手。
・・・といっても、今更変える氣はない。
これから始めるという方は、
藤堂高虎の武器・細剣を
豪傑型のオリジナル武将に
持たせるようにするとよい
かも知れません。
自分で操作する将限定で。
脇役なら頑強型が無難。
陣形不利の状況などでも。
機動力で空の敵陣をさらうなら中庸や業師。
何で今書くのかと言うと
連休で人が来るかどうか試したいからだよ。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
再び訂正:
何度も陣形を変えても陣形優位にならない場合は
兵数か時間が少なすぎ、もしくは多すぎと判断されてるという事。
誰に? ゲームをつくった方に。
兵数や時間が少なすぎると「もっと増やしなよ」という事で
陣形不利にされてしまう。
兵数や時間が多すぎると、「陣形不利でもいけるでしょ」
とばかりに、陣形不利にされてしまう・・・。
なんだそりゃ、だよ。 陣形や兵糧をつぎこむ意味ないじゃん・・・。
で・・・防御系の初級陣形「鶴翼」で勝てなければ
やめておいた方がよい、です。
鶴翼で勝つという事は、
相手の攻撃系初級陣形「魚鱗」に勝つ
という事。その後は、
相手は「鶴翼」か「長蛇」しか使ってこない。
難易度「地獄」なら両方。
難易度「難しい」なら片方。どちらか一つだけ。
難易度「普通」「やさしい」なら、どちらもない。
こちらが他に陣形を持ち込んでない限り。
結局・・・「模擬合戦」などで、いくつも陣形を持ち込む
必要はないというか、無理をしたくないのなら
むしろ初級陣形1つ、それも鶴翼しか
もちこむべきでない、それで負けるなら兵数・時間を変えるべき、
というゲームのようです。
そんな事、誰も助言してくれないけど。
昔の光栄「三国志」では、ゲーム内で軍師が
いろいろとコツを教えてくれたりするけど。
知らないと、とんでもなく遠回りさせられるよね。
そんな予想するのって無理というか
「たまたま当てずっぽうで当たるかも知れない」だけだし。
真相とは正反対の事を攻略サイトに書いてる奴も放置されてるし。
「模擬合戦」とかを全部使ってみたり
必要なさそうでも「高難易度では必要なのかな?」と
思ったりしてると、実は全然いらなかったりする・・・
「無双武将」どおしの会話とか、要らん所にばかり
余分な演出が入っている。
自分なりの世界をエディットしたくても妨害してくる。
その他は1回目のプレイと何も変わりなかったりする・・・。
序盤は兵数が2000とか3000くらい多ければいけるけど
敵将が部将になる頃には5000以上多くないと難しくなる。
・・・かと思うと、終盤にさしかかっても
敵兵が減ってる時など?5000以上多いと陣形不利に
される事もある・・・。
それで、大名の兵数+2000と軍師の+1000は重要だし、
+1000しても、もともとの階級が低いようだと役に立たない事もある。
いや軍師はあえて低い階級から選んで兵数調整に使う事もあるけど。
相手の兵数が減ってる時に、こちらの武将の数は減らさずに
兵数だけ減らしたい場合とかね。侍大将は当然として、
足軽頭も、こういう時に動員するために残しておいたりもする。
数合わせゲームだったりします。
どおりで・・・「地獄」がきつすぎるという方も多い中で
アクションは苦手だけどやれてるという方もいらっしゃるわけだ・・・。
それも、1551年秋頃からは属性付与武器しか使わなければ、
という話だと思うんだけどね・・・。
敵本陣に1人で突っ込んで不利な戦況を覆せるような
「無双」ではない・・・。真・三國無双7 Empiresとは正反対のつくり。
兵数で負けていると、どうしようもないゲームです。
難易度「やさしい」「普通」では、
できるだけ少ない兵数差で
攻めるのもよいのですが、
「難しい」「地獄」では、
智謀8以上の軍師が勧めない時は
攻め込まないのが無難です。
(初めのボーナス期間は
勧めなくてもいける事もあるけど。)
また、高難易度では、いろんな武将を
使ってみるというのは、苦しいもの。
三國無双6 Empiresでもそうなのだけど
やはり高難易度でもやれる武器というのは
ある程度決まっている。
三國7Eの場合は、誰でも高難易度でも戦えるけど
これは自分の本来の武器でなくても装備
できるから。だが軽功の旋刃盤のレベル6武器
「秘海碧盤」が最強なのは明らか。
(軽功の次に多い旋風なら、
旋棍のレベル6武器「旋撃棍」。手数が多い上に
敵将の動きを一瞬とめる事もあり反撃されにくい。)
戦国無双4 Empiresでは、速くて手数が多い上
「属性」をフル活用できる藤堂高虎の武器
細剣(レイピア)が最強なのは確実。

細剣に次いで強いのは双剣だが、
速度を上げないと厳しい。

さらに「金剛」属性や「凍牙」属性をつければ
浅井長政の錐鉾:西洋槍(ランス)も強い。
細剣と双剣は初めから凍牙つきなので
「金剛」属性をつければ西洋槍だけでなく
細剣と双剣もさらに強化できる事になる。
北条氏康の武器・仕込杖も、煙幕をはれば
その中では「属性」を活用できるのだけど、
高難易度では厳しい。
また、鍛冶屋を増やして「属性」を使えるように
なるまでは、雑賀孫市の火縄銃、
伊達政宗の二挺拳銃など、
無双奥義で連射ができる武器が強い。

「地獄」で楽に闘うには、
兵数で上まわるだけでなく
細剣と連射できる武器が必要だと思う。

何度もやる内に、武器の弱い武将は
最初の3,4戦くらいでしか使わなくなりました。
序盤でも、瀕死無双奥義で敵をはじきとばし
フルヒットさせられないような武器は駄目。
そういうわけで・・・私の場合、
はじめは火縄銃の武将を使用し
修羅10閃光10攻撃速度10できれば20になったら
細剣で戦い、攻撃速度30以上になったら双剣、
さらに金剛20以上になったら西洋槍もありかな、

という感じでやってます。
*訂正:西洋槍の場合は閃光がなくても金剛があればよいかも。
ただ修羅と閃光を組み合わせると強いのも事実です。
細剣、双剣、西洋槍の3名が宿老
になる頃に「天下統一」となる。
それと、創世演武での配置ですが、
8将勢力ばかりにすると、
ものすごく無理をする事になります。
はじめは全ての城に8将フル配置していたけれど
それでは「難しい」以上は非常に苦しい。過酷。
配置の例をこちらに。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-250.html
次に、陣形の話ですが、
当面は1つしか持ち込めない。
命令数1とか2では、
毎回3以上持ち込んでるようでは
敵との兵数差がなくなってしまう。
それで、1つしか持ち込まない陣形で
有利な状態で戦いたい。
戦闘に入る前に、内政画面でセーブ
しておくのは当然として、どうすれば
陣形で有利にできるか?
陣形で負けていたら即座にやめ
ロードしたら今度は、自軍の将の
配置を変えてみる。
陣形で負けた際に、プレイヤーの操作する
武将の位置だけ変えていたなら、
他にも1名の配置を変えてみる。それでも駄目なら
今度は2名の配置を変えてみる。
配置を変えなければ何度やり直しても負け
なんて事もざらにあるけれど、
配置を変えてけばそのうち勝てます。
オススメは速度系の中級陣形・衝軛(コウヤク)。
攻撃速度も多少上がります。
双刀など、通常攻撃に属性付与できる
武器で戦う場合、
刀鍛冶で攻撃速度10くらいの内は、
攻撃速度が上がるのは大きい。
武器によってはチャージ攻撃を出しにくくなるので
攻撃速度はあまり上げない方がよいのもあるけど
それも低難易度での話で、高難易度では
属性付与武器でないと、瀕死無双奥義でも苦しい。
チャージ攻撃などに属性がつく事もあるけど
通常攻撃が属性で強化されるのとは全然違う。
それと、最高級の陣形を
奉行が提案してくるようになったら
攻撃系でも機動系でも防御系でも
最強陣形1つだけを持ち込む。
敵は、こちらの準備した陣形に
負ける陣形を用意してくるので
こちらが蜂矢だと、車懸りの陣と
最低陣形3つとなります。
「地獄」の場合。(低難易度では
こちらが準備しない限り
最低陣形3つはつかないはず。)
という事は、こちらの用意する陣形が
鋒矢の陣1つだけなら、
最初に何を出されても必ず勝つ、
という事。車懸りだろうが鶴翼だろうが
長蛇だろうが魚鱗だろうが。
下手に機動系の中級陣形も
持ち込んだりすると、敵は
それに負ける防御系の
中級陣形を用意してくるけど
それを最初に出されると
攻撃系最強陣形の蜂矢と
互角になってしまう。
「地獄」で陣形互角は
厳しいのです。優位でないと。
「模擬合戦」で複数の陣形を準備
できるようになっても、最初の陣形で
勝ってないと過酷な事には変わりない。
難易度「地獄」の場合。
そこで、陣形優位で始まるまでやり直し
すべき。最初の陣形で勝てたら、他は
なるべく次の戦闘まで温存した方がよいかと。
持っている陣形や戦場策は内政画面で
STARTを押すと出る「情報」で見れる。
2城16将ではじめ、
敵が7将以下の場合、
最初の陣形だけ勝ってれば
あとは何とかなるはず・・・
どこかでボタンをかけちがえたり
しなければ、ずっと歯車が
噛み合い続けるはず。
結構、際どい、ギリギリの線ですが。
ただし、戦い方があります。
味方本陣に自軍の武将を集めて
敵が来るのを倒してから
敵陣の制圧にかかる
という待ちのやり方は駄目。
陣形で勝っている初めの3分とか
敵が次の陣形を使ってくるまでの
2分そこそこの間に、できるだけ
プレイヤーが敵を倒し、敵陣をとる。
それによって敵の兵数を減らし、
再出撃を減らし、味方の戦意を上げ、
敵の戦意をそぐ事が大切です。
そういうゲームです。
私の場合、このゲームが発売されて
すぐに買ったのではなく、
三國無双7Eをやっている時にふと
戦国無双3Eの続編はどうなってるんだろうと
思って検索してみて、レビューとか
攻略サイトをいろいろ見た後で買ったので
「味方本陣で待機」というやり方を
勧めている人がいるのを読んでいたけれど
そのやり方は間違いだったと氣づいた次第。
そこをわかっていれば、ちゃんとやれば
難易度「地獄」でも6~12分で
戦闘を終わらせる事ができます。
小谷城とか掛川城でも6分も可能。
間に合わなかった場合にやり直すのは面倒だけど。
経過した時間に応じて兵糧を消費でなく
持ち込んだ分だけ消費、足りないと負け
という制度なので、予定より速く終わらせても
何の得もない。おまけに予想はしにくい。
人を選ぶゲームだという評価は
間違っていないと思う。
難易度「地獄」でも、自軍が優勢で
陣形も優位なら、味方は助けにいかなくても
敵将を自分で倒してくれます。
最初の2,3分だけは。その間に
どれだけ自分が敵を倒し敵陣をとるか。
敵陣に入って敵兵を倒し、陣を制圧し
前線を敵本陣に近づけ、あちこち行き来せずとも
1,2ヶ所ふさげば敵将を阻止できる状態に
するのが重要なのです。
敵陣に敵将がいたら
倒せばよいが、倒した数は1でしかない。
敵将を倒しても敵の戦意は下がるけど、
何より兵だろうが将だろうが数多く倒す
事が重要。そういうゲーム。
それと、領内に鍛冶屋が1つでもあれば
早めに修羅10閃光10攻撃速度20に
したいのだけれど、命令数2で
いつ「属性」をつけるのか?
というタイミングが問われるわけですが
16将を4戦くらいで侍大将に昇進させた
直後の夏・秋、くらいかなと。
1551年の夏に、侵攻せず、
全ての兵糧を売って、
秋にできるだけ買う。みたいな。
結構重要な話。
兵糧の売り買いについては、
こちらのリンク先で。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
多少は、時と場合によりますね。
ケースバイケースかなと。
8将以上が侍大将なら
残る8将は後回しでもよいけれど
あまり侍大将ばかりにしても
兵糧が余分に要るし
下の階級の足軽頭と闘っても
そんなには勲功はない。
(だから、敵将の昇進が早い高難易度では
味方の昇進も速くなるんだけど。)
だから、足軽頭どうしでやる
のがよいけれど、早めに8将を
部将まであげないと兵数有利に
ならないような場合もあるかなと。
敵が侍大将ばかりで
各将がMAXの兵数2000で
大名はプラス2000で
8将16000~18000の城
ばかりになった時に、
こちらが同じ侍大将だけで
軍師はプラス1000という点だけ有利
では、兵数1万9000対1万6000の
3000差にできる所しか攻め込めない
という事態になりかねません。
・・・まぁ、7将以下ではじまった勢力は
その後もずっと8将に増える事なく
ずっと7将どまりという事が多いのだけど。
あ、そうだ、敵が1城に5将くらいでは
2戦では侍大将に昇進できない味方
も出てきます。兵数で有利にすべき
だけれど、はじめの3,4戦くらいは
敵が弱くなるボーナスを感じるので
初戦の相手は7将、次は6将くらいを
配置しておくのがよいかと思います。
では、はじめに3将くらいしかいない
勢力を自軍に選んで始める場合はどうなのか?
という話は、こちらで。
創世演武で無理そうな配置を考えてみたが
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
それと、他の攻略サイトを読んだだけでは
分からなかった事なのだけど、
終盤に余裕がでた時に、最高の軍馬
「松風」を買ってみても、
武器の「属性」に馬術50をつけても
馬術の不得意な武将では乗りこなせない。
豪傑型か業師型でないと。
いやまぁ、停止してる馬に近づいて
乗る分にはかまわないのだけど。
走りながら呼んで乗る際は
馬があちらこちらずれて時間を要する。
馬術レベルが低い内は、馬はR1口笛で呼んだ後、
R1を押し続けて自動で乗るのでなく、
とまった所でXで乗る。
私の場合、伊達政宗の武器と
雑賀孫市の武器は豪傑型に
持たせているけれど、終盤は操作しない。
一方、終盤まで使う藤堂高虎の武器と
浅井長政の武器と双剣は
内政型と頑強型の武将に
持たせているけれど、馬術は苦手。
・・・といっても、今更変える氣はない。
これから始めるという方は、
藤堂高虎の武器・細剣を
豪傑型のオリジナル武将に
持たせるようにするとよい
かも知れません。
自分で操作する将限定で。
脇役なら頑強型が無難。
陣形不利の状況などでも。
機動力で空の敵陣をさらうなら中庸や業師。
何で今書くのかと言うと
連休で人が来るかどうか試したいからだよ。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
再び訂正:
何度も陣形を変えても陣形優位にならない場合は
兵数か時間が少なすぎ、もしくは多すぎと判断されてるという事。
誰に? ゲームをつくった方に。
兵数や時間が少なすぎると「もっと増やしなよ」という事で
陣形不利にされてしまう。
兵数や時間が多すぎると、「陣形不利でもいけるでしょ」
とばかりに、陣形不利にされてしまう・・・。
なんだそりゃ、だよ。 陣形や兵糧をつぎこむ意味ないじゃん・・・。
で・・・防御系の初級陣形「鶴翼」で勝てなければ
やめておいた方がよい、です。
鶴翼で勝つという事は、
相手の攻撃系初級陣形「魚鱗」に勝つ
という事。その後は、
相手は「鶴翼」か「長蛇」しか使ってこない。
難易度「地獄」なら両方。
難易度「難しい」なら片方。どちらか一つだけ。
難易度「普通」「やさしい」なら、どちらもない。
こちらが他に陣形を持ち込んでない限り。
結局・・・「模擬合戦」などで、いくつも陣形を持ち込む
必要はないというか、無理をしたくないのなら
むしろ初級陣形1つ、それも鶴翼しか
もちこむべきでない、それで負けるなら兵数・時間を変えるべき、
というゲームのようです。
そんな事、誰も助言してくれないけど。
昔の光栄「三国志」では、ゲーム内で軍師が
いろいろとコツを教えてくれたりするけど。
知らないと、とんでもなく遠回りさせられるよね。
そんな予想するのって無理というか
「たまたま当てずっぽうで当たるかも知れない」だけだし。
真相とは正反対の事を攻略サイトに書いてる奴も放置されてるし。
「模擬合戦」とかを全部使ってみたり
必要なさそうでも「高難易度では必要なのかな?」と
思ったりしてると、実は全然いらなかったりする・・・
「無双武将」どおしの会話とか、要らん所にばかり
余分な演出が入っている。
自分なりの世界をエディットしたくても妨害してくる。
その他は1回目のプレイと何も変わりなかったりする・・・。
序盤は兵数が2000とか3000くらい多ければいけるけど
敵将が部将になる頃には5000以上多くないと難しくなる。
・・・かと思うと、終盤にさしかかっても
敵兵が減ってる時など?5000以上多いと陣形不利に
される事もある・・・。
それで、大名の兵数+2000と軍師の+1000は重要だし、
+1000しても、もともとの階級が低いようだと役に立たない事もある。
いや軍師はあえて低い階級から選んで兵数調整に使う事もあるけど。
相手の兵数が減ってる時に、こちらの武将の数は減らさずに
兵数だけ減らしたい場合とかね。侍大将は当然として、
足軽頭も、こういう時に動員するために残しておいたりもする。
数合わせゲームだったりします。
どおりで・・・「地獄」がきつすぎるという方も多い中で
アクションは苦手だけどやれてるという方もいらっしゃるわけだ・・・。
それも、1551年秋頃からは属性付与武器しか使わなければ、
という話だと思うんだけどね・・・。
敵本陣に1人で突っ込んで不利な戦況を覆せるような
「無双」ではない・・・。真・三國無双7 Empiresとは正反対のつくり。
戦国無双4E 創世演武で無理そうな配置を考えてみたが
戦国無双4 Empires は、
兵数で負けていると、
どうにもならないゲーム。
そういうゲームで、一番苦しい配置は
どんなもんだろうと、考えてみた。
まず、自軍は
小早川秀秋1人だけ。
まるで防御などできない。
攻め込まれたらイチコロ。
さらに、
ヘタに飛び地の領土などあると
攻め込まれたら確実に負ける。
名声が200より下がるとなると
命令数1に戻される事になる。
という事で、
思いっきりバラバラの領土を
6ヶ所に持たせてみた。
次に。上限の100将に近い
2大勢力を敵にしてみる事に。
敵勢力の目標なんて
関係するのか、わからないが、
1つは打倒プレイヤー勢力を目標に
1つは天下統一を目標にしてみた。
そして、その周辺には
弱小勢力も配置しておく。
天下統一を目標とする大勢力に
すぐに吸収されてしまうように。
2大敵勢力は、
領民同心・弐を持つ北条と、
一領具足を持つ長宗我部。
(兵数0から回復して再出撃して来る。)
おまけに彼らは
同じ相性グループに属する。
同盟だってするだろう。
*一領具足を持っているのは、ある攻略サイトによると、
香宗我部親泰、長宗我部国親 ・信親・盛親に加えて
吉良親貞もだが、実際には無い!?ようだ。
(ちなみにPS3版でやってます)
*領民同心・弐を持っているのは、同攻略サイトによると、
上杉景虎、北条早雲、北条氏照、北条氏政ら北条一族だけ。
北条の大名は早川殿にするとよいかも。
というのは、捕縛した時のセリフ
「いやー!助けて!お母様!」
を聞きたくないからですが。
次に。
引き継ぎなしで、
「暗殺」がない状態でのスタート。
兵数の不利を補うための謀略が
最初からは使えないという縛り。
((暗殺))を持つ武将は
伊東義祐、遠藤直経、陶晴賢、田鶴、督姫、富田長繁、
みつ、望月千代女、柳生宗厳、義姫の10将と、
自作・オリジナルの策士型武将。
私の場合、1人しか作っていない。
もっとも、「扇動」の方が効果的だけど。
これをやってみて氣づいたんだけど
修羅とか閃光などの「属性」も
誰かが提案してくれるまでは
つける事ができないんだね・・・。
逆に言えば、引き継ぎありの場合
最強武器を引き継げるわけではないけど
修羅10閃光10にすぐできるので
なかば最強武器を引き継いでる
ようなものと言えなくもない、か・・・。
< 東北 >
陸中陸奥(三戸城) 長宗我部
出羽(山形城) 自軍・飛び地1 小早川秀秋
陸前羽前(米沢城) 長宗我部
磐城岩代(黒川城) 弱小A 宇都宮
< 関東 >
常陸(大田城) 北条
上野(宇都宮城) 北条
下野(箕輪城) 北条
武蔵下総(岩村城) 自軍・飛び地2
上総安房(久留里城) 北条
相模伊豆(小田原城) 北条
< 北陸 >
越中越後(春日山城) 北条
能登加賀(七尾城) 弱小B 織田信雄
越前若狭(一乗谷城) 長宗我部
< 中部 >
甲斐(躑躅ヶ崎館) 北条
信濃(高遠城) 自軍・飛び地3
駿河遠江(駿府館) 長宗我部
三河(岡崎城) 長宗我部の首都
尾張伊勢(清州城) 弱小C 北畠
美濃飛騨(稲葉山城) 長宗我部
< 近畿 >
近江伊賀(小谷城) 弱小D 織田秀信(三法師)
山城(二条御所) 長宗我部
大和(多聞山城) 長宗我部
紀伊(雑賀城) 弱小E 柳生
摂津河内(岸和田城) 北条
丹波丹後(八上城) 自軍・飛び地4
播磨但馬(姫路城) 長宗我部
< 四国 >
阿波讃岐(十河城) 北条の首都
東土佐(岡豊城) 弱小F 一条
西土佐(中村城) 北条
伊予(湯築城) 自軍・飛び地5
< 中国 >
備前美作(天神山城) 弱小G 村上
安芸備後(吉田郡山城) 長宗我部
出雲石見(月山富田城) 弱小H 尼子
周防長門(山口館) 弱小I 大内
< 九州 >
筑前筑後(立花山城) 長宗我部
豊前豊後(府内城) 北条
肥前(村中城) 自軍・飛び地6
肥後(人吉城) 長宗我部
日向(佐土原城) 北条
薩摩大隅(内城) 弱小J 小西行長
テスト①
引き継ぎなしだと初めは巡察すらできない。
が、小早川家の旗は商業+15%、名声+5%で、
そこそこ使えるか。
敵は一度配下なしにしてから配置してるので
8将で兵8000の城が多い。
まず丹波に大名(小早川秀秋)を遷す。
テストのため、
2大勢力は名前順とか能力順に並び替えせず
上から無双武将・固有武将を、
弱小は下から汎用武将を配置してるだけ
なので、 自領の在野に三好長慶がいたりして
登用できた!早速、軍師に任命。
夏、どこを攻めるか尋ねられるので
長宗我部の姫路を目標に。
しかし、提案する奉行がいない。
また、引き継ぎなしなので
「交流」の中に「指導」はない。
軍師の智謀を上げる事はできない。
小早川の能力も低いまま。
赤心勧誘の赤松を登用。
ただし奉行に任命できてないので
赤心勧誘などの提案はまだない。
石川数正を登用。
冬、新発田を登用。
51年春、調子のよい赤松を人事に、
赤松と相性の悪い2人は軍備に。
温泉治癒。
ちなみに特産は肥前:陶芸、、伊予:温泉、
丹波:陶芸、信濃:馬、武蔵:なし、秋田:温泉。
夏、領内に自作入れ替えの九戸政実(軍師型)が!
福島宮城の弱小が何故か長宗我部から米沢奪取。
秋、領内に来た自作双剣武将の登用と
ランダム勧誘を人事が提案!
ランダムは宇喜多直家だった!!
よろず屋建設、米買う。
冬、おそらく長宗我部からあぶれたであろう
侍大将の酒井忠次を登用!
秋田が弱小4将に攻め込まれるので
ロードして移動し進行で撃退。
52年夏、自作の軍師型を登用し温泉治癒、
兵糧売り金9750に。
秋、酒井が機動系中級陣形提案!
はじめは低級しか変えないので貴重。
兵糧買う。
山口の弱小が出雲の弱小を制圧。
冬、金徴収の提案!採用。
侍大将の太原雪斎を登用!
53年春、秋田と丹波に将兵を分散させ
またわざと攻め込ませ撃退。
未だ赤心勧誘なし。
人事同士でなく軍師と組ませるか。
だが撃退して兵数の減った敵に
カウンターをくらわせるには
まだ自軍の兵数が足りない。
また、計略居城を建設するには、
一度平城に戻さねばならない。
まだ内応は選択肢にない。
10城ないと中級城はできないし・・・。
夏、智謀9の尼子経久を登用!
・・・もっともまだ指導は選択肢にない。
*防衛武将をあちこち配備しなくても、
そんなに攻め込まれない。特に長崎は。
政略パートが終わったらセーブし、
攻め込まれるならロードして配置を変えれば済む。
・・・にしても、これはきつい。
やはり難易度は普通にすべきかも。
引き継ぎあり=暗殺ありで。
*「難しい」以上では、引き継ぎなしは厳しい。
*ランダムでいろんな武将を赤心勧誘し試してみるなら、
「引き継ぎなし」をやってみるのもある意味新鮮でよいが
難易度は「普通」以下でなければ、
あまりにきつすぎて楽しくないだろう。
*暗殺は死亡なしでもできる。
死なずに下野する。
54年夏、兵糧売りたかったが
計略居城だとよろず屋が消える・・・。
秋、軍師型自作と組ませた田鶴の煽動で
長宗我部の陸奥の兵が1万3000に!
軍師も戦闘可能を認める!
・・・普段は好青年の小早川秀秋が、
戦闘中の指示への返事では声が爺さん化する。
瀕死無双奥義の末、15分ギリギリ。
自分が中級陣2つ持ってたため
敵も4つ使ってくる中、
陣形1つで何とか勝てた。
冬、敵勢力の初期メンバーは部将に。
侍大将で忠誠73の蜂須賀を米沢から引き抜き。
兵数もそのまま!兵ごと引き抜けた。
戦闘で武田信玄、毛利元就、石川五右衛門など
と戦った事で旗獲得!五右衛門の兵数増を活用。
55年春、内政用の足軽頭たちで米沢軍撃退。
夏、侍大将の氏家卜全・榊原康政を登用。
秋、人事が指導を提案!
さらにほぼ部将の侍大将・秋山信友を登用!
長宗我部が近江の弱小から若狭を奪われる。
大名がいないと負ける?
冬、部将の滝川一益と侍大将の鳥居を登用!
*たいした内政もせず6城だが
金・兵糧は意外にいつもと同じ。
戦闘で使ってないから?
軍師の智謀が8でなく9というのも大きいか?
いや、おそらく引き継ぎなしだと
金も兵糧も増えやすいのだろう。
56年春、指導はまだ政治限定。
そこで采配の指導も採用。
夏、やっと智謀を指導の提案あり!
秋、米沢の弱小が北条から常陸を奪う。
そのおこぼれであろう部将の島津義久を登用!
ほぼ部将になりかけてる伊達晴宗も。
冬、米沢郡撃退。
57年春、徴兵2160で兵数整い
米沢にカウンター侵攻!
18分連鎖なし残7分半。
夏、続けて福島宮城へ。
2城の本拠だった。
戦闘数3で、まだ初期ボーナスの
敵が弱くなる補正があるとよいだが。
時間は経っているので、どうだろう。
10城にはなった。
秋、登用しておいた望月千代女が暗殺提案。
死亡なしだが暗殺成功した!
「暗殺」された武将は在野にいるようだ。
自領まで来ないと見れないので分からないが。
扇動で追い打ちかけ、
軍師勧めない中、広島に侵攻。
一応「やや優勢」だが今度は陣形1つも無し。
冬、名声ちょうど500だが
金徴収で下げてでも中級開発居城。
やっと計略も売買もできる。
出雲山口軍撃退。
58年春、山口。
出雲を吉備軍が横取りするので
少々無理して急ぐ。
夏、吉備の今川氏真を望月が暗殺。
部将2名登用。金22046兵糧24697。
吉備に侵攻。
自作豪傑型(火縄銃)が家老に。

秋、今頃になって赤心勧誘。
誰もが足軽頭だったらランダムでもよいが
今となっては部将を選ぶべきだろう。
赤心勧誘では足軽頭4将になるので無し。
出雲に侵攻。
冬、刀鍛冶をやろうとして
開放されてない事に氣付く。
在野に「暗殺」した今川氏真がいる。
自作の豪傑型(武器は前田利家の)と
自作の軍師型を登用。ともに部将。
高級軍備居城にしたいが
まだ14城。中級軍備居城に。
一度計略居城に戻す必要があり、
金6000いる。無駄が大きい・・・。
*開放なし小早川を最後までやってみるなら、
修羅・閃光が必要で、軍備居城でないと
出にくいかも知れない。・・・いや
無用な敏捷などを上げる提案を受けないと、
もっと上級の提案をしてくれないか?
※なんと、同じ兵数・同じ城防御値でも、
中級軍備居城だと撃退し、
中級開発居城だと陥落する事がある!!
かと思ったが、ロードして
再び中級軍備居城にしても負けた!
何か見間違えてたか?
59年冬、自作兵家型が
修羅属性付与の提案!
60年秋、20城ムービー。
大名も軍師も他のランダムも
自作ではないので盛り上がらない。
他勢力よりメンバーのそろうのが遅く、
登用した武将の多くが他勢力で昇進していた者で、
そういう一軍を使いまわさざるをえない状況が
ずっと続くと何の愛着もないというか、
むしろ氣持ち悪く感じているキャラが多いので
おもしろくない。
結局、最初の1ターン目から赤心勧誘が出たとしても
兵数が揃うのは何季も後だし。
捕縛した将の方が能力が高ければ
勲功に差がない限りそちらを使う事になる。
すると、光栄鈴木のゴリ押しするキャラクターを
使う事になりがち。
そういう効率をある程度無視してよいのは、
難易度が低い場合。
ただし引き継ぎなしだと、
やはり能力で選ぶ事になりがちだろう。
60年冬、元2強8城64将の内9将前後が家老に。
自軍は21城70将中4将が家老、
自作豪傑型(武器は火縄銃)は宿老。
これ以上は成長しないが使いまわすべきか。
*敵の意味不明な遷都のため、
やりやすくなっている。
やはり武蔵中心と摂津中心の7城を
2大強敵領にすべきか。
62年冬、計略居城1000、軍備1居城5000、
軍備2居城10000の順に建設。
建て替えの冬を2年見過ごしていたが。
64年春、ようやく名声1507命令数4。
計略値は既に827だが、
引き継ぎなしだと上がりやすいのか?
家老の無双武将だらけの山城で激戦!
敵本拠と隣接してないので大名は来ず、
大名ボーナスの兵数+2000は無いのだが。
いい加減に閃光と攻撃速度を出してほしい。
いまだに瀕死無双奥義。
残り6城から5城になる所で上洛エンディングは良い。
京都馬並べ・正倉院蘭奢待ムービーも出て
名声が50ずつあがるが、
命令数増加につながらないだろう。
名声3000は遠いので。
秋、岐阜をとると敵は尾張から三河に遷都。
冬、雑賀孫市が勲功増大・参を提案。
宿敵となった前田慶次が兵数減のまま出てくるのも大きい。
自作豪傑型(武器は前田利家)の騎乗攻撃は
そこそこ属性つく。

65年夏、登用しなかったり応じなかったりで
敵に残ったのは長宗我部国親、お市、
阿国、織田信長、真田信之、
徳川家康、本多忠勝、前田慶次。
最後まで扇動を活用した。
家老以上になったのは10将のみ。
1軍8将と、その内の誰かが昇進した際に
兵数MAXになるまで休ませるための
補欠2名といった所。
あまりに苦しかったので
このシナリオ開始時のセーブデータは
保存せずに没にしました。
まぁ、弱小勢力でも
何とかなる事はなる補正がある
事は分かったのだけど。
補正のさじ加減が分からないので
やってみないと分からないよね。
はじめから1城に1将ずつの6将にして
その内1名は軍師型、3名を中庸型に
すれば、飛び地から赤心勧誘で
ランダムにいろんな武将を登用し
試せるシナリオとなる。
※赤心勧誘では、自作武将がいれば
自作から順に2将勧誘する。
自作の中庸型がやる場合だけでなく、
汎用武将がやっても。
奉行の提案が勧誘と赤心勧誘のセットだと自作3将、
登用と赤心勧誘のセットだと自作1、高能力3将。
((赤心勧誘))を持つ武将
赤松義祐、朝倉宗滴、蘆名盛隆、尼子勝久、
安藤守就、井伊直盛、石川数正、氏家定直、
臼杵鑑速、円融院、織田信雄、お通、鬼庭綱元、
おりん、北信愛、吉川広家、斎藤利三、佐竹義昭、
真田昌輝、新発田長敦、島津忠長、下間頼廉、
扇、長宗我部国親、筒井順慶、直江景綱、
成富茂安、芳賀高定、波多野秀治、初、熙子、藤、
北条幻庵、北条早雲、摩阿、前田玄以、前田利常、
松倉重信、松平信康、三好長治、三好義賢、
簗田晴助、山本勘助、結城晴朝、容光院、吉田孝頼
引き継ぎなしの場合は特に、
配下に誰がいるかで
選択できる行動が違ってくるので
武将の個性を把握する事になる。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
創世演武 シナリオ・エディット
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
兵数で負けていると、
どうにもならないゲーム。
そういうゲームで、一番苦しい配置は
どんなもんだろうと、考えてみた。
まず、自軍は
小早川秀秋1人だけ。
まるで防御などできない。
攻め込まれたらイチコロ。
さらに、
ヘタに飛び地の領土などあると
攻め込まれたら確実に負ける。
名声が200より下がるとなると
命令数1に戻される事になる。
という事で、
思いっきりバラバラの領土を
6ヶ所に持たせてみた。
次に。上限の100将に近い
2大勢力を敵にしてみる事に。
敵勢力の目標なんて
関係するのか、わからないが、
1つは打倒プレイヤー勢力を目標に
1つは天下統一を目標にしてみた。
そして、その周辺には
弱小勢力も配置しておく。
天下統一を目標とする大勢力に
すぐに吸収されてしまうように。
2大敵勢力は、
領民同心・弐を持つ北条と、
一領具足を持つ長宗我部。
(兵数0から回復して再出撃して来る。)
おまけに彼らは
同じ相性グループに属する。
同盟だってするだろう。
*一領具足を持っているのは、ある攻略サイトによると、
香宗我部親泰、長宗我部国親 ・信親・盛親に加えて
吉良親貞もだが、実際には無い!?ようだ。
(ちなみにPS3版でやってます)
*領民同心・弐を持っているのは、同攻略サイトによると、
上杉景虎、北条早雲、北条氏照、北条氏政ら北条一族だけ。
北条の大名は早川殿にするとよいかも。
というのは、捕縛した時のセリフ
「いやー!助けて!お母様!」
を聞きたくないからですが。
次に。
引き継ぎなしで、
「暗殺」がない状態でのスタート。
兵数の不利を補うための謀略が
最初からは使えないという縛り。
((暗殺))を持つ武将は
伊東義祐、遠藤直経、陶晴賢、田鶴、督姫、富田長繁、
みつ、望月千代女、柳生宗厳、義姫の10将と、
自作・オリジナルの策士型武将。
私の場合、1人しか作っていない。
もっとも、「扇動」の方が効果的だけど。
これをやってみて氣づいたんだけど
修羅とか閃光などの「属性」も
誰かが提案してくれるまでは
つける事ができないんだね・・・。
逆に言えば、引き継ぎありの場合
最強武器を引き継げるわけではないけど
修羅10閃光10にすぐできるので
なかば最強武器を引き継いでる
ようなものと言えなくもない、か・・・。
< 東北 >
陸中陸奥(三戸城) 長宗我部
出羽(山形城) 自軍・飛び地1 小早川秀秋
陸前羽前(米沢城) 長宗我部
磐城岩代(黒川城) 弱小A 宇都宮
< 関東 >
常陸(大田城) 北条
上野(宇都宮城) 北条
下野(箕輪城) 北条
武蔵下総(岩村城) 自軍・飛び地2
上総安房(久留里城) 北条
相模伊豆(小田原城) 北条
< 北陸 >
越中越後(春日山城) 北条
能登加賀(七尾城) 弱小B 織田信雄
越前若狭(一乗谷城) 長宗我部
< 中部 >
甲斐(躑躅ヶ崎館) 北条
信濃(高遠城) 自軍・飛び地3
駿河遠江(駿府館) 長宗我部
三河(岡崎城) 長宗我部の首都
尾張伊勢(清州城) 弱小C 北畠
美濃飛騨(稲葉山城) 長宗我部
< 近畿 >
近江伊賀(小谷城) 弱小D 織田秀信(三法師)
山城(二条御所) 長宗我部
大和(多聞山城) 長宗我部
紀伊(雑賀城) 弱小E 柳生
摂津河内(岸和田城) 北条
丹波丹後(八上城) 自軍・飛び地4
播磨但馬(姫路城) 長宗我部
< 四国 >
阿波讃岐(十河城) 北条の首都
東土佐(岡豊城) 弱小F 一条
西土佐(中村城) 北条
伊予(湯築城) 自軍・飛び地5
< 中国 >
備前美作(天神山城) 弱小G 村上
安芸備後(吉田郡山城) 長宗我部
出雲石見(月山富田城) 弱小H 尼子
周防長門(山口館) 弱小I 大内
< 九州 >
筑前筑後(立花山城) 長宗我部
豊前豊後(府内城) 北条
肥前(村中城) 自軍・飛び地6
肥後(人吉城) 長宗我部
日向(佐土原城) 北条
薩摩大隅(内城) 弱小J 小西行長
テスト①
引き継ぎなしだと初めは巡察すらできない。
が、小早川家の旗は商業+15%、名声+5%で、
そこそこ使えるか。
敵は一度配下なしにしてから配置してるので
8将で兵8000の城が多い。
まず丹波に大名(小早川秀秋)を遷す。
テストのため、
2大勢力は名前順とか能力順に並び替えせず
上から無双武将・固有武将を、
弱小は下から汎用武将を配置してるだけ
なので、 自領の在野に三好長慶がいたりして
登用できた!早速、軍師に任命。
夏、どこを攻めるか尋ねられるので
長宗我部の姫路を目標に。
しかし、提案する奉行がいない。
また、引き継ぎなしなので
「交流」の中に「指導」はない。
軍師の智謀を上げる事はできない。
小早川の能力も低いまま。
赤心勧誘の赤松を登用。
ただし奉行に任命できてないので
赤心勧誘などの提案はまだない。
石川数正を登用。
冬、新発田を登用。
51年春、調子のよい赤松を人事に、
赤松と相性の悪い2人は軍備に。
温泉治癒。
ちなみに特産は肥前:陶芸、、伊予:温泉、
丹波:陶芸、信濃:馬、武蔵:なし、秋田:温泉。
夏、領内に自作入れ替えの九戸政実(軍師型)が!
福島宮城の弱小が何故か長宗我部から米沢奪取。
秋、領内に来た自作双剣武将の登用と
ランダム勧誘を人事が提案!
ランダムは宇喜多直家だった!!
よろず屋建設、米買う。
冬、おそらく長宗我部からあぶれたであろう
侍大将の酒井忠次を登用!
秋田が弱小4将に攻め込まれるので
ロードして移動し進行で撃退。
52年夏、自作の軍師型を登用し温泉治癒、
兵糧売り金9750に。
秋、酒井が機動系中級陣形提案!
はじめは低級しか変えないので貴重。
兵糧買う。
山口の弱小が出雲の弱小を制圧。
冬、金徴収の提案!採用。
侍大将の太原雪斎を登用!
53年春、秋田と丹波に将兵を分散させ
またわざと攻め込ませ撃退。
未だ赤心勧誘なし。
人事同士でなく軍師と組ませるか。
だが撃退して兵数の減った敵に
カウンターをくらわせるには
まだ自軍の兵数が足りない。
また、計略居城を建設するには、
一度平城に戻さねばならない。
まだ内応は選択肢にない。
10城ないと中級城はできないし・・・。
夏、智謀9の尼子経久を登用!
・・・もっともまだ指導は選択肢にない。
*防衛武将をあちこち配備しなくても、
そんなに攻め込まれない。特に長崎は。
政略パートが終わったらセーブし、
攻め込まれるならロードして配置を変えれば済む。
・・・にしても、これはきつい。
やはり難易度は普通にすべきかも。
引き継ぎあり=暗殺ありで。
*「難しい」以上では、引き継ぎなしは厳しい。
*ランダムでいろんな武将を赤心勧誘し試してみるなら、
「引き継ぎなし」をやってみるのもある意味新鮮でよいが
難易度は「普通」以下でなければ、
あまりにきつすぎて楽しくないだろう。
*暗殺は死亡なしでもできる。
死なずに下野する。
54年夏、兵糧売りたかったが
計略居城だとよろず屋が消える・・・。
秋、軍師型自作と組ませた田鶴の煽動で
長宗我部の陸奥の兵が1万3000に!
軍師も戦闘可能を認める!
・・・普段は好青年の小早川秀秋が、
戦闘中の指示への返事では声が爺さん化する。
瀕死無双奥義の末、15分ギリギリ。
自分が中級陣2つ持ってたため
敵も4つ使ってくる中、
陣形1つで何とか勝てた。
冬、敵勢力の初期メンバーは部将に。
侍大将で忠誠73の蜂須賀を米沢から引き抜き。
兵数もそのまま!兵ごと引き抜けた。
戦闘で武田信玄、毛利元就、石川五右衛門など
と戦った事で旗獲得!五右衛門の兵数増を活用。
55年春、内政用の足軽頭たちで米沢軍撃退。
夏、侍大将の氏家卜全・榊原康政を登用。
秋、人事が指導を提案!
さらにほぼ部将の侍大将・秋山信友を登用!
長宗我部が近江の弱小から若狭を奪われる。
大名がいないと負ける?
冬、部将の滝川一益と侍大将の鳥居を登用!
*たいした内政もせず6城だが
金・兵糧は意外にいつもと同じ。
戦闘で使ってないから?
軍師の智謀が8でなく9というのも大きいか?
いや、おそらく引き継ぎなしだと
金も兵糧も増えやすいのだろう。
56年春、指導はまだ政治限定。
そこで采配の指導も採用。
夏、やっと智謀を指導の提案あり!
秋、米沢の弱小が北条から常陸を奪う。
そのおこぼれであろう部将の島津義久を登用!
ほぼ部将になりかけてる伊達晴宗も。
冬、米沢郡撃退。
57年春、徴兵2160で兵数整い
米沢にカウンター侵攻!
18分連鎖なし残7分半。
夏、続けて福島宮城へ。
2城の本拠だった。
戦闘数3で、まだ初期ボーナスの
敵が弱くなる補正があるとよいだが。
時間は経っているので、どうだろう。
10城にはなった。
秋、登用しておいた望月千代女が暗殺提案。
死亡なしだが暗殺成功した!
「暗殺」された武将は在野にいるようだ。
自領まで来ないと見れないので分からないが。
扇動で追い打ちかけ、
軍師勧めない中、広島に侵攻。
一応「やや優勢」だが今度は陣形1つも無し。
冬、名声ちょうど500だが
金徴収で下げてでも中級開発居城。
やっと計略も売買もできる。
出雲山口軍撃退。
58年春、山口。
出雲を吉備軍が横取りするので
少々無理して急ぐ。
夏、吉備の今川氏真を望月が暗殺。
部将2名登用。金22046兵糧24697。
吉備に侵攻。
自作豪傑型(火縄銃)が家老に。

秋、今頃になって赤心勧誘。
誰もが足軽頭だったらランダムでもよいが
今となっては部将を選ぶべきだろう。
赤心勧誘では足軽頭4将になるので無し。
出雲に侵攻。
冬、刀鍛冶をやろうとして
開放されてない事に氣付く。
在野に「暗殺」した今川氏真がいる。
自作の豪傑型(武器は前田利家の)と
自作の軍師型を登用。ともに部将。
高級軍備居城にしたいが
まだ14城。中級軍備居城に。
一度計略居城に戻す必要があり、
金6000いる。無駄が大きい・・・。
*開放なし小早川を最後までやってみるなら、
修羅・閃光が必要で、軍備居城でないと
出にくいかも知れない。・・・いや
無用な敏捷などを上げる提案を受けないと、
もっと上級の提案をしてくれないか?
※なんと、同じ兵数・同じ城防御値でも、
中級軍備居城だと撃退し、
中級開発居城だと陥落する事がある!!
かと思ったが、ロードして
再び中級軍備居城にしても負けた!
何か見間違えてたか?
59年冬、自作兵家型が
修羅属性付与の提案!
60年秋、20城ムービー。
大名も軍師も他のランダムも
自作ではないので盛り上がらない。
他勢力よりメンバーのそろうのが遅く、
登用した武将の多くが他勢力で昇進していた者で、
そういう一軍を使いまわさざるをえない状況が
ずっと続くと何の愛着もないというか、
むしろ氣持ち悪く感じているキャラが多いので
おもしろくない。
結局、最初の1ターン目から赤心勧誘が出たとしても
兵数が揃うのは何季も後だし。
捕縛した将の方が能力が高ければ
勲功に差がない限りそちらを使う事になる。
すると、光栄鈴木のゴリ押しするキャラクターを
使う事になりがち。
そういう効率をある程度無視してよいのは、
難易度が低い場合。
ただし引き継ぎなしだと、
やはり能力で選ぶ事になりがちだろう。
60年冬、元2強8城64将の内9将前後が家老に。
自軍は21城70将中4将が家老、
自作豪傑型(武器は火縄銃)は宿老。
これ以上は成長しないが使いまわすべきか。
*敵の意味不明な遷都のため、
やりやすくなっている。
やはり武蔵中心と摂津中心の7城を
2大強敵領にすべきか。
62年冬、計略居城1000、軍備1居城5000、
軍備2居城10000の順に建設。
建て替えの冬を2年見過ごしていたが。
64年春、ようやく名声1507命令数4。
計略値は既に827だが、
引き継ぎなしだと上がりやすいのか?
家老の無双武将だらけの山城で激戦!
敵本拠と隣接してないので大名は来ず、
大名ボーナスの兵数+2000は無いのだが。
いい加減に閃光と攻撃速度を出してほしい。
いまだに瀕死無双奥義。
残り6城から5城になる所で上洛エンディングは良い。
京都馬並べ・正倉院蘭奢待ムービーも出て
名声が50ずつあがるが、
命令数増加につながらないだろう。
名声3000は遠いので。
秋、岐阜をとると敵は尾張から三河に遷都。
冬、雑賀孫市が勲功増大・参を提案。
宿敵となった前田慶次が兵数減のまま出てくるのも大きい。
自作豪傑型(武器は前田利家)の騎乗攻撃は
そこそこ属性つく。

65年夏、登用しなかったり応じなかったりで
敵に残ったのは長宗我部国親、お市、
阿国、織田信長、真田信之、
徳川家康、本多忠勝、前田慶次。
最後まで扇動を活用した。
家老以上になったのは10将のみ。
1軍8将と、その内の誰かが昇進した際に
兵数MAXになるまで休ませるための
補欠2名といった所。
あまりに苦しかったので
このシナリオ開始時のセーブデータは
保存せずに没にしました。
まぁ、弱小勢力でも
何とかなる事はなる補正がある
事は分かったのだけど。
補正のさじ加減が分からないので
やってみないと分からないよね。
はじめから1城に1将ずつの6将にして
その内1名は軍師型、3名を中庸型に
すれば、飛び地から赤心勧誘で
ランダムにいろんな武将を登用し
試せるシナリオとなる。
※赤心勧誘では、自作武将がいれば
自作から順に2将勧誘する。
自作の中庸型がやる場合だけでなく、
汎用武将がやっても。
奉行の提案が勧誘と赤心勧誘のセットだと自作3将、
登用と赤心勧誘のセットだと自作1、高能力3将。
((赤心勧誘))を持つ武将
赤松義祐、朝倉宗滴、蘆名盛隆、尼子勝久、
安藤守就、井伊直盛、石川数正、氏家定直、
臼杵鑑速、円融院、織田信雄、お通、鬼庭綱元、
おりん、北信愛、吉川広家、斎藤利三、佐竹義昭、
真田昌輝、新発田長敦、島津忠長、下間頼廉、
扇、長宗我部国親、筒井順慶、直江景綱、
成富茂安、芳賀高定、波多野秀治、初、熙子、藤、
北条幻庵、北条早雲、摩阿、前田玄以、前田利常、
松倉重信、松平信康、三好長治、三好義賢、
簗田晴助、山本勘助、結城晴朝、容光院、吉田孝頼
引き継ぎなしの場合は特に、
配下に誰がいるかで
選択できる行動が違ってくるので
武将の個性を把握する事になる。
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
創世演武 シナリオ・エディット
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
戦国無双4E 創世演武での無理のない配置の例
戦国無双4 Empiresというのは、
兵数で負けてると、どうにもならないゲーム。
そこで、創世演武での敵の配置ですが、
8将勢力ばかりにすると、
ものすごく無理をする事になります。
はじめは全ての城に8将フル配置していたけれど
それでは「難しい」以上は非常に苦しい。過酷。
当面、兵数差3000以上を目安にすべき。
1550年春は自軍が8将なら兵11000くらい、
敵は8将でも8000くらいだけど、夏、秋、冬と
進むにつれ差がなくなってくる。
そのため、7将以下の勢力がないときつい。
全ての城に8将フル配置はやめました。
こんな感じ・・・
(城名は関ヶ原時代のになってますが、
実際はデフォルトの桶狭間で空白から配置。)
赤は相性グループ真田系が中心、
青は相性グループ明智系が中心、
緑は相性グループ家康系と秀吉系が中心
にしています。
< 東北 >
陸中陸奥(堀越城) 伊東義祐、一条兼定、阿喜多
出羽(山形城) 甲斐宗運、於京、相良義陽、千代菊、丸目長恵
陸前羽前(米沢城) 里見義堯、伊東一刀斎、里見義頼、里見義弘、里見民部、塚原卜伝
磐城岩代(若松城) 早川殿⑤ 上杉景虎、大友義統、斎藤利三、十河存保、高橋紹運、徳川秀忠、北条氏照、北条綱成
< 関東 >
常陸(大田城) 早川殿① 早川殿、明智光秀、今川義元、お市、ガラシャ、長宗我部元親、風魔小太郎、柳生宗矩
上野(宇都宮城) 早川殿③ 石川五右衛門、小少将、柴崎和泉守、柴田勝家、立花誾千代、北条氏政、北条氏康、北条氏邦
下野(沼田城) 宇都宮広綱、那須資胤、英、藤
武蔵下総(江戸城) 早川殿② 明智秀満、朝比奈泰朝、今川氏真、岡部元信、太原雪斎、成田長親、福、結城秀康
上総安房(大多賀城) 斎藤義龍、安藤守就、稲葉一鉄、氏家卜全、可児才蔵、仙石秀久、日根野弘就
相模伊豆(小田原城) 畠山義綱、京極マリア、艶、初、淀殿、六角義賢
< 北陸 >
越中越後(春日山城) 浅井長政、朝倉義景、磯野長昌、遠藤直経、富田長繁、真柄直澄、真柄直隆
能登加賀(金沢城) 自作7将を敵勢力に。
越前若狭(敦賀城) 自作7将を敵勢力に。
< 中部 >
甲斐(甲府城) 早川殿④ 足利義輝、大友宗麟、小野鎮幸、酒巻靭負、立花道雪、長宗我部信親、細川忠興、由布惟信
信濃(上田城) 小早川② 斎藤龍興、真田信之、陶晴賢、武田勝頼、武田信廉、竹中半兵衛、弘中隆包、毛利元就
駿河遠江(掛川城) 小早川① 小早川隆景、石田三成、阿国、くのいち、雑賀孫市、島左近、武田信玄、宮本武蔵
三河(吉田城) 小早川③ 高坂昌信、真田昌幸、真田幸隆、内藤昌豊、馬場信房、村上義清、柳生宗厳、山県昌景
尾張伊勢(清州城) 小早川⑤ うた(三成妻で山手殿姉妹)、清水宗治、武田信虎、細川藤孝、三好義継、三好政康、三好長慶、村上武吉
美濃飛騨(岐阜城) 小早川④ 秋山信友、足利義昭、吉川元春、小早川秀秋、武田信繁、毛利隆元、毛利輝元、山本勘助
< 近畿 >
近江伊賀(佐和山城) 宇喜多直家、宇喜多秀家、円融院、北の方、砥石の方、モニカ、容光院
大和(筒井城) 赤井直正、一色藤長、北畠長政、田鶴、筒井順慶、波多野秀治
紀伊(和歌山城) 自作7将を敵勢力に。
摂津河内(大坂城) 鍋島直茂、江里口信常、円城寺信胤、木下昌直、彦鶴姫、百武賢兼、龍造寺隆信
山城(二条城) 自作7将を敵勢力に。
丹波丹後(宮津城) 自軍② 直江兼続、井伊直政、井伊直虎、稲姫、大谷吉継、加藤清正、本多忠勝、松永久秀
播磨但馬(姫路城) 津軽為信、戌、北信愛、武姫、南部晴政、八戸政栄、緑
< 中国 >
備前美作(岡山城) 自軍① 細剣の大名、火縄銃の将、甲斐姫、真田幸村、島津豊久、立花宗茂、濃姫、福島正則
安芸備後(広島城) 尼子経久、尼子晴久、尼子勝久、浦上宗景、みつ、山中鹿介
出雲石見(月山富田) 佐竹義昭、太田資正、佐竹義宣、佐竹義重、藤代御前、芳
周防長門(高嶺城) 最上義光、大崎殿、駒姫、志村光安、戸沢盛安、最上義守、義姫
< 四国 >
阿波讃岐(徳島城) 大内義長、桐、河野通直、河野通宣、西園寺公広、鶴姫、村上通康
東土佐(浦戸城) 井伊直盛、甘糟景継、上杉憲政、お船、織田秀信、鬼庭綱元、直江景綱
西土佐(中村城) 蘆名盛氏、蘆名盛隆、猪苗代盛国、小百合姫、二本松義継、花、彦姫
伊予(宇和島城) 道三⑥ 荒木村重、小川祐忠、黒田長政、後藤又兵衛、島津家久、島津歳久、島津義久、母里太兵衛
< 九州 >
肥前(佐賀城) 道三⑦ 織田信忠、織田信雄、蒲生氏郷、木村重成、小西行長、滝川一益、森長可、山内一豊
筑前筑後(柳川城) 道三④ 九鬼嘉隆、榊原康政、豊臣秀長、丹羽長秀、蜂須賀小六、堀秀政、毛利勝永、渡辺守綱
豊前豊後(中津城) 道三③ 柿崎景家、片倉重長、上泉信綱、酒井忠次、伊達成実、伊達晴宗、鳥居元忠、長野業正、
日向(佐土原城) 道三① 斎藤道三、上杉謙信、織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉、服部半蔵、前田慶次、森蘭丸
肥後(隈本城) 道三② 有馬晴信、上杉景勝、宇佐美定満、織田長益、片倉小十郎、島津忠長、伊達輝宗、豊臣秀頼
薩摩大隅(内城) 道三⑤ 綾御前、黒田官兵衛、佐々木小次郎、島津義弘、藤堂高虎、徳川家康、ねね、前田利家
私の場合、自作武将は30名いて、
その中で最強の2名を自勢力で操作すると
残る28名を4勢力に分け7将ずつ配置となるわけで。
自勢力に入れた無双武将は、
特に大名など目上の将への賛辞が
おもしろいなと思う武将。
私の場合、オリジナル武将を作る際、
浅井長政を大名に、敵大名を信長公にして
姉川の戦いのイベント戦でテストしてるので
目下・同僚に対する賛辞は何度も聞いている。
今になって新鮮なのは目上への賛辞というわけ。
台詞集_敵将撃破称賛 - 戦国無双4シリーズ
https://w.atwiki.jp/sengoku4/pages/141.html
親友になれば、さらに別の誉め言葉が。
https://w.atwiki.jp/sengoku4/pages/254.html
*武田勝頼のセリフは「真田丸」とは違う。
大名への賛辞が「見事なお働き…心強いです!」
ではなく
「その武勇、あやかりたい!」だった。
これは汎用武将(熱血)のセリフでしかない。
自勢力を2城16将にしているのは初めの城が
2以下だと楽になる補正を感じるからです。
3以上だと厳しくなるように感じる。
「争覇演武」の既成シナリオで
「おすすめ」になっている勢力の中に
4城以上の最大勢力などは入ってないですよね?
無理は禁物!高難易度での戦い方
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
創世演武 シナリオ・エディット
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
兵数で負けてると、どうにもならないゲーム。
そこで、創世演武での敵の配置ですが、
8将勢力ばかりにすると、
ものすごく無理をする事になります。
はじめは全ての城に8将フル配置していたけれど
それでは「難しい」以上は非常に苦しい。過酷。
当面、兵数差3000以上を目安にすべき。
1550年春は自軍が8将なら兵11000くらい、
敵は8将でも8000くらいだけど、夏、秋、冬と
進むにつれ差がなくなってくる。
そのため、7将以下の勢力がないときつい。
全ての城に8将フル配置はやめました。
こんな感じ・・・
(城名は関ヶ原時代のになってますが、
実際はデフォルトの桶狭間で空白から配置。)
赤は相性グループ真田系が中心、
青は相性グループ明智系が中心、
緑は相性グループ家康系と秀吉系が中心
にしています。
< 東北 >
陸中陸奥(堀越城) 伊東義祐、一条兼定、阿喜多
出羽(山形城) 甲斐宗運、於京、相良義陽、千代菊、丸目長恵
陸前羽前(米沢城) 里見義堯、伊東一刀斎、里見義頼、里見義弘、里見民部、塚原卜伝
磐城岩代(若松城) 早川殿⑤ 上杉景虎、大友義統、斎藤利三、十河存保、高橋紹運、徳川秀忠、北条氏照、北条綱成
< 関東 >
常陸(大田城) 早川殿① 早川殿、明智光秀、今川義元、お市、ガラシャ、長宗我部元親、風魔小太郎、柳生宗矩
上野(宇都宮城) 早川殿③ 石川五右衛門、小少将、柴崎和泉守、柴田勝家、立花誾千代、北条氏政、北条氏康、北条氏邦
下野(沼田城) 宇都宮広綱、那須資胤、英、藤
武蔵下総(江戸城) 早川殿② 明智秀満、朝比奈泰朝、今川氏真、岡部元信、太原雪斎、成田長親、福、結城秀康
上総安房(大多賀城) 斎藤義龍、安藤守就、稲葉一鉄、氏家卜全、可児才蔵、仙石秀久、日根野弘就
相模伊豆(小田原城) 畠山義綱、京極マリア、艶、初、淀殿、六角義賢
< 北陸 >
越中越後(春日山城) 浅井長政、朝倉義景、磯野長昌、遠藤直経、富田長繁、真柄直澄、真柄直隆
能登加賀(金沢城) 自作7将を敵勢力に。
越前若狭(敦賀城) 自作7将を敵勢力に。
< 中部 >
甲斐(甲府城) 早川殿④ 足利義輝、大友宗麟、小野鎮幸、酒巻靭負、立花道雪、長宗我部信親、細川忠興、由布惟信
信濃(上田城) 小早川② 斎藤龍興、真田信之、陶晴賢、武田勝頼、武田信廉、竹中半兵衛、弘中隆包、毛利元就
駿河遠江(掛川城) 小早川① 小早川隆景、石田三成、阿国、くのいち、雑賀孫市、島左近、武田信玄、宮本武蔵
三河(吉田城) 小早川③ 高坂昌信、真田昌幸、真田幸隆、内藤昌豊、馬場信房、村上義清、柳生宗厳、山県昌景
尾張伊勢(清州城) 小早川⑤ うた(三成妻で山手殿姉妹)、清水宗治、武田信虎、細川藤孝、三好義継、三好政康、三好長慶、村上武吉
美濃飛騨(岐阜城) 小早川④ 秋山信友、足利義昭、吉川元春、小早川秀秋、武田信繁、毛利隆元、毛利輝元、山本勘助
< 近畿 >
近江伊賀(佐和山城) 宇喜多直家、宇喜多秀家、円融院、北の方、砥石の方、モニカ、容光院
大和(筒井城) 赤井直正、一色藤長、北畠長政、田鶴、筒井順慶、波多野秀治
紀伊(和歌山城) 自作7将を敵勢力に。
摂津河内(大坂城) 鍋島直茂、江里口信常、円城寺信胤、木下昌直、彦鶴姫、百武賢兼、龍造寺隆信
山城(二条城) 自作7将を敵勢力に。
丹波丹後(宮津城) 自軍② 直江兼続、井伊直政、井伊直虎、稲姫、大谷吉継、加藤清正、本多忠勝、松永久秀
播磨但馬(姫路城) 津軽為信、戌、北信愛、武姫、南部晴政、八戸政栄、緑
< 中国 >
備前美作(岡山城) 自軍① 細剣の大名、火縄銃の将、甲斐姫、真田幸村、島津豊久、立花宗茂、濃姫、福島正則
安芸備後(広島城) 尼子経久、尼子晴久、尼子勝久、浦上宗景、みつ、山中鹿介
出雲石見(月山富田) 佐竹義昭、太田資正、佐竹義宣、佐竹義重、藤代御前、芳
周防長門(高嶺城) 最上義光、大崎殿、駒姫、志村光安、戸沢盛安、最上義守、義姫
< 四国 >
阿波讃岐(徳島城) 大内義長、桐、河野通直、河野通宣、西園寺公広、鶴姫、村上通康
東土佐(浦戸城) 井伊直盛、甘糟景継、上杉憲政、お船、織田秀信、鬼庭綱元、直江景綱
西土佐(中村城) 蘆名盛氏、蘆名盛隆、猪苗代盛国、小百合姫、二本松義継、花、彦姫
伊予(宇和島城) 道三⑥ 荒木村重、小川祐忠、黒田長政、後藤又兵衛、島津家久、島津歳久、島津義久、母里太兵衛
< 九州 >
肥前(佐賀城) 道三⑦ 織田信忠、織田信雄、蒲生氏郷、木村重成、小西行長、滝川一益、森長可、山内一豊
筑前筑後(柳川城) 道三④ 九鬼嘉隆、榊原康政、豊臣秀長、丹羽長秀、蜂須賀小六、堀秀政、毛利勝永、渡辺守綱
豊前豊後(中津城) 道三③ 柿崎景家、片倉重長、上泉信綱、酒井忠次、伊達成実、伊達晴宗、鳥居元忠、長野業正、
日向(佐土原城) 道三① 斎藤道三、上杉謙信、織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉、服部半蔵、前田慶次、森蘭丸
肥後(隈本城) 道三② 有馬晴信、上杉景勝、宇佐美定満、織田長益、片倉小十郎、島津忠長、伊達輝宗、豊臣秀頼
薩摩大隅(内城) 道三⑤ 綾御前、黒田官兵衛、佐々木小次郎、島津義弘、藤堂高虎、徳川家康、ねね、前田利家
私の場合、自作武将は30名いて、
その中で最強の2名を自勢力で操作すると
残る28名を4勢力に分け7将ずつ配置となるわけで。
自勢力に入れた無双武将は、
特に大名など目上の将への賛辞が
おもしろいなと思う武将。
私の場合、オリジナル武将を作る際、
浅井長政を大名に、敵大名を信長公にして
姉川の戦いのイベント戦でテストしてるので
目下・同僚に対する賛辞は何度も聞いている。
今になって新鮮なのは目上への賛辞というわけ。
台詞集_敵将撃破称賛 - 戦国無双4シリーズ
https://w.atwiki.jp/sengoku4/pages/141.html
親友になれば、さらに別の誉め言葉が。
https://w.atwiki.jp/sengoku4/pages/254.html
*武田勝頼のセリフは「真田丸」とは違う。
大名への賛辞が「見事なお働き…心強いです!」
ではなく
「その武勇、あやかりたい!」だった。
これは汎用武将(熱血)のセリフでしかない。
自勢力を2城16将にしているのは初めの城が
2以下だと楽になる補正を感じるからです。
3以上だと厳しくなるように感じる。
「争覇演武」の既成シナリオで
「おすすめ」になっている勢力の中に
4城以上の最大勢力などは入ってないですよね?
無理は禁物!高難易度での戦い方
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
創世演武 シナリオ・エディット
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
戦国無双4E 兵糧の売り買いについて
夏に兵糧500徴収して売っても金45にしかならない。
あくまで余っていれば売るもの。
夏に金500徴収し兵糧を買っても4500にはなる。
夏は兵糧5000徴収の方がよいが。
それより重要なのは、秋に兵糧を買う事。
敵8部将2万4000に勝つには
兵2万9000ちょっと必要。
多分、敵軍の1.2倍くらいですね。
軍師が侵攻するよう進言する時は。
15分だと兵数と兵糧数は同じ。12分だとその8割。
9分だと6割。6分は4割。(12分8割の半分。)
端数は必ず切り捨て。
23456.667なら23456。
3万1000くらいの兵数なら圧倒できる。
こちらが部将8名なら大名・軍師ボーナスだけでは
兵2万7000だが、2名が家老なら3万。
12分なら2万4800、年に9万9200くらいの兵糧。
買うのが秋なら金6200。
それで、時間延長・参などを買うよりも、
銀山や金山があれば採掘する方がよい。
時間延長・参なんて使えるのは終盤だし。
銀山:部下で808、大名で800が最高記録。
金山:部下で1307、大名で1299が最高記録。最低は673。
という事は、命令数1の消費で
秋なら兵糧徴収4回分にもなるという事。
金がたくさんある場合は、
金山採掘よりも、値引き交渉の方が
効果が大きいかも知れない。
秋なら通常は金1で兵糧16買えるのが
金1で兵糧17買えるようになるので。
銀山採掘には金100、金山採掘には金200が必要。
なので、無ければもちろん、鉱山があっても
場合によっては金徴収。
あくまでゲームだからですよ。実生活では
名声が下がっても他人が苦しんでも
徴収してよいなどとは思ってませんよ。
影響されないよう注意が必要かも。
兵糧の売り買いをするには、
よろず屋が必要。
城3つ以上になったら
なるべく早く交渉居城に建て替える。
1城ではじめたら秋、
2城ではじめたら夏に可能かなと。
金1000を消費するけれど
兵糧を秋に買えるメリットの方が
大きいのではないかと。
一時的に、貯金が少なくなるけれど
どちらにしろ、兵糧の売り買いを
しないと余裕を生み出すのが
遅くなるので、なるべく早く
建て替えるべきかと。
そして、引き継ぎありの場合は
できれば一挙に高級軍備居城にする。
(引き継ぎなしの場合は
中級を経由しないと高級にできない。)
兵糧が35万くらいある状態で、
がよいかなと。無ければ
金10000を居城改築に使うより
兵糧を買うべきだろうと思う。
金10000の出費は難しいけど
よろず屋も計略奉行もほしい、
とか、領土も増えてきたので
開発奉行をふやしたい
という場合は、
中級開発居城もありかなと。
旗は織田家(商業+30%)で。
で、収入が十分になったら
高級軍備居城かな。
旗は石川五右衛門(兵力+30%)か
「天下泰平」あたり。
軍馬の値段
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
無理は禁物!高難易度での戦い方
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
あくまで余っていれば売るもの。
夏に金500徴収し兵糧を買っても4500にはなる。
夏は兵糧5000徴収の方がよいが。
それより重要なのは、秋に兵糧を買う事。
敵8部将2万4000に勝つには
兵2万9000ちょっと必要。
多分、敵軍の1.2倍くらいですね。
軍師が侵攻するよう進言する時は。
15分だと兵数と兵糧数は同じ。12分だとその8割。
9分だと6割。6分は4割。(12分8割の半分。)
端数は必ず切り捨て。
23456.667なら23456。
3万1000くらいの兵数なら圧倒できる。
こちらが部将8名なら大名・軍師ボーナスだけでは
兵2万7000だが、2名が家老なら3万。
12分なら2万4800、年に9万9200くらいの兵糧。
買うのが秋なら金6200。
それで、時間延長・参などを買うよりも、
銀山や金山があれば採掘する方がよい。
時間延長・参なんて使えるのは終盤だし。
銀山:部下で808、大名で800が最高記録。
金山:部下で1307、大名で1299が最高記録。最低は673。
という事は、命令数1の消費で
秋なら兵糧徴収4回分にもなるという事。
金がたくさんある場合は、
金山採掘よりも、値引き交渉の方が
効果が大きいかも知れない。
秋なら通常は金1で兵糧16買えるのが
金1で兵糧17買えるようになるので。
銀山採掘には金100、金山採掘には金200が必要。
なので、無ければもちろん、鉱山があっても
場合によっては金徴収。
あくまでゲームだからですよ。実生活では
名声が下がっても他人が苦しんでも
徴収してよいなどとは思ってませんよ。
影響されないよう注意が必要かも。
兵糧の売り買いをするには、
よろず屋が必要。
城3つ以上になったら
なるべく早く交渉居城に建て替える。
1城ではじめたら秋、
2城ではじめたら夏に可能かなと。
金1000を消費するけれど
兵糧を秋に買えるメリットの方が
大きいのではないかと。
一時的に、貯金が少なくなるけれど
どちらにしろ、兵糧の売り買いを
しないと余裕を生み出すのが
遅くなるので、なるべく早く
建て替えるべきかと。
そして、引き継ぎありの場合は
できれば一挙に高級軍備居城にする。
(引き継ぎなしの場合は
中級を経由しないと高級にできない。)
兵糧が35万くらいある状態で、
がよいかなと。無ければ
金10000を居城改築に使うより
兵糧を買うべきだろうと思う。
金10000の出費は難しいけど
よろず屋も計略奉行もほしい、
とか、領土も増えてきたので
開発奉行をふやしたい
という場合は、
中級開発居城もありかなと。
旗は織田家(商業+30%)で。
で、収入が十分になったら
高級軍備居城かな。
旗は石川五右衛門(兵力+30%)か
「天下泰平」あたり。
軍馬の値段
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
無理は禁物!高難易度での戦い方
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
戦国無双4E 攻略情報メニュー
戦国無双4 Empires( エンパイアーズ)について。
その0。 もくじ。索引ページです。
戦国無双4 Empires( エンパイアーズ)は、
2015年9月17日に発売されたゲーム。
元々は三國無双の魏、呉、蜀の3国を
エンパイア=帝国と呼んだのでしょう。
アクションだけでなくシミュレーション要素
がある。自作武将が参加できる。
戦国無双3 Empiresが不評だったために、
戦国無双2 Empires(2E)に戻した感じで
Amazonのレビューを見てると、2Eのファンだった人には好評のようです。
一方で目立つのは、「地獄」が厳しすぎるという声と、
PS3版はフリーズ(コンピュータの処理が追いつかず
止まってしまう現象)が多いという話。
特にゲーム終盤の、武将が増えた頃に「よろず屋」に入った時に。
それと、NPC(ノン・プレイヤー・キャラクターの略。プレイヤーが操作せず
コンピュータが動かす武将)が馬鹿という話。
レビューを見てると、買ったばかりで「やさしい」で1回やった程度の内は
高評価をつけてるけど、前作をやってるからと「普通」ではじめたとか
「難しい」でやったとか、「地獄」までやってみた方からは酷評されてる感じ。
攻略サイトにも書いてないけど、
これらを解消する方法を書きます。
1.味方が馬鹿なのを何とかできないか?の答え
と 武将が見えないステルス現象の解除方法
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-183.html
2.地獄が厳しすぎるのを何とかする方法!
敵将の勲功は自動的に上がっていく!
難易度「地獄」での昇進時期は?
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
3.最強の武器は?の持論
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-185.html
4.フリーズしてしまう原因と解決方法!
& 武将数制限のため
自作24武将チームの組み方持論。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-186.html
5.まずは「やさしい」で慣れてみよう。&やっておくべき事
※ !! 武器を強化しまくっても引き継げません!! ※
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-187.html
6.陣形の切り替え & なければ防衛戦より進行!
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
7.創世演武 シナリオ・エディット
真・三國無双7Eにはとうてい及ばないが
自作シナリオの例とテンプレートつき
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
8.全40地域の特産など
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-190.html
9.その他小ネタとか、参照サイトなど
結構、マニュアルに載ってない操作があったりする。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
以上の情報などを
ごちゃまぜに、まとめて書いた総集編
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-174.html
やっている内に、攻略サイトに出てる話に
大きな間違いがある事に氣づき、
追加した重要な訂正記事は、こちら!
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
<付録>
・軍馬の値段
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
・固有武将などの相性
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
・服・装備リスト
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-192.html
・自作武将チーム例
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-193.html
・【画像】自作30武将60武器の例
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
・【画像】エディット武将の顔レシピ
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
◇
その0。 もくじ。索引ページです。
戦国無双4 Empires( エンパイアーズ)は、
2015年9月17日に発売されたゲーム。
元々は三國無双の魏、呉、蜀の3国を
エンパイア=帝国と呼んだのでしょう。
アクションだけでなくシミュレーション要素
がある。自作武将が参加できる。
戦国無双3 Empiresが不評だったために、
戦国無双2 Empires(2E)に戻した感じで
Amazonのレビューを見てると、2Eのファンだった人には好評のようです。
一方で目立つのは、「地獄」が厳しすぎるという声と、
PS3版はフリーズ(コンピュータの処理が追いつかず
止まってしまう現象)が多いという話。
特にゲーム終盤の、武将が増えた頃に「よろず屋」に入った時に。
それと、NPC(ノン・プレイヤー・キャラクターの略。プレイヤーが操作せず
コンピュータが動かす武将)が馬鹿という話。
レビューを見てると、買ったばかりで「やさしい」で1回やった程度の内は
高評価をつけてるけど、前作をやってるからと「普通」ではじめたとか
「難しい」でやったとか、「地獄」までやってみた方からは酷評されてる感じ。
攻略サイトにも書いてないけど、
これらを解消する方法を書きます。
1.味方が馬鹿なのを何とかできないか?の答え
と 武将が見えないステルス現象の解除方法
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-183.html
2.地獄が厳しすぎるのを何とかする方法!
敵将の勲功は自動的に上がっていく!
難易度「地獄」での昇進時期は?
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
3.最強の武器は?の持論
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-185.html
4.フリーズしてしまう原因と解決方法!
& 武将数制限のため
自作24武将チームの組み方持論。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-186.html
5.まずは「やさしい」で慣れてみよう。&やっておくべき事
※ !! 武器を強化しまくっても引き継げません!! ※
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-187.html
6.陣形の切り替え & なければ防衛戦より進行!
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
7.創世演武 シナリオ・エディット
真・三國無双7Eにはとうてい及ばないが
自作シナリオの例とテンプレートつき
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-189.html
8.全40地域の特産など
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-190.html
9.その他小ネタとか、参照サイトなど
結構、マニュアルに載ってない操作があったりする。
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
以上の情報などを
ごちゃまぜに、まとめて書いた総集編
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-174.html
やっている内に、攻略サイトに出てる話に
大きな間違いがある事に氣づき、
追加した重要な訂正記事は、こちら!
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
<付録>
・軍馬の値段
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
・固有武将などの相性
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
・服・装備リスト
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-192.html
・自作武将チーム例
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-193.html
・【画像】自作30武将60武器の例
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
・【画像】エディット武将の顔レシピ
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
◇
戦国無双4E エディット武将の顔レシピ
戦国無双4 Empires( エンパイアーズ)について。
付録その0。 エディット武将の顔レシピ。作りかた。
(検索してみると分かると思いますが、
一般的に、そういう呼び方をされているようです。)
自分の場合は、どう設定しているか?を公開します。
*なお、頭装備によって、顔レシピとは全く違った髪型に
変わる事も多いですが、頭装備については
省略させていただきました。m(_ _)m
*画像はクリックすると大きくなります。
歴史もの少女マンガ顔(男)

髪型 06
輪郭 01
眉 04
目 18
化粧 00
鼻 07
口 08
装飾1 00
装飾2 00
昼ドラ顔

というか小沢◯珠さん風
印象ちがったらスミマセン
髪型 07
輪郭 01
眉 05
目 14
化粧 03
鼻 07
口 05
装飾1 01
装飾2 18
連ドラ風?

佐◯木希さん風にしようと思ったけど北◯景子さんぽくなった気が
・・・戦国無双4Eの制約上、無理っぽい。
実は二重まぶたは同じような顔になりがち。
三國無双からそのままコピーは非常に難しい。
髪型 53
輪郭 01
眉 07
目 08
化粧 01
鼻 08
口 04
装飾1 00
装飾2 00
ややパッチリ目、やや細目

石原さ◯みさんとか加藤綾◯さんの系統みたいな・・
髪型 51
輪郭 01
眉 02
目 12
化粧 02
鼻 01
口 03
装飾1 00
装飾2 00
ハ◯プロのトップクラス風

髪型 60
輪郭 01
眉 02
目 18
化粧 03
鼻 01
口 04
装飾1 00
装飾2 16
スポーツ・ニュースの女子アナ風

真・三國無双6 Empiresとか7Eでは
もっと似せる事もできるんだけど・・・
声もね。
髪型 20
輪郭 01
眉 03
目 17
化粧 03
鼻 06
口 06
装飾1 00
装飾2 00
福原春奈

今回は川◯春奈ちゃんに近いかな。
使えるパーツから、自然にそうなった。
髪型 00
輪郭 00
眉 00
目 00
化粧 00
鼻 00
口 00
装飾1 00
装飾2 00
深◯恭子さん系
違うかな?

唯一、真・三國無双には無い髪型かも。
三国Eにあって戦国Eにはない、の方がずっと多いんだけど。
髪型 02
輪郭 01
眉 02
目 01
化粧 00
鼻 01
口 04
装飾1 00
装飾2 00
広瀬◯ず系・・・のつもり。

髪型 49
輪郭 01
眉 03
目 06
化粧 03
鼻 05
口 09
装飾1 05
装飾2 00
同級生風

三國無双では、もっとリアルに美人にできるんだけど。
戦国無双4Eでは仕方ない。
髪型 13
輪郭 01
眉 03
目 21
化粧 00
鼻 01
口 06
装飾1 00
装飾2 00
女君主

髪型 01
輪郭 03
眉 02
目 07
化粧 04
鼻 01
口 01
装飾1 00
装飾2 02
< 顔メモ用 空欄 >
髪型 00
輪郭 00
眉 00
目 00
化粧 00
鼻 00
口 00
装飾1 00
装飾2 00
戦国無双4 Empires 攻略情報メニュー に戻る
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html
付録その0。 エディット武将の顔レシピ。作りかた。
(検索してみると分かると思いますが、
一般的に、そういう呼び方をされているようです。)
自分の場合は、どう設定しているか?を公開します。
*なお、頭装備によって、顔レシピとは全く違った髪型に
変わる事も多いですが、頭装備については
省略させていただきました。m(_ _)m
*画像はクリックすると大きくなります。
歴史もの少女マンガ顔(男)

髪型 06
輪郭 01
眉 04
目 18
化粧 00
鼻 07
口 08
装飾1 00
装飾2 00
昼ドラ顔

というか小沢◯珠さん風
印象ちがったらスミマセン
髪型 07
輪郭 01
眉 05
目 14
化粧 03
鼻 07
口 05
装飾1 01
装飾2 18
連ドラ風?

佐◯木希さん風にしようと思ったけど北◯景子さんぽくなった気が
・・・戦国無双4Eの制約上、無理っぽい。
実は二重まぶたは同じような顔になりがち。
三國無双からそのままコピーは非常に難しい。
髪型 53
輪郭 01
眉 07
目 08
化粧 01
鼻 08
口 04
装飾1 00
装飾2 00
ややパッチリ目、やや細目

石原さ◯みさんとか加藤綾◯さんの系統みたいな・・
髪型 51
輪郭 01
眉 02
目 12
化粧 02
鼻 01
口 03
装飾1 00
装飾2 00
ハ◯プロのトップクラス風

髪型 60
輪郭 01
眉 02
目 18
化粧 03
鼻 01
口 04
装飾1 00
装飾2 16
スポーツ・ニュースの女子アナ風

真・三國無双6 Empiresとか7Eでは
もっと似せる事もできるんだけど・・・
声もね。
髪型 20
輪郭 01
眉 03
目 17
化粧 03
鼻 06
口 06
装飾1 00
装飾2 00
福原春奈

今回は川◯春奈ちゃんに近いかな。
使えるパーツから、自然にそうなった。
髪型 00
輪郭 00
眉 00
目 00
化粧 00
鼻 00
口 00
装飾1 00
装飾2 00
深◯恭子さん系
違うかな?

唯一、真・三國無双には無い髪型かも。
三国Eにあって戦国Eにはない、の方がずっと多いんだけど。
髪型 02
輪郭 01
眉 02
目 01
化粧 00
鼻 01
口 04
装飾1 00
装飾2 00
広瀬◯ず系・・・のつもり。

髪型 49
輪郭 01
眉 03
目 06
化粧 03
鼻 05
口 09
装飾1 05
装飾2 00
同級生風

三國無双では、もっとリアルに美人にできるんだけど。
戦国無双4Eでは仕方ない。
髪型 13
輪郭 01
眉 03
目 21
化粧 00
鼻 01
口 06
装飾1 00
装飾2 00
女君主

髪型 01
輪郭 03
眉 02
目 07
化粧 04
鼻 01
口 01
装飾1 00
装飾2 02
< 顔メモ用 空欄 >
髪型 00
輪郭 00
眉 00
目 00
化粧 00
鼻 00
口 00
装飾1 00
装飾2 00
戦国無双4 Empires 攻略情報メニュー に戻る
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-182.html